いがらしみきお作品を4作読んだ/『お猫見』『お人形の家 寿』『今日を歩く』『あなたのアソコを見せてください』

いがらしみきお作品を4作読んだ

いがらしみきおの漫画は、ある時期のオレにとって聖典に近いものだった。それは誰もが知る大ヒット作『ぼのぼの』では決してなく、『ネ暗トピア』に代表される初期の、ルサンチマンニヒリズムが全てを覆い尽くす暗黒の4コマ漫画時代の作品だった。あの頃のオレは、いがらしのそれら4コマコミックを舐めるように読み返しながら、「ヌヒヒ」と暗く笑うのが日常だった。

しかし『ぼのぼの』を境にいがらしの漫画は新たな道を切り開くことになる。それは『3歳児くん』や『たいへん もいじーちゃん』のような『ぼのぼの』的な「無意識の意識」を扱うギャグ漫画の他に、『Sink』や『I【アイ】』、『かむろば村へ』や『羊の木』などのホラー/ストーリー漫画への変転である。そしてオレはそんないがらしの転身を諸手を挙げて受け入れた。これらいがらしの新境地にはより一層研ぎ澄まされたニヒリズムが存在したのと同時に、そのニヒリズムを突き抜け「生」そのものを真摯に模索しようとする態度を感じたのだ。

とはいえ、その後いがらしの新作はしばらく読むことが無かった。行きつくところまで行っちゃったような気がしたからかもしれない。で、ふと「最近何描いてるんだ?」と気になり、2015年から2019年までに描かれた4作の作品を見つけ、これを読んでみることにしたのである。それはいがらしの日常を切り取ったエッセイ漫画『お猫見』『今日を歩く』、いがらし家の人形たちを主人公にした『お人形の家 寿』、いがらし的に愛と性を扱った『あなたのアソコを見せてください』である。

お猫見/いがらしみきお

「ネコは見るもの愛でるもの」 『ぼのぼのいがらしみきおが贈る、笑いあり涙あり流血ありの実録猫エッセイコミック♪ 描き下ろし漫画・コラムに加えコミックス未収録作品3篇収録。 LOVEと狂気とモフモフが渦巻く、いがらしみきおワールドをたっぷりご堪能ください!

いがらし一家と飼っている猫との日々を描く猫漫画である。世には大島弓子が自らの飼い猫との生活を描く『グーグーだって猫である』という名作猫漫画があるが、いがらしが猫を描くとこれがやはり一筋縄ではない。飼い猫を溺愛するいがらしの行動と心理が不気味極まりなく、そして描かれる猫があまり可愛らしくない。これは愛する猫と溺愛する自分自身の情緒にきっちり距離を置き、あくまでもギャグタッチで描いているからだが、それにしても描かれるいがらし本人が本当に気持ち悪い。それはその気持ち悪さに意識的だからだ。いがらしの実存は猫漫画を描いてもこのように奇怪なのである。そしてこれこそがいがらし漫画の面白さなのだ。

今日を歩く/いがらしみきお

晴れの日も雨の日も雪の日も、 あるいは実母が亡くなった翌日も、 毎朝同じ道を散歩する著者。 いつもと同じ人とすれ違い、 いつもと同じ犬を見る。 でも、考えることはいつも違う。 新たな発見が、毎日ある。 『ぼのぼの』『かむろば村へ』『I【アイ】』で、 世代を問わず注目を集めているいがらしみきおによる 日常哲学エッセイコミック!

いがらしは15年間、早朝ウォーキングをしていたらしい。一度体を壊し、それから健康のために始めたのだという。いがらしは雨の日も風の日も雪の日も歩く。ただただ歩く。その歩いている時に目撃するもの、頭に妄念となって浮かぶもの、それらを描いた作品である。しかしそこはいがらし、単に「徒然なるままの自己」を描いたものでは決してなく、所々で黒々としたルサンチマンが顔を覗かせる、といった内容になっている。年を取り丸くなったように見せかけながら、いがらしの視線にはやはりどこか底意地の悪いものがある。だがそこがいい。そして同時に、この作品で描かれるのは、年を取ることのぼんやりとした虚無と抗えない絶望なのだ。

お人形の家 寿/いがらしみきお

いがらしみきおの家はお人形の家だった!! 『ぼのぼの』『忍ペンまん丸』『羊の木』『かむろば村へ』『誰でもないところからの眺め』など、数々の名作を描いてきた漫画家いがらしみきお。その最新作はお人形! お人形は長年連れ添う妻が収集してきた実際にあるものをキャラクター化。 サバを読んで50体(妻談)というお人形たちから、選りすぐりの子たちが登場。 いがらし家を舞台に、家族の近況をネタにお人形たちが駆け巡ります。 画業40年、いがらしみきおの到達点。

いがらしの嫁は膨大な数の人形を収集しているらしい。そしていがらし自身もその人形を可愛らしく思っているのらしい。この『人形の家 寿』は、そんないがらし家にある人形を主人公とし、いがらし一家が外出した後に彼らが動き出し遊び始めるさまを描いたものだが、決してホラーではなくギャグ漫画である。

主人公は「おねーちゃん」と呼ばれる上沼恵美子似の人形と「コトブキ」と呼ばれる兎耳をした下膨れ顔の子供の人形である。この2体が漫才よろしくボケとツッコミを延々とカマすのだ。ツッコミ役の「おねーちゃん」はいつもしつこく意地悪で、ボケ役の「コトブキ」はたいてい追い詰められて脂汗を流し、そして毎回意味不明のオチで終わる(人形だから意味なんて考えないのだ)、という大変楽しい作品だ。

他にもいる大量の人形も動き回るのだが、これがどうやら知能が低いらしくいつも「りゅーりゅー」としか言わない部分も可笑しく、同時に気持ち悪い。また、小さな人形だからこそ大きな人間の家は冒険の場所となり、このスケール感の違いが愉快なアクションへと繋がる。

ページ構成は扉絵を除き全ページ12コマの正方形で描かれその中で物語が進行するが、この様式性の高さが展開にリズムを生み大いに効果を上げている。総じて非常によくできていて楽しく、同時にいがらしらしい薄気味悪さもきちんとある良作であった。

あなたのアソコを見せてください/いがらしみきお

大学へ行かずにコンビニでアルバイトをしているミコは、幼少期に見た光景が頭から離れずにいた。 ある日、バイト先の常連客からとあるクラブへの参加を持ちかけられ…… 本当に好きな人ってどんな人なのか。 欲情するってどういうことなのか。 あの光景から自分を解き放つことができるのか。 松尾スズキ、感服!!!「もっと欲情しろ、深く生きてみろ。」 セックスの根源に肉薄する、いがらしみきお渾身の大作!

読み始めて最初の印象はいがらしらしい露悪と虚無の変態話なんだが、次第にこれは他人に対して不器用な人間たちが「他人とは地獄だ」と延々言い募る話だというのが見えてくる。そして同時に、その地獄と性交し、あらんことか愛したりもしなければならない、人間という生き物の性(さが)に途方に暮れてしまう、という話でもあるのだ。

「愛している人のアソコを見たいというのが欲望なのだ」とは言いつつ、アソコと言うのは基本的にグロテスクなものであり、そんなグロテスクなものを見て欲情しなければならないのも実のところ不条理だ。主人公が好きだった、あるいは気になった男たちの性器を見てもただ幻滅するのはそういった理由からだ。

しかしアソコ=性器と解釈するのではなく、他者の内実ととらえるならどうだろう。すなわちこれは「他人という名の(グロテスクな)地獄」に欲情する・せざるを得ない人間というものの本質を描いたものだとは言えないか。そしてそれを愛し、または愛していると思い込まねばならない、その哀しみや可笑しみや不可解さを抉り出した作品だとは言えないだろうか。グロくてお下劣だけどこれはやはりいがらし一流の哲学漫画なのだ。

といった面から見るなら、この漫画の惹句にある「もっと欲情しろ」だの「セックスの根源に肉薄する」だのの言葉は、どれも的外れなものだと思えてしまうのだ。なお物語は殺伐としていつつも結構な頻度で笑いがあり、ある意味(かつてのいがらし4コマのような)黒いギャグ漫画として読めるし、またそう読むべきものなのだと思う。主人公女子は不細工に描かれているが、読んでみると愛嬌があるばかりか、段々と好きになってくるのがまた不思議な漫画だった。