最近読んだコミック/『誰でもないところからの眺め』『孤独のグルメ(2)』『プリニウス(3)』『監獄学園(18)』

■誰でもないところからの眺め / いがらしみきお

人間やめますか? それとも生き物やめますか? 生存本能を揺さぶる物語 大震災から4年、見えないところから壊れ始めているこの世界。気付かずに暮らすあなたが正気なのか。逃げ出そうとあがく彼らこそが正気なのか。いがらしみきおが、あなたの理性と感性と、そして何より生存本能を揺さぶる
――藻谷浩介(『里山資本主義』『デフレの正体』)
不安と不安と不安と、そしてその先の針のような希望と。リアルってこういうことをいうんだと思う。
――しりあがり寿(漫画家)
震災から数年経った東北の地。余震がしだいに強まり、住民たちに異変が生じていく……。いがらしみきおの最高傑作。

「神性の存在」に鋭く迫ったいがらしみきおの長編『I』(レヴュー)は、そのクライマックスにおいて著者自身も体験した東日本大震災を物語の中に持ち込み、「悲痛な運命の中ですら神の存在を認めなければならぬのか」という部分まで切り込もうとしていた。いがらしにとって、長編『I』は当初の抽象的なテーマから目の前でまさに起こっている悲惨をどう受け止めねばならないのかという現実的なものへと変更を余儀なくされた作品であり、透徹した作品であったにせよ、その"ぶれ"が、長編『I』をどこか煮え切らない作品へとさせてしまっていた。
そして改めて世に問うたのがこの『誰でもないところからの眺め』である。舞台は震災後の東北であり、なお続く余震に人々は不安を覚えながら生活している。そしてそこに、得体の知れない怪異が起こり、そして住民たちの精神に、奇怪な変異が起こってゆく、というものを描いている。ここでいがらしは、社会性に縛られ身動きのできない人間の姿と、直観の赴くまま生きようとするいわゆる"ノマド"としての人間の差異を描こうとする。それは一言でいうなら従来的な人間性へのアナーキズムであるのだろう。多分いがらしは、不安を抱えながらそれを押し殺して生きざるを得ない人間とそうせざるを得ない人間社会へのアンチテーゼを描きたかったのだろう。
だがしかし、得体の知れない怪異を始めとする描写は結局思わせぶりで終わっており、"ノマド"として生きる人間たちの姿には何ら説得力が無い。つまりテーマの煮詰め方がまだまだ甘いのだ。これは東日本大震災の悲惨というものがいがらしの中でいまだ対象化できないからということではあるが、だがしかし、あのような悲惨が、それほど容易く対象化することなどできない、いやむしろ、そもそも対象化などという行為が不可能でしかない、ということの表れでもあるのだ。だからこそいがらしはもだえ苦しむ。そのもだえ苦しむ表現者としての「現在」がこの作品なのであり、そのいがらしの苦悩を追体験する、というのがこの作品の正しい読み方なのではないかと思う。

孤独のグルメ(2) / 久住昌之, 谷口ジロー

孤独のグルメ2

孤独のグルメ2

累計80万部突破の異色グルメマンガ待望の第2弾が18年ぶりに登場!あの井之頭五郎が帰ってきた! 男が一人で淡々とメシを食う姿を描いた人気ハードボイルド・グルメマンガの新作がいよいよ登場。おでん、ラーメン、ピザ、ブリ照り焼き定食など、今回もゴローがさまざまなメニューを食いまくります(なんと初の海外出張も!)。巻末には平松洋子氏のエッセイも収録。

孤独のグルメ』の2巻、前作から18年ぶりだそうだ。1巻目刊行当時は久住昌之+泉晴紀コンビによる「泉昌之」マンガが好きだったのでその延長で読んだのだが、谷口ジローの絵自体はそれほど得意ではなかったので、奇妙な違和感と新鮮さとが合わさった読後感だった。基本的には「どうということのないものに異様にこだわる」久住のセンスを谷口の端正な絵でもって描くことによりミスマッチを狙う、というコンセプトの作品なんだろうな、と受け止めた。
そのコンセプトの成功はその後のこの作品の絶大な評価で証明されたが、しかしコンセプト自体はそれで完結したのだと思う。久住がその後も大衆食堂や酒場を題材にあれやこれやの作品を生み出しながら、あれほど売れた谷口コンビでの『孤独のグルメ』だけが出されなかったのは、久住にとって『孤独のグルメ』的な手法が既に「終了した」ものだからだったのではないか。まあ単に谷口とのスケジュールが合わなかっただけかもしれないが。この2巻が久住的センスにはブレがないものの、1巻目の緊張感が薄く、泉昌之描く『食の軍師』よりも情報量が少なく、さらに1巻目の焼き直し程度のものにしか思えないのは、1巻目のヒットによる周囲の要請につき合わされる形で久住が関わったからだろうと想像されるのだが。
それにしてもこの2巻目も売れているようで、近所の書店では売り切れ状態だった。その代り『孤独のグルメ 巡礼ガイド2』とかいうよく見ないと間違えそうな本が置いてあり、なにかバッタモノ商法で引っ掛けるつもりなのかと思ってしまった。だいたい『孤独のグルメ』の殆どの物語はたまたま立ち寄ったどこかの街のたまたまふらっと入った食堂の食べ物を全力で食うことを描いた作品なわけで、そんな店のモデルをわざわざ探して訪れるというのはちょっと違うんじゃないかと思ったが。あ、しかしオレ、まるます屋は行ったな…。

プリニウス(3) / ヤマザキマリ, とり・みき

『テルマエ・ロマエ』のヤマザキマリと異能の漫画家とり・みきによるコラボ・コミック『プリニウス』、第3巻を迎えてやっと確信したがやっぱりこの作品野心的ではあるが失敗作なんじゃないだろうか。それぞれに知的な漫画家同士が知的ゆえに気を使いあって物語の舵取りが出来ていないように感じるのだ。全体的にはとり・みきの幻想趣味が目立つとはいえ、かといってとり・みきらしい崩壊感覚に結びつくことなく、ヤマザキの博学はかの時代のローマを詳らかに描写するけれども散漫に過ぎて物語の核が定まらない。ローマ風俗と奇怪な博物趣味を表現することには成功しているけれども物語としてのダイナミズムには著しく欠ける。決して悪くはないんだが絶賛には至らない。両氏とも好きな漫画家だけにその辺が物凄く惜しいし勿体無く感じるんだが。

監獄学園(18) / 平本アキラ

いやー、これまで相当にお下劣お下品だったこの物語ですが、この18巻に来て、「えええ!?とうとうここまでやっちゃうの!?いいの!?いいの!?」という段階へと突入しています。これまでもエロでしたが、こうなるともう殆どエロマンガです。しかしこの作品の凄いのはとことんエロなのにセックスが存在しない、というとんでもないことをやり抜いているということですね。この一線だけを絶対超えない部分でギャグマンガとして凄いんですね。しかし「メデューサ」て。「メデューサ」てなによ。