キング・オブ・ロックンロール、エルヴィス・プレスリーの半生を鮮烈に描く音楽映画『エルヴィス』

エルヴィス (監督:バズ・ラーマン 2022年アメリカ映画)

【目次】

オレとバズ・ラーマン、そしてエルヴィス・プレスリー

バズ・ラーマンはオレの敬愛してやまない映画監督の一人である。寡作な監督ではあるが、その作品はどれもグリッターでグラマラスな美意識に溢れ、心憎いほどに絶妙なサウンド・トラックを配し、その目くるめくような映画手腕から、あたかも宗教画を思わせる法悦感を導き出す監督なのだ。『ムーラン・ルージュ』(01)も好きだが、トドメとなるのは『華麗なるギャツビー』(13)だろう。この作品はバズ・ラーマンの集大成と言っても過言ではない、あまりに素晴らしい作品だった。

そのバズ・ラーマンが『華麗なるギャツビー』以来久々に映画作品に取り組んだのがこの『エルヴィス』となる。エルヴィス、そう、あの「キング・オブ・ロックンロール」、「史上最も成功したソロ・アーチスト」、エルヴィス・プレスリーの半生を描いた作品なのだ。

とはいえオレ自身は特に熱心なエルヴィス・リスナーではないし、「肥満が原因で死去した」という下世話な部分でしか彼の人生を知らない。ヒット曲を幾つか知っている程度だし、大昔TVでライブ・ドキュメンタリー映画『エルヴィス・オン・ステージ』(70)を観たときは「なんだかとてもパワフルでゴージャスな音楽を演る人だな」と感嘆したものだが、オレのエルヴィス体験はそれ止まりである。しかし映画『エルヴィス』は何と言ってもバズ・ラーマン映画。これは観なければならないではないか。そして劇場で目撃した映画『エルヴィス』は、間違いなく最高にイカシたロック映画だった。

不世出の大スター、エルヴィス・プレスリーの光と影

物語はエルヴィスのマネージャーであるトム・パーカー大佐の目を通して描かれる。それはエルヴィスがその才能を発掘され、世界のミュージック・シーンを塗り替える「キング」となるが、パーカー大佐の奸計により絶望に堕とされ、やがて悲劇的な死を迎えるまでを描いたものとなる。

【物語】メンフィスの貧しい家庭で少年時代を過ごしたエルヴィスはスラムに住む黒人たちの音楽に慣れ親しみ、自らもロックロールシンガーを志す。黒人音楽に影響された彼の優れた歌唱力と激しいパフォーマンスは大衆に熱狂的に受け入れられ、一躍時代の寵児となる。しかしある意味「セクシャルな」そのパフォーマンスと黒人音楽にルーツを持つサウンドは当時の保守層からの大反発を招き、TV放送やコンサートに不条理な規制が掛けられてしまう。一時は「穏健な」活動に甘んじることになったエルヴィスだが、彼のアーチスト魂は、さらなる至上のロックを目指して爆発することになるのだ。

まずなにより、バズ・ラーマン監督の映画手腕、映像表現に目を奪われた。彼の十八番となる、なまめかしいほどにグリッターでグラマラスな映像、エルヴィスの原曲のみならず、それをヒップホップなど現代風なアレンジを施したサウンドトラック、まるでシェイクスピア悲劇の如く運命の綾に弄ばれてゆくドラマ構成、そのどれもが、「キング・オブ・ロックンロール」エルヴィスの人生の光と影を、強烈なコントラストで描くことに成功しているのだ。

キング・オブ・ロックンロール

ここで登場するエルヴィスは、単なる「パワフルでゴージャスなロックンローラー」ではない。彼は自らの音楽と常に真摯に対峙し、その可能性をどこまでも追い求め続けた、誠実極まりないアーチストとして登場する。そこには彼のルーツとなる黒人音楽、そしてそれを演奏する黒人たちへの強烈なリスペクトが描かれていることも忘れてはならない。そして自らの音楽に誠実であろうとするからこそ、彼は苦悩し、壁にぶち当たり、ついには絶望へと堕とされることになるのだ。

そんな彼を演じ、劇中でエルヴィス・ソングを自ら歌った主演のオースティン・バトラーは、エルヴィスが憑依したかの如きセクシーさとパワフルさ、同時にナイーブさを体現した、素晴らしいアクトを見せてくれた。この1作で要注目男優となる事は間違いないだろう。

同時に描かれるのは、エルヴィスが活躍した当時のアメリカの、その時代性だ。60年代アメリカの風俗と空気感を余すところなく再現した映像は鬼気迫るものがあったが、それと併せ、当時のアメリカが抱える不穏な社会性をも浮き彫りにすることとなるのだ。それは黒人人種差別問題であり、マーティン・ルーサー・キングJr牧師、並びにロバート・F・ケネディ上院議員暗殺事件であり、ベトナム戦争の影である。エルヴィスに絶叫する女性たちの姿は、そのまま彼女らの社会的抑圧を表していたのだともとれるのだ。こうして物語は、エルヴィス・プレスリーがこれらアメリカの差別と抑圧に、いかに風穴を開けようとした存在だったのかを描いてゆくのだ。

”トム・パーカー大佐”

「エルヴィス」の名を冠した映画作品であるが、この物語の影の主役はエルヴィスのマネージャーであるトム・パーカー大佐だ。そしてこのトム・パーカー大佐というのが、後ろ暗い経歴を持つ興行師であり、守銭奴であり、端的に言って山師なのだ。確かにプロモーターとしての才能は余り有るものがあり、彼の手腕によってエルヴィスはキングの称号をほしいままにするが、同時にエルヴィスの絶望と死の切っ掛けとなったのもこの男の奸計によるものだ。

こうしてエルヴィスはメフィストフェレスに魅入られたファウスト博士の如く、その魂を担保にこの世の栄華を体験する。即ち映画『エルヴィス』は凡俗な小者サリエリの目を通して世紀の才能モーツァルトの姿を描いたミロス・フォアマン監督作品『アマデウス』の如く、凡俗な小悪党パーカー大佐の目を通して描かれた世紀の才能エルヴィス・プレスリーの姿を描いた作品となるのだ。このトム・パーカー大佐をアカデミー賞俳優トム・ハンクスが演じるが、そのヒューマンな俳優イメージを覆し、毒虫の如き愚劣な男を演じ切っており、これも必見だろう。

アンチェインド・メロディ

正直、観る前は「プレスリーなんて、ちょっと古臭くないか?」と思っていた。ところが実際は、劇中に流れてくるどの曲もどの曲も聴いたことのある曲ばかり、その中にはプレスリーによるカヴァーソングもあるのだろうけれども、ここまでド直球にスタンダード・ナンバーの王道を歌っていたシンガーだと知り驚愕した。また、劇中使われる楽曲は主演であるオースティン・バトラーが歌った曲とエルヴィス自身のヴォーカルのものとが混在しており、さらにゴスペル、R&B、ソウル、ロックンロール、ヒップホップと百花繚乱で楽しい事この上ない。

オレが劇場で観たときにはエルヴィス世代なのであろう年配の方の観客が多く思えたが、この作品はむしろ若い世代の方に観て欲しいと思った。例えエルヴィスを知らなくとも、「音楽の歴史が変わる瞬間」を、その熱狂と興奮の様を、是非体験してもらいたいのだ。音楽への熱狂、それはたとえどんな時代のものであろうとも、きっと理解してもらえるのではないか。

音楽映画と言えばクイーンのフレディー・マーキュリーの半生を描いた『ボヘミアン・ラプソディ』(18)、エルトン・ジョンを描く『ロケットマン』(19)など優れた作品があるが、そういった音楽映画の好きな方にもお勧めしたい作品だ。さらにこの『エルヴィス』には、ジェームズ・ブラウンを描いた映画『ジェームス・ブラウン ~最高の魂(ソウル)を持つ男~』(14)を思わせるソウルフルなパワーも存在する。そしてこの映画はなんといってもバズ・ラーマン久々の監督作だ。これは観なきゃ損というものだろう。

悪魔メフィストフェレスとの契約によりこの世の栄華を体験したファウスト博士は、死してその魂を地獄へ引き渡されそうになるが、かつての恋人グレートヒェンの祈りによって救済された。パーカー大佐との契約により栄華と絶望を体験したエルヴィスの魂は、果たして救われたのだろうか。でもそれはきっと、今も世界のどこかで流れているであろうエルヴィスの曲を愛する多くの者たちによって、天上へと導かれたに違いない。

ロックよもやま話:オレと初期ブライアン・イーノ

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初期のブライアン・イーノ

ブライアン・イーノと言えば今はアンビエント・ミュージックの創始者のような扱いだが、オレはもっとロックなアルバムをリリースしていた頃から聴いていた。最初にアルバムを買ったのは1977年、その年発売のソロ5枚目となる『ビフォア・アンド・アフター・サイエンス』だった。

どのようにしてイーノの事を知ったのかは覚えていないのだが、1977年と言えばイーノの参加したデヴィッド・ボウイのアルバム『ロウ』や『ヒーローズ』がリリースされた年で、さらに当時からイーノが以前在籍していたバンド、ロキシー・ミュージックもよく聴いていたから、名前は知っていたはずだ。

とはいえ、オレが『ビフォア・アンド・アフター・サイエンス』で知ったイーノは既にすっかり頭頂部の寂しくなった中年男性だったが、その後ロキシー・ミュージック在籍時の写真を見たとき、そのド派手でグラムなルックスに椅子からずり落ちそうになった!なんだこの落差は!

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グラム時代のブライアン・イーノさん

というわけで今回はそのイーノのアルバムを、アンビエント・ミュージックが発動する1977年までの初期の頃に限定してざっくりと紹介。だいたいアンビエントは紹介してゆくときりが無いし、アンビエント以外でも中期以降のイーノはアルバムが山のように出ていて、結構聴いてはいるんだが全部は追い掛けきれない!あとコンピレーションとプロデュース・アルバムも省いた。

『ヒア・カム・ザ・ウォーム・ジェッツ』(1974年)

まずは1974年作の1stアルバム『ヒア・カム・ザ・ウォーム・ジェッツ』。ロキシー・ミュージック脱退後に製作したアルバムだが、本人が自らを「ノン・ミュージシャン」と呼んでいるように、楽器は全く演奏していない。ただ音作りのアイディアだけははち切れんばかりにあった人で、様々な実験の中から試行錯誤しながら生まれたアルバムとなっている。アルバム全体としてはハチャメチャな作りでまとまりも欠けているのだが、変な音があちこちから聴こえてくるのは楽しい。

それと併せゲスト・ミュージシャンが豪華で、ロバート・フリップジョン・ウェットンといったキング・クリムゾン勢、フィル・マンザネラらロキシー勢(除くブライアン・フェリー)が参加し、ハチャメチャなだけではない音を聴かせてくれている。特に中盤からロバート・フリップのギターが狂ったように唸りまくる「Baby's On Fire」がなにしろスゴイ!

『テイキング・タイガー・マウンテン』(1974年)

74年にリリースされた2ndアルバム『テイキング・タイガー・マウンテン』は『ヒア・カム・ザ・ウォーム・ジェッツ』の延長線上にあるアルバムで、多少の分別が付いたのか、『ヒア・カム・ザ~』よりもまとまりがよくなっている。同時にハチャメチャ度も抑えられ、ちょっと普通になりかけてはいるのだが、それでも十分茶目っ気に溢れたアルバムだろう。

なにより、どこをどう聴いてもロックぽくなく、かといって非ロックなジャンルというわけでもない音で、イーノがかねてから「ロックのその向こうにあるもの」を見据えていたことがここに現われているんだろう。このアルバムもゲストが豪華で、フィル・マンザネラ、アンディ・マッケイのロキシー勢の他、カンタベリー・ロック・バンドとして名高いソフト・マシーン出身のロバート・ワイアット、さらにあのフィル・コリンズがドラムで参加している!

アルバムから1曲というならこの「Put a Straw Under Baby」かな。奇妙なキュートさと儚さを感じる曲だ。ロバート・ワイアットのヴォーカルもイイ!

『アナザー・グリーン・ワールド』(1975年)

初期のイーノで一番好きなアルバムはソロ3作目、75年リリースの『アナザー・グリーン・ワールド』だろう。

収録された全14曲はヴォーカル曲とインストゥルメンタルが半々だが、そのどれもが今で言うエレクトロニカサウンドのような、淡く美しく実験的な音に満たされていたのだ。オレはイーノのこのアルバムを聴くと、いつも頭の中にミロの絵画のようなパステル調の様々な色彩と図形が浮かんでは消えてゆくのが見えた。色彩感が豊かなのだ。

曲はどれも短めの小品が並ぶが、時にミステリアスで、時に茶目っ気たっぷりで、時に穏やかな安らぎを感じさせたりと、様々な感情がふわふわと現れては消えてゆくような構成になっていた。曲によっては夏の乾いた空気の匂いや、手に触れられそうなぐらいに濃い湿り気を帯びた夜の闇、そしてまだ肌寒い早朝の曙光の煌めきすら感じるほどだった。それほど五感に訴え掛けてくる曲調だったのだ。本当に一時、オレの心象風景とまでなってしまった至宝のアルバムなんだ。

どの曲が、と言うよりも、そういった曲の一つ一つがピースとなってモザイクのように1枚のアルバムを形作っている部分が好きなのだが、1曲だけというならこの「Everything Merges With The Night」を聴いてほしい。

ディスクリート・ミュージック』(1975年)
Discreet Music: Remastered

Discreet Music: Remastered

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イーノ4作目は初めてフルネーム名義となった『ディスクリート・ミュージック』。このアルバムはその後のアンビエント・ミュージックの胎芽ともなった作品で、1曲目の表題作は30分に渡ってイーノの操作する穏やかなシンセサイザー音があたかも夕暮れ時の静けさの如くひたすらたゆたってゆくだけのものとなっている。

2曲目以降の組曲パッヘルベルのカノンに基づく3つの協奏曲」は『タイタニック号の沈没』で有名なミニマル・コントラバス奏者、ギャビン・ブライアーズによるもの。

最初アルバムを聴いたときは少々高雅に思えて取っつき難かったが、その後アンビエント・ミュージックを聴くようになってからもう一度立ち返って聴いてみると、やはりなかなか落ち着くのですよねえ。

『ビフォア・アンド・アフター・サイエンス』(1977年)

オレのイーノ初体験アルバム『ビフォア・アンド・アフター・サイエンス』は実に面白いアルバムだった。ロックのフォーマットにありながらそこからどこか逸脱したものを感じたのだ。さらにボウイに通じる知的な煌めきと美意識がそこにはあった。それと、レコードには4枚の美しい水彩画のリトグラフが封入されていて、当時それがとてもオレのお気に入りで、机の前に貼っていたりした(今でも持っているけど宝物だなあ)。

『ビフォア・アンド・アフター・サイエンス』はA面はロック的なサウンドが並んでいたが、B面は一転して静謐なサウンドで占められている。そしてそのB面の素晴らしさが、聴き続けているうちにジワジワと心に沁みてきたのだ。特にこの曲「By This River」などは、その後多くのアーティストによりカヴァーされたので、知っている方も多いかもしれない。

その他初期ブライアン・イーノ関連作

ロバート・フリップとのコラボ『No pussyfooting / Fripp & Eno』は1973年リリース。イーノが録音したギターのループサウンドロバート・フリップが様々にフレーズの変わってゆくギター音を乗せてゆく。ところでこのアルバム、2枚組CDが存在してたんだね。早速購入したけど、全部同じ音だね!(白目)

No Pussyfooting

No Pussyfooting

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もう一つ、ロバート・フリップとのコラボで『Evening Star / Fripp & Eno』は1975年作。実は『アナザー・グリーン・ワールド』と並んでオレの愛して止まないイーノ参加アルバムだ。あたかもそよ風が吹き抜けてゆくような静謐さと爽やかさがいい。

Evening Star

Evening Star

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クラウト・ロックのユニット、ハルモニアとのコラボ『Tracks & Traces / Harmoniaは76年製作だが実際にリリースされたのは97年のこと。

Tracks and Traces

Tracks and Traces

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『Cluster & Eno』クラウト・ロックのユニット、クラスターとのコラボで77年リリース。

Cluster and Eno

Cluster and Eno

  • アーティスト:Cluster
  • Bureau B
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1976年にフィル・マンザネラとイーノが結成したバンド、801の『801ライヴ』はインテリジェンス・ユーロ・ロックの名盤中の名盤だが、なんと2枚組バージョンが発売されたいたことはつい最近知った!もちろん即購入!

なお今回は「ロッキングオン2022年2月号 ブライアン・イーノ特集」を若干参考にさせていただきました。

フランス文学探訪:その11/『ラ・ロシュフコー箴言集』

ラ・ロシュフコー箴言集 / 二宮フサ(訳)

「われわれの美徳は、ほとんどの場合、偽装した悪徳に過ぎない」―よく知られたこの一句が示すように、ラ・ロシュフコー(1613‐80)の箴言は、愛・友情・勇気など美名の下にひそむ打算・自己愛という業を重い律動感のある1,2行の断言であばき、読者を挑発する。人間の真実を追求するフランス・モラリスト文学の最高峰。

箴言」とは「教訓の意を持つ短い句、戒めとなる言葉」の意であり、思いっきり卑俗に言うなら「名言」であり「名言集」だと捉えてもいいだろう。ちなみに「箴言」は「せんげん」と読むが、オレはこの『ラ・ロシュフコー箴言集』を読み終わる間際までずっと「ちくげん」と読むと思っていた。「蘊蓄」の「蓄」と勘違いしていたのであろう。オレの教養というのはその程度のレベルである。

さてこの『ラ・ロシュフコー箴言集』はフランスの貴族、モラリスト文学者であるラ・ロシュフコー公爵フランソワ6世(1613-1680)が書いた「名言集」である。真摯かつ鋭利な人間観察から導き出された「人間本質の実相」を抉り出すものであり、雑駁な印象で受け止められていたものに核心を見出す試みであり、当為と見なされている物事に別の角度から光を当てることにより真なる形質を探ろうとする行為である。

箴言」であるがゆえに殆どは1、2行の文章で成立しており、「山椒は小粒でもぴりりと辛い」名句・警句が目白押しだ。確かに読んでいて「ほうほう」「なるほど」「確かに」と頷かされること必至である。ただしラ・ロシュフコー箴言はどこか辛辣でありちょっとした皮肉や毒が籠っているように思う。例えば:

「31:もしわれわれに全くの欠点がなければ、他人のあらさがしをこれほど楽しむはずがあるまい」「64:真実は、見せかけの真実が流す害に見合うだけの益を、世の中にもたらさない」「361:嫉妬は必ず愛とともに生まれるが、必ずしも愛と共に死なない」「375:凡人は、概して、自分の能力を超えることすべてを断罪する」……etc。これらどうにも毒と皮肉の混じった箴言の幾つかは、アンブローズ・ビアスの『悪魔の辞典』をフランス風に遠回しに柔らかく書いたが如き印象を若干受けもした。

また、ページを適当に開いてそこに書かれた箴言を堪能するのと、本を最初から通読する形で読み進んでゆくのとでは、箴言への印象が異なるのを感じた。一句一句抜き出すならば、「それなりにもっともらしいことが書かれているな」程度には思う。しかし通読して感じるのは、当然だがこれが17世紀フランス貴族によって書かれたものであるということだ。愛や理性、「紳士の気質」といった記述からは、やはり当時のフランス貴族社会が透けて見えるのだ。

それはサロンに代表される知的な有閑階級の、ある種の矜恃なのだろう。そういった部分でここに書かれた「箴言」は、良い意味でも悪い意味でも貴族的なもののように感じた。とはいえ、貴族社会で生きることの心情と意識とを垣間見ることができるといった点では、ひとつの文学として成立しているのかもしれない。なお「箴言集」の他に後半部には長文の「考察」が掲載されているが、こちらはバリバリに貴族意識でもって書かれていて、ちょっとついていくのがキツかった。

娘の嫌疑を晴らすため異国の地を彷徨う父の姿を描いた映画『スティルウォーター』

スティルウォーター (監督:トム・マッカーシー 2021年アメリカ映画)

マット・デイモンって結構好きな俳優なんですよ。決してビジュアル的にイイ男というわけでもなく、実のところ少々イナタい匂いがしているんですが、その部分に「アメリカの男」のひとつの典型を見事に代表しているなあ、と思えるからなんですよ。「ジェソン・ボーン」シリーズや『オデッセイ』などのアクション・SF作品も好きですが、『レインメーカー』や『ヒア・アフター』の人間ドラマでもとてもいい味を出していました。

今回紹介する映画『スティルウォーター』、予告編からだとサスペンス作品のように思わされますが、実は『ヒア・アフター』のような人間ドラマが展開する作品なんですね。そしてこれが非常に優れた佳作として完成しているんです。共演として『リトル・ミス・サンシャインアビゲイル・ブレスリン、『ハウス・オブ・グッチ』のフランス女優カミーユ・コッタン。監督は『スポットライト 世紀のスクープ』のトム・マッカーシー

留学先の仏マルセイユ殺人罪で捕まった娘アリソンの無実を証明すべく、米オクラホマ州スティルウォーターから言葉も通じない異国の地へ単身渡ったビル。現地の協力者を得るも、ほとんどの地元民はよそ者のビルに口をきこうともしない。何者かの襲撃を受けるなど自らの身にも危険が迫る中、ビルはわずかな手がかりを頼りに前進していくが……。

スティルウォーター : 作品情報 - 映画.com

マット・デイモン演じる主人公ビルは田舎住まいの無学で粗野、やもめ暮らしの肉体労働者として登場します。彼の娘アリスン(アビゲイル・ブレスリン)はそんな彼とその環境に嫌気がさしフランスに留学したのです。ですから二人の関係は良好なものとはいえません。ビルはアリスンと面会するためにフランスに渡りますが、彼はフランス語が話せず、アメリカの田舎者といった風情の彼をフランス人はまともに取り合いません。この作品にはまず、こういったコミュニケーション不全による齟齬が描かれます。そしてビルは異国で途方に暮れてしまうのです。同じ図式の作品にロマン・ポランスキー監督による『フランティック』(88)という作品があり、やはり異邦の地フランスで彷徨う羽目になるアメリカ人を描いています。

そんな彼を助けることになるのが滞在するホテルで知り合ったフランス人シングルマザーのヴィルジニー(カミーユ・コッタン)です。彼女は通訳を買って出て、ビルが様々な場所で事件の真犯人捜しをするのに力を貸します。ヴィルジニーは知的な舞台女優で、いかにもフランス人といった性格やライフスタイルをしており、アメリカの粗野な田舎者であるビルとは真逆の性質を持つ人間です。そんな二人が協力し合う部分、価値観の違いから時に対立する部分がこの作品の面白さの一つとなります。

また、なかなか二人にロマンスが生まれない、ある意味定石外しの展開も新鮮に感じました。しかし、ヴィルジニーの小さな娘マヤとビルが心を通わせていくことで、ヴィルジニーも少しづつビルに心を許していくようになります。実の娘が収監された国に赴き、その異国で別の家族との家族関係が形成されるという人間関係の奇妙さ、しかしそれが異国人同士という微妙なバランスで成り立っているという不安定さ、その辺りにシナリオの妙を感じます。

舞台となるマルセイユはフランスで最も治安の悪い街として知られています。フランス映画『ディーパンの戦い』(05)でもスリランカ移民がフランスのこのような街に住み暴力的な事件に巻き込まれる様を描いていました。文明国であるフランスにも暗部はあるのです。そしてビルの娘アリスンは故郷を捨て新天地であるはずのこの街に越してきたばかりに事件に見舞われます。一方、アメリカで底辺生活を送るビルはこの街で愛を見つけることになります。こうしてこの作品は「安息の地とはどこなのか」を描くことになるのです。それは「ここではないどこか」なのか。それとも「愛する者のいる場所」なのか。では愛を失ったものはどこへ行けばいいのでしょう。この行き場の無さ、やるせなさがこの物語を一層切ないものにしているのです。

 

サンドラ・ブロック主演の映画『ザ・ロストシティ』は実に充実したアクション・コメディだったぞ

ザ・ロストシティ (監督:アダム・ニー/アーロン・ニー 2022年アメリカ映画)

ロマンチック・アドベンチャーを得意とする女性作家ロレッタが突如サイコなお金持ちに拉致された!?「君の小説に古代財宝の鍵が記されてるんだよゲヒヒ」とばかりにサイコな金持ちはロレッタと共に大西洋に浮かぶ孤島に飛び立つ!一方、ロレッタの小説にマッチョ男として表紙を飾るアランは、ロレッタを助けるべくその後を追う!しかしそのアラン、単なる脳筋野郎であまり役に立ちそうにない!?果たしてロレッタとアランの運命は!?

アクション・コメディ映画『ザ・ロストシティ』です。大恋愛と大冒険を描くロマンス作家ロレッタですが、実生活では単なる引きこもり、大恋愛にも大冒険にも全く縁のない生活を送っています。一方、伊達男として表紙モデルを務めるアランは、見た目こそ甘いマスクのマッチョですが、実のところトンチンカンな脳筋ボンクラ男です。こんな、現実的にはたいしたことのない男女が、小説そのものの危険な大冒険に放り込まれ、上を下への大騒ぎを繰り広げる、というのがこの作品です。

主演はサンドラ・ブロック。素敵な女優さんですよね。大ブレイク作『スピード』、アカデミー主演女優賞ノミネートの『ゼロ・グラビティ』などでアクションもお手の物ですが、『デンジャラス・ビューティー』シリーズではアクション・コメディも披露し、この『ザ・ロストシティ』の期待も大いに高まります。今作ではプロデュースも務めていてやる気満々、そのせいか本国では大ヒットを記録した作品です。チャニング・テイタムダニエル・ラドクリフブラッド・ピットらの豪華キャストも見逃せません。

物語は『ジャングル・クルーズ』や『アンチャーテッド』のようないわゆる「秘境探検モノ」です。とはいえ、アクションよりもコメディが主体で、主演の二人は望んだわけでもなく危険な秘境を右往左往する羽目になるんです。サンドラ・ブロック演じるロレッタなんて小説キャンペーン会場からそのまま拉致されてきたので、紫ラメのジャンプスーツでジャングルを彷徨う、というトホホな見た目が可笑しいんです。こういった「秘境探検モノ」を男性ではなく女性主体で描いた部分もこの作品の面白みの一つでしょう。

ロレッタを助けるべくやってきた脳筋マン・アランは、彼女を慕ってというよりは、いつもギクシャクした関係であるロレッタに認められたいがために危険に飛び込みます。最初はまるで頼りなかった彼ですが、そのがむしゃらさで次第に敵を撃破してゆくようになるのも見所の一つです。そしてこのアランとロレッタの、ロマンスが生まれそうで生まれない部分もなかなかにニマニマさせられます。二人を執拗に追い詰めるサイコな大富豪フェアファックス(ダニエル・ラドクリフ)は漫画みたいな現実味のないキャラですが、だからこそ物語を必要以上にシリアスにすることなく、きちんとコメディへと収斂させているんですね。

物語展開はとてもフットワークよく軽やかで、コメディとアクションのバランスも絶妙です。もちろん「古代財宝の謎」もきっちりと盛り込まれ、物語への興味を持続させ続けます。キャストはどれもハマリ役で、演じるキャラも強い印象を残します。クスリと笑わせ爽快なアクションも見せる本作は、全ての面において過不足ない十分満足のできる娯楽作であることは間違いありません。なにしろリラックスして観られる部分がよかったですね。これは観なきゃ損ですよ!