『MERCY/マーシー AI裁判』『ブラックフォン 2』など最近観た配信映画

MERCY/マーシー AI裁判 (監督:ティムール・ベクマンベトフ 2025年アメリカ映画)

AI検事が99%の正確性で犯罪者を裁く近未来を舞台に、妻殺しの疑いで逮捕された刑事クリスが法廷でAIと対峙する物語。無実を証明する猶予はわずか90分、失敗すれば即時処刑という極限状況が描かれる。主演はクリス・プラット、レベッカ・ファーガソン。監督はティムール・ベクマンベトフ。

昨今のAIトレンドを映画と結びつけた商魂たくましい一作。とはいえ、「嫌疑を晴らすタイムリミットは90分、失敗したら即処刑」という設定は、笑ってしまうほど乱暴で極端だ。「データベースから証拠を見つけろ」とはいうが、それならAI自身がデータベースを検索すればいい話だし、データベースだけで証拠を集めよというのも相当に雑である。そもそも裁判中にすら捜査が完了していないとは、制度としてあまりにもひどいと突っ込まずにはいられない。

しかし、こうした荒唐無稽さを「ゲームのルール」と割り切って観れば、意外と楽しめる。窮地に追い込まれた主人公による真犯人探しのスリラーとして観るなら十分にサスペンスフルであり、思わぬ真相が明かされるミステリ構造としても及第点だ。特に、AI検事が冷徹な存在ではなく、公平で沈着冷静なアシスタントとしてクリスをサポートしていく過程は、なかなか見ごたえがある。

つまり本作の骨子は、主人公とAIがバディを組み、データベースを駆使しながら事件を解決するというものであり、タイムリミットや即処刑といった設定は蛇足なのだ。物語を盛り上げようとしてひねりを加えたのだろうが、結果的には悪手であり、やるとしても別のアプローチを取るべきだった。サスペンス部分はよくできていたので、おかしな設定にさえ目をつぶれば楽しめるだろう。AI検事を演じるレベッカ・ファーガソンが本当にAIモデルのような冷たい美しさを見せる部分も見どころだ。


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ブラックフォン 2 (監督:スコット・デリクソン 2025年アメリカ映画)

前作から4年後、誘拐殺人鬼グラバーを倒した少年フィニーはトラウマに苦しみ、妹グウェンは不気味な悪夢に悩まされている。雪山のウィンターキャンプで少年たちが次々と失踪する事件に巻き込まれ、死者からの電話が再び響くなか、兄妹は家族と殺人鬼の恐ろしい繋がりを暴いていく。

主演はメイソン・テムズ(フィニー)、マデリーン・マックグロウ(グウェン)。イーサン・ホークが再びグラバーを怪演。監督はスコット・デリクソン(『ドクター・ストレンジ』『エミリー・ローズ』)。

前作『ブラックフォン』は非常に楽しめた作品だった。単なる誘拐殺人者の物語かと思いきや、死後の世界から被害者たちの霊が黒電話を通じて助言を与えるという斬新な設定が光り、緊張感と意外性が絶妙に絡み合っていた。それだけに、続編をどう展開させるかが監督の腕の見せ所となる。

今作では主人公を妹グウェンにシフトし、舞台を閉ざされた雪山のウィンターキャンプへと移した点が新鮮だ。夢の中での電話やビジョンを軸にホラー要素を深化させようとする意欲は感じられるし、グラバーの正体に肉薄していく展開も悪くない。

ただ、「夢の中で甦る殺人鬼」という趣向が『エルム街の悪夢』をあまりに想起させ、新鮮味に欠けるのは否めない。全体として丁寧に作られており、雰囲気も俳優陣も申し分ないのだが、その丁寧さが逆にパンチ不足を生んでいる。恐怖のピークが控えめでインパクトに欠けるぶん、前作ほどの興奮は得られなかった。続編として及第点ではあるが、前作のようなエグ味がもう一押し欲しかったところだ。


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人間の抱える「ちぐはぐさ」の果てにある滑稽と悲哀/映画『しあわせな選択』

しあわせな選択 (監督:パク・チャヌク 2025年韓国映画)

「仕方がない? いや、本当に仕方がないのか――。」

本作は、韓国の巨匠パク・チャヌク監督によるブラックコメディ・スリラーだ。突然の解雇で人生が崩壊したサラリーマンが、再就職のために常軌を逸した「選択」を迫られる姿を、アイロニーと黒いユーモアで描き出す衝撃作である。

【STORY】 製紙会社で25年真面目に働き、妻ミリ(ソン・イェジン)と子ども2人、愛犬2匹と郊外の家で幸せを満喫していたマンス(イ・ビョンホン)。しかし突然のリストラで人生は崩壊する。再就職活動が失敗続きとなり、家族の離散と住む家を失う危機に追い詰められた彼は、絶望の底でひとつの決断を下す——就職活動の障壁となるライバル3人を、殺人によって排除することを。

【キャスト・スタッフ】 主演は『JSA』以来25年ぶりにパク監督とタッグを組んだイ・ビョンホン(ゴールデングローブ主演男優賞ノミネート)。妻役には『愛の不時着』のソン・イェジン(青龍映画賞主演女優賞受賞)。監督のパク・チャヌクは『オールド・ボーイ』『別れる決心』などで知られる世界的な名匠で、本作はトロント国際映画祭国際観客賞を受賞している。

パク・チャヌクは、韓国映画界でも別格と言える存在だ。「復讐三部作」をはじめ、ハリウッド進出作まで手がけ、鮮烈かつ芸術性の高い作品群を世界に発信してきた。そして前作『別れる決心』では、悲恋と犯罪を超えた「奇妙な余韻」で観る者を揺さぶった。

本作『しあわせな選択』もまた、一言では言い表せない「奇妙さ」が全編を覆う。原題「어쩔수가없다」(英題:No Other Choice)は「仕方がない」「どうしようもない」を意味する。では、何が「仕方がない」のか。何がどう「奇妙」なのか。

追い詰められたマンスが選んだのは、ライバル3人の殺害という暴挙だ。しかし彼は狂った殺人鬼ではない。仕事を愛し、家族を愛し、小心で人間臭い小市民である。ただ一点——殺人を実行してしまうこと以外は。しかも、製紙会社以外の転職先を一切思いつかないまま「仕方がない」と自己正当化し、犯行に踏み切る。その視野狭窄の滑稽さと、追い詰められた者の悲哀、そして行動の「ちぐはぐさ」。これこそが本作の核心だ。

マンスはターゲットの妻の不倫を心配し、同業者であることに共感し、相手の失業に同情する。犯行の合間には妻の冷たい態度や息子の警察沙汰に心を痛め、娘の音楽の才能に希望を燃やす——そしてその間にも、殺人と死体の隠滅は着々と進む。この「ちぐはぐさ」に観客は混乱し、「こいつはいったい何をしているんだ?」と思いつつも、つい黒い笑いを漏らしてしまう。

人間の思考と行動には複数のレイヤー(理性・感情・衝動・社会的自己)が並存し、しばしば相反しながらも、なぜか「ひとつの私」としてまとまって存在している。本作でパク・チャヌクが描くのは、この「奇妙さ」そのものだ。矛盾と自己欺瞞、自己正当化の果てにある滑稽さと悲哀——こうした人間の本質を、彼は鮮やかに切り取ってみせる。

のみならず、本作では音楽の使い方、質、タイミングが素晴らしく、映像にしても、前作ほどの実験性は薄くはあるが、時折「え?」と驚かされる効果を使用する。これらから感じるのは、本作がそのテーマ性のみに特化した作品ではなく、パク監督の絶妙な遊び心、その柔軟な芸術性に則って製作された作品であることが大いに伺えるのだ。併せて、出演者の存在感、彼らの演出の楽しさが格別だ。総じて、パク・チャヌクは、またしても傑作を生みだしたといえるだろう。


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人類ほぼ絶滅!?残り1300万人が参加する宇宙人主催デスゲームに(猫といっしょに)出ろだって!? / 『冒険者カールの地球ダンジョン1 宇宙人襲来! 飼い猫とダンジョンに放りこまれたんだが?』

冒険者カールの地球ダンジョン1 宇宙人襲来! 飼い猫とダンジョンに放りこまれたんだが? / マット・ディニマン (著), 中原 尚哉 (翻訳)

冒険者カールの地球ダンジョン 1: 宇宙人襲来! 飼い猫とダンジョンに放りこまれたんだが? (ハヤカワ文庫SF)

俺はカール。27歳。ある日突然やってきた宇宙人によって、人類はほぼ滅亡した。運よく(悪く?)無事だった俺は、元カノの飼い猫・プリンセス・ドーナツ・ザ・クイーン・アン・チョンク(通称ドーナツ)とともに、宇宙人が惑星そのものを改造した“地球ダンジョン”で、生き残りの人類1300万人とデスゲームをするはめに。しかも殺人兵器を操るゴブリンや溶岩を吐くリャマとバトる様子が、娯楽として全銀河に配信されるって!? 

突然現れた宇宙人により人類がほぼ全滅。生き残った者はダンジョンに改造された地底へと放り込まれた。主人公カールも飼い猫ドーナツと共にダンジョンへ送り込まれるが、そこで待ち受けていたのは不気味で不細工なモンスターの群れ。連中を倒すとアイテム入手、レベルアップ——これってまるでRPGじゃないか! そう、これは今や銀河中で大人気のリアルサバイバルデスゲーム番組だったのだ。全18階層、奥へ進むほど難易度は跳ね上がる。カールとドーナツは果たして生き残れるのか?

ダンジョン×サバイバルSFエンタメ小説『冒険者カールの地球ダンジョン1 宇宙人襲来! 飼い猫とダンジョンに放りこまれたんだが?』である。日本のラノベのように長いタイトルだが、ラノベファンには馴染み深い「なろう系異世界転移」的な世界観も共通している。さらに本作には「ゲームのリプレイ風の面白さ」が加味される。戦闘ログやトラップ攻略の描写がTRPGのセッション実況のように詳細で、まるで自分がダンジョンを攻略しているような気分に浸れる。そして何より、相棒となる猫ちゃんがとびきりキュートなのだ。

作者のマット・ディニマン氏は、アメリカLitRPGジャンルの第一人者だ。LitRPGとは、RPGのゲームシステム(レベル、経験値、スキル、ダメージログなど)が数値や通知として物語に組み込まれた小説ジャンルで、読者が「自分がプレイしている」ような没入感が最大の魅力だ。2010年代にロシアで生まれ、英語圏のKindle自費出版で爆発的に広まったという。本作は2020年にスタートし、現在シリーズ累計600万部超え、NYTベストセラー、Books-A-Million Book of the Year受賞、TVドラマ化決定と、アメリカで「カール旋風」が吹き荒れている。

いやあ、面白かった。ラノベ的な親しみやすさ、ゲームのリプレイ風の楽しさはもちろん、全篇に漂うコミカルな雰囲気が最高だ。

まず、主人公は物語を通じてずっとズボンを履いていない。飼い猫ドーナツを探しに上着+パンツ一丁で外へ出たところをダンジョンに送り込まれてしまったのだ。これはパンツなしで地球を救う男の壮絶サバイバルなのだ!?そして猫のドーナツは魔法によって言葉を話せるようになるのだが、その口調がなんと超高飛車な女王様スタイルで、カールは終始下僕扱い。しかしドーナツは強力な魔法ジョブを使いこなすメイジ猫でもある。さらに登場するモンスターはどれもコミックタッチのいかれた見た目で、下品でえげつない攻撃を仕掛けてくる連中ばかりだ。

そんなカールとドーナツが、奇天烈なモンスターを攻略しながらダンジョン下層を目指す本作は、徹底的にビデオゲームらしさを打ち出している。視界に常にゲームUIがポップアップし、倒したモンスターが落とすアイテムも使えないものからレアアイテムまで多彩。それらを効率的に組み合わせながら攻略を進める楽しさは格別だ。ダンジョン内には他の生き残り人類も多数おり、パーティーを組んだり、あるいはPvP(対人戦)に突入したりと展開も豊か。ゲーム好きとして、まさに実際にゲームをプレイしているような感覚を存分に味わえた。

特にボス戦の興奮は最高潮で、凶悪な攻撃を仕掛けてくるボスをいかに攻略するかを作戦立てて挑む場面は手に汗握る。しかもこの世界では一度死んだら終わり、セーブポイントからやり直しは利かないという緊張感も抜群だ。

本作の後に第2巻の刊行が控えているが、物語はまだ序盤。ゲームクリアとなる第18階層まで、まだまだ長い道のりが続く。原書はすでに7巻まで発売されており(8巻は2026年5月予定)、著者は全10巻構想を描いているという。ぜひ日本でも続刊を次々と届けてほしい。先が楽しみで、もう待ちきれない!

 

 

『木曜殺人クラブ』『ナイブズ・アウト:ウェイク・アップ・デッドマン』など最近観た配信映画

木曜殺人クラブ(Netflix映画)(監督:クリス・コロンバス 2025年アメリカ映画)

映画「木曜殺人クラブ」は高齢者である主人公らが殺人事件の探偵を務めるという痛快コメディ・ミステリーの傑作だ。

物語は、引退後の穏やかな生活を送る老人ホームの住人たちが、毎週木曜に集まって未解決事件を推理する「木曜殺人クラブ」を趣味にしているところから始まる。しかし、ある日ホーム周辺で本物の殺人事件が発生。彼らは好奇心と正義感から、警察を出し抜いて独自に捜査に乗り出し、次々と事件に巻き込まれていく。原作は英国の人気司会者リチャード・オスマンのデビュー小説で、世界中で大ベストセラーとなったシリーズの第一作。監督は『ホーム・アローン』や『ハリー・ポッター』シリーズ初期2作を手掛けたクリス・コロンバスが務め、軽快なテンポで映像化している。

何より圧巻なのがキャストの豪華さ。ヘレン・ミレン、ピアース・ブロスナン、ベン・キングズレー、セリア・イムリーという英国を代表する名優たちが揃い踏み。特に、私の一番のお気に入りであるヘレン・ミレンが演じるエリザベスは冷静沈着なリーダー役で、貫禄と知性に満ちた魅力が全開だ。ブロスナンの元労働組合リーダー、キングズレーの元精神科医、イムリーのケーキ上手な元看護師も、それぞれ個性が爆発していて見ていて楽しい。

主人公たちが全員老人という設定に、最近自分も歳を重ねてきた身として強く惹かれた。高齢者の日常や友情が温かく描かれつつ、介護問題や移民をめぐる現実の厳しさも自然に織り込まれ、ただの軽いミステリーに終わらない深みがある。ストーリーは緩急自在で、ユーモアたっぷりの会話と意外な展開が交互に訪れ、完全に目が離せなかった。特にヘレン・ミレン演じるエリザベスの「真の顔」が明らかになる瞬間には、思わずニヤリとしてしまった。それに、劇中で登場するケーキがとにかく美味しそうで、観ているだけでお腹が空いてくる!総じて、大変楽しめる一本だった。シリーズ原作が続いているだけに、続編が待ち遠しい。老人たちの冒険はまだまだ続きそうだ。


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ナイブズ・アウト:ウェイク・アップ・デッドマン (Netflix映画)(監督:ライアン・ジョンソン 2025年アメリカ映画)

舞台は雨の降るアメリカ田舎町の古びたカトリック教会。元ボクサーの若き神父ジャド(ジョシュ・オコナー)が助祭として赴任するが、支配的な老司祭モンシニョール・ジェファーソン・ウィックス(ジョシュ・ブローリン)がグッドフライデーの礼拝中に密室で刺殺される。信者全員が容疑者となる不可能犯罪に、地元警察がブノワ・ブラン(ダニエル・クレイグ)を呼び、無神論者の名探偵が信仰に悩むジャドと協力して真相を追う。

なにしろキャストが豪華。ダニエル・クレイグは髪を伸ばし髭をたくわえ、苛立ちと疲れが滲む演技。ジョシュ・オコナーのジャド神父は過去の罪を抱え信仰にすがる姿が圧倒的で、二人の対話が作品の核になっている。ジョシュ・ブローリンの支配的な老司祭をはじめ、グレン・クローズ、ミラ・クニス、ジェレミー・レナー、アンドリュー・スコット、ケリー・ワシントンら全員が怪しく映る。

監督はライアン・ジョンソン。『BRICK ブリック』『LOOPER/ルーパー』『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』を手がけ、アガサ・クリスティ風の古典的不可能犯罪を現代的に再構築。「信仰とは何か」「人は本当に赦されるのか」というテーマを深く掘り下げる。

ただ、探偵ブランが出てくるまでがやや長く感じられ、謎解き自体もあっさりした印象。登場人物たちのドタバタはユーモアと言うよりはヒステリックで観ていて引いてしまう。密室殺人のトリックは今一つのように感じたが、「死者の復活」には「まさか本当にやってしまうとは!?」とびっくりさせられた。全体的に主人公神父の内面的葛藤と人間ドラマが強く、観終わった後そこそこに余韻が残る。なお、1作目『ナイブズ・アウト』と2作目『ガラス・オニオン』は観ていないが、単独でも十分楽しめた。


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アンソニー・ホロヴィッツの『その裁きは死』を読んだ

その裁きは死 / アンソニー・ホロヴィッツ (著), 山田 蘭 (翻訳)

その裁きは死 ホーソーン&ホロヴィッツ・シリーズ (創元推理文庫)

実直さが評判の離婚専門の弁護士が殺害された。裁判の相手方だった人気作家が口走った脅しに似た方法で。現場の壁にはペンキで乱暴に描かれた数字“182”。被害者が殺される直前に残した謎の言葉。脚本を手がけた『刑事フォイル』の撮影に立ち会っていたわたし、アンソニー・ホロヴィッツは、元刑事の探偵ホーソーンによって、奇妙な事件の捜査にふたたび引きずりこまれて──。

アンソニー・ホロヴィッツのミステリをいろいろ読んできたけど、今回は〈名探偵ホーソーン〉シリーズ第2弾『その裁きは死』を紹介する。前作『メインテーマは殺人』に続くこのシリーズの最大の特徴は、作者アンソニー・ホロヴィッツ本人が小説の中に登場して、元刑事の凄腕探偵ダニエル・ホーソーンと一緒に事件を追う、というメタフィクション構造だ。まさに「作者がワトソン役をやってる」本格ミステリの新境地。

物語は離婚専門の優秀な弁護士が自宅で高価なワインのボトルで殴り殺されるところから始まる。現場の壁には謎の数字「182」が殴り書きされ、被害者が最後に残した不気味な言葉も謎を深める。ホロヴィッツはまたしてもホーソーンに強引に巻き込まれて捜査に同行する羽目になる。そこに新たな死が絡み、事件はどんどん複雑に……。

第1作が「ホーソーン&ホロヴィッツ」のキャラ紹介に重点を置いていたのに対し、本作では二人の関係性がかなり深く掘り下げられる。ただ、ホーソーンは相変わらず背景が謎だらけ。ぶっきらぼうで傲慢、自己中心的、無神経……正直「こいつ嫌い!」と思う読者が少なくないはずだ。作者が意図的に「推理は神がかり的だけど人間的には欠陥だらけ」の探偵を描いたのは明らか。でもその性格が作品の楽しさをかなり削いでしまっていると感じる。

一方、語り手の「小説内ホロヴィッツ」はこんなホーソーンに振り回されっぱなし。愚痴をこぼし、警察に脅され、命の危機にさらされ、推理を試みても毎回的外れ……。情けなさが極まっているけど、これこそ作者本人が自分をパロディ化した自虐芸だとわかると、むしろ微笑ましい。ホロヴィッツのこれまでの傑作を考えれば「こんなに間抜けなわけがない」と気づかされる仕掛けが秀逸だ。

そんな構造が徐々に腑に落ちてくる第2作。伏線回収の見事さとホーソーンの推理の切れ味は前作を上回る鋭さで、後半のどんでん返しは圧巻。シリーズは全10作予定で、ホーソーンの過去が少しずつ明かされていくらしい。ただ、正直に言うと……まだまだ謎の多い主人公に「次も絶対読みたい!」というほどの魅力が伝わってこないのが本音だ。ミステリとしての完成度は高いだけに、ホーソーンの「人間味」がもう少し見えたらもっとハマっていたかもしれない。というわけでシリーズを読むのは今作で打ち止めにする。