『チェコ21世紀SF短編集』を読んだ

チェコ21世紀SF短編集 / ズデニェク・ランパス (編集), 平野清美 (翻訳)

チェコ21世紀SF短編集 (平凡社ライブラリー1010)

ドイツとソ連、二つの大国に翻弄された激動の歴史を背景に、政治への鋭い批判と奇抜な設定でチャペック以降、世界中の読者を魅了し続けるチェコSF(フアンタスチカ)。 国内でも圧倒的な人気ジャンルとして年間1000点以上を刊行し、その約半数が女性作家の手によるチェコSFから、21世紀に発表された選りすぐりの短編七編を収録。

チェコSFの最大の特徴は、激動の国家史と深く結びついた「抵抗の想像力」にある。「ロボット」という言葉を生み出したカレル・チャペックに始まり、共産主義体制下の寓話的抵抗、プラハの春、そして1989年のビロード革命後の開花へ——大国に翻弄されてきた小国の文学的したたかさが、このジャンルの底流に一貫して流れている。

こうしたチェコSFの歩みを紹介するアンソロジーを、平凡社がこれまでに2冊刊行している。『チェコSF短篇集』と『チェコSF短篇集2』だ。私はその両方を読んだが、どちらも独特の味わいとチェコならではの着想が生きる素晴らしい短篇集だった。今回紹介する『チェコ21世紀SF短編集』は、その最終章として21世紀の最新チェコSFを紹介するアンソロジーとなる。ハードSFからファンタジー寄り、歴史改変まで幅広く7編を収録し、チェコの激動の歴史が背景に感じられるのが魅力だ。女性作家の躍進ぶりもまた特徴的だろう。

全体的な読後感としては、SFジャンルがよりポピュラーになることにより、SFファンの喜びそうなガチガチなSFよりも、一般読者に受け入れられやすいファンタジーやホラー寄りの作品が特に目につき、これまでの2冊のアンソロジーと印象がかなり異なったものになっている。これもまた、日本のSFがそうであったように、SFの浸透と拡散、さらにコンテンツ化が進んでいることの表れなのだろう。では作品をざっと紹介してみよう。

「アーサー・ブルックスを愛したもの」(パヴェル・フリッツ)は亜空間航行のナビゲート衛星を舞台にしたファーストコンタクトもの。主人公が発見したのは「他者」という認識の存在しない知性体だった。対話の中で「自己/他己」の概念を獲得してゆく知性体だが、そこに一人の女性航行士が登場することで事態は一変。主人公とのエゴの共有こそをコミュニケーションと誤解した知性体は、女性航行士の排除に乗り出すのだ。『ソラリス』の如く始まった自己認識についての哲学的考察が、突然生臭い嫉妬の物語に変転することの面白さ!「他者とは地獄である」ことを異星生命体の自己認識で展開する手腕が凄い。

「ラマリス炎上」(ヴィルマ・カドレチコヴァー)は先端科学技術と魔法とが同居する世界で、過去へのタイムトラベルをレジャーとして提供する女性が巻き込まれた事態を描くファンタチスカ(チェコのファンタジーSF的ジャンル呼称)。独特な世界観ではあったが、読後感としては時空を超えた痴話喧嘩だったなあという印象。「膨張列車」や「樹液」といった訳文は直訳なのだろうが、イメージしにくいのが難だった。

「英雄の道」(ヤン・ポラーチェク)は第2次世界大戦において日本とナチスドイツが勝利へと突き進む歴史改変小説のプロローグ部分の抜粋。ナチスドイツに解体・占領された当時のチェコの苦悩がじわじわと滲み出る凄味がある。

「人生は一度きり」(ヤン・フラーフカ&ヤナ・ヴィビーラロヴァー)は「強力な力を持つ少女」の獲得のためにヴァンパイア氏族同士がパラレルワールドを行き来しながら戦いを繰り広げるファンタチスカ。ハリウッドヒーロー映画のようなアクションが展開し、大いに一般受けしそうな内容だが、私にはやや食い足りなかった。なお表紙のアメコミ調のグラフィックはこの作品を題材にしたものだろう。

「中空の七角形」(ペトル・スタンチーク)は「チェコの煙突掃除人」というフォークロア的側面を持つ存在(ボタンを触ると幸福になると伝えられている)を中心に据えながら、幻想の中世プラハを現出させた神秘的な作品。チェコの古い歴史を振り返るノスタルジックな味わいが印象に残る。

「インスタンス──インテリジェント検索エンジンのケーススタディ」(ユリエ・ノヴァーコヴァー)はAI検索エンジンが実は自意識を持っており、検索内容にいちいち突っ込みを入れていたという、このアンソロジーで最も現代的なコメディ作。このAIの愚痴がどうにも納得できる部分が実に可笑しい。

「融点」(マルチン・ギラル)は太陽の温度低下の原因を探るために太陽表面探査が行われるというハードSF。どことなく今話題の『プロジェクト・ヘイル・メアリー』を思わせるテーマであると同時に、デヴィッド・ブリンの長編SF『サンダイバー』と共通の内容である点が興味深い。表面温度が6000度に達する太陽光球に人類がどのようなテクノロジーで挑むのかが見どころ。ソ連がペレストロイカを乗り越えて未だ存在するという歴史改変部分も面白い。

チャペックから百年、チェコSFは「抵抗の想像力」から「拡散する想像力」へと変容しつつある。それは喪失ではなく、進化なのかもしれない。小国の文学が培ってきた批評精神は、AIや宇宙や歴史改変という新しい衣をまといながら、確かに生き続けている。

 

『スパイダー・ノワール』『グッド・オーメンズ シーズン3』など最近観た配信ドラマ

スパイダー・ノワール(Amazon Prime video)(監督:ハリー・ブラッドビアーほか 2026年アメリカ製作) 

1930年代ニューヨーク。かつて街の唯一のスーパーヒーロー「ザ・スパイダー」として活躍したベン・ライリー(ニコラス・ケイジ)は、今や冴えない私立探偵として日々を過ごしていた。平凡な依頼を端緒に、ギャング、怪物、謎のファム・ファタールが彼を過去の影へと引きずり込む。失われた力と贖罪の物語が、ノワール調の闇の中で展開する。

この作品の最大の魅力は、なんと言ってもニコラス・ケイジの熱演にある。アメコミ好きの彼にとって、これはまさに当たり役。オッサン版スパイダーマンという設定に全身全霊を注ぎ、哀愁たっぷりの表情、荒んだユーモア、爆発的な怒りまでを完璧に体現していて、胸を打った。ティーンエイジャーではなく中年ヒーローという点に、強く感情移入してしまった。

脇を固めるキャストも全員がはまり役で素晴らしい。探偵社の秘書、記者、謎の女など、それぞれが個性的に輝き、物語を豊かに彩っている。そして何より、当時の時代を濃密に感じさせるレトロなセットと衣装が秀逸だ。1930年代の街並みやファッション、モノクロとカラーをお好みで選択できるユニークさが、瞬時に物語世界へと引き込んでくれる。

ストーリーはオールドスタイルのハードボイルドを丁寧になぞっている。草臥れた探偵、冷酷なギャングとその手下、薄幸の情婦の切ない過去、警察と悪の癒着、禁酒法時代の空気感といった定番要素が、コミックというジャンルの様式美を意識的に引用する媒体だからこそ、紋切型であることが逆に親しみやすさとして機能する。それにより、ただのヒーローものとは一線を画した大人のノワールエンターテイメントに仕上がっていた。

かつての力を失いながら責任だけを抱えて生きる男の葛藤と再生が、全編を通じて胸に染みる。スーパーヒーロー映画の新しい味わい方を見せてくれた一作だ。ぜひこの老いた蜘蛛の闇にどっぷり浸ってみてほしい。


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グッド・オーメンズ シーズン3(Amazon Prime video)(監督:レイチェル・タラレイ 2026年英米合作)

シーズン1で世界の終わりを阻止した天使アジラフェル(マイケル・シーン)と悪魔クロウリー(デヴィッド・テナント)が、シーズン2のすれ違いを経て最終章へ。究極の大天使となったアジラフェルが「第二の来臨」計画の混乱に直面し、クロウリーに助けを求める。原作はニール・ゲイマン&故テリー・プラチェットの傑作小説。

シーズン3が始まったと喜び勇んで観始めたのに、なんとこれは1話だけのリミテッドストーリー。第1話なのにタイトルが「グランド・フィナーレ」と表示されていて妙に気になっていたが、まさか本当に最終回だったとは。それもシーズン1・2をひっくるめた「グッド・オーメンズ」全体の締めくくりであるだけでなく、地球も宇宙も最終章を迎えてしまうような荒唐無稽かつ破天荒な大展開。よくぞこんな力業でまとめてみせたと、思わず感嘆した。

見どころはもちろんマイケル・シーンとデヴィッド・テナントの息の合った掛け合いだ。長年かけて培われた化学反応が最高潮に達し、再会シーンからクライマックスのやり取りまで、笑いと切なさが交互に押し寄せてくる。原作者ゲイマンはセクハラ問題により制作から離脱した(それがこのシーズン3が1話のみだった理由らしい)が、二人の演技力が物語をしっかり支えており、その不在を感じさせない。

これでお別れは寂しい。しかし90分という尺に押し込んだとは思えないほど、主人公二人の結末は清々しく、温かい気持ちで見送ることができた。長い時間をかけてここまで丁寧に描かれてきた二人の関係が、ラストで過不足なく着地する。それだけで十分だった。

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金髪ヘタレマッチョの異世界往還ファンタジーアドベンチャー映画『マスターズ・オブ・ユニバース』

マスターズ・オブ・ユニバース (監督:トラヴィス・ナイト 2026年アメリカ映画)

映画『マスターズ・オブ・ユニバース』は、1982年にマテル社が発売したアクションフィギュア玩具シリーズが原典となった、剣と魔法のファンタジーアドベンチャー作品だ。1987年にもドルフ・ラングレン主演により『マスターズ/時空の覇者』というタイトルで映画化されており、これが2度目の映画化となる。

【STORY】惑星エターニアの王子アダムは幼少期の戦乱から地球へ逃れ、15年後に伝説の「パワーソード」を見つけ故郷へ導かれる。しかしエターニアはスケルターの支配下で荒廃。アダムはヒーマンに覚醒し、仲間たちと共に悪の軍団に挑む——!

キャストがまた絵に描いたようなマッチョファンタジー路線なのが面白い。主人公アダム役のニコラス・ガリツィンは金髪のイケメンだし、ヒロインのティーラ役を演じるカミラ・メンデスは気丈な女戦士だ。イドリス・エルバが演じる兵士ダンカンも老獪な古参兵といった風情で味わい深い。そして敵役スケルターをジャレッド・レトが演じているが、常に骸骨マスク姿で映画では一切素顔を見せない、という無駄に豪華な使い方。監督は『バンブルビー』『KUBO』のトラヴィス・ナイトで、遊び心豊かな作品に仕上がっていた。

マテル社玩具が原典で、コミックタッチのファンタジー世界という部分から、視聴年齢層が結構低めに設定されていたことは否めない。同じ玩具起源の映画でも『トランスフォーマー』がある程度シリアスに作られていたのと比べると、物語展開に紋切型な甘さを感じる。だがこれらは予告編である程度予想がついていたのであまり気にならず、そこそこ楽しんで観ることができた。

見どころとなるのは圧巻なビジュアルと世界観だ。異世界エターニアの壮大で幻想的な風景、城や山岳のデザイン、ヒーローたちの衣装・メイクが玩具・アニメの魅力を忠実に再現し、カラフルで楽しいファンタジー世界を演出する。ヘヴィメタルのアルバムジャケットを延々と見せられているようなベタさがあるのだが、それがまたこの作品には似合っている。

また、ファンタジー世界を基本としながらも、ロボットや改造人間、飛行機械や戦闘機、銃やミサイルといったSF/ミリタリーテイストの味付けがされている部分に新鮮さを感じた。なによりこの作品らしいと感じさせたのは、全体に流れるコミカルな味わいだ。外見はマッチョでも中身はどことなくヘタレでノリの軽い現代的な青年である主人公、癖の強いビジュアルの仲間たち、どこか道化っぽくもある悪役スケルター。シリアスに振り過ぎない風通しのよさが物語を軽快なものにしている。

もう一つの特色は物語構造のひねりだ。幼い頃エターニアから現代アメリカに転移して育ったアダムが、再び故郷へ還るという展開は「異世界転生」ならぬ「異世界往還」とでも呼べる構造であり、単なる剣と魔法のマッチョファンタジーに収まらない奥行きを与えている。アダムが現代アメリカで培った知識でエターニアの危機を切り抜けるくだりは、この作品の一番の肝だ。パワーソードを巡る大規模バトルの爽快感と、この「往還」の構図が組み合わさって、ベタの嵐の中に一本筋の通ったドラマが生まれていた。


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人類の命運を賭けて行われる魔人と人間との究極格闘大会/映画『モータルコンバット ネクストラウンド』

モータルコンバット ネクストラウンド (監督:サイモン・マッコイド 2026年アメリカ映画)

究極格闘大会モータルコンバット

人類の運命を賭けて行われる魔人と人間との究極格闘大会、モータルコンバットを描くアクション映画『モータルコンバット ネクストラウンド』。同タイトルの世界的人気格闘ゲームを原作として1995年の実写作品『モータルコンバット』と1997年の続編『モータルコンバット2 アナイアレイション』が製作され、さらに2021年にリブート版が製作、そして今作はその続編となるタイトルです。

【STORY】人間界は太古より続く究極格闘大会モータルコンバットにおいて魔界に9連敗を喫し、あと1敗で滅亡の危機に瀕していた。落ち目のハリウッドアクションスター、ジョニー・ケイジを新戦士に迎えた人間界の精鋭たちは、魔界皇帝シャオ・カーン率いる最強軍団との最終決戦に挑む。

主人公ジョニー・ケイジ役に『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズ、『スター・トレック』シリーズのカール・アーバン。スコーピオン役に『ラストサムライ』や『ジョン・ウィック:チャプター4』にも出演した日本を代表する俳優・真田広之。さらに『座頭市』や『ソー』シリーズの浅野忠信がライデン役を務めます。監督は前作から引き続きサイモン・マッコイドが続投。

トーンの刷新——コミカルな主人公がもたらすもの

1995年版と続編の1997年版は癖の強いB級ど真ん中のアクション作でしたが、2021年のリブート版『モータルコンバット』は驚異的なCGIを多用し、物語の骨子もしっかりとした実に楽しめる作品でした。続編である今作も期待に応えてくれました。

リブート版『モータルコンバット』が戦士集めと世界観の導入に重点を置いたのに対し、本作『モータルコンバット ネクストラウンド』では本格的な「大会開催」と大規模バトルにシフトしています。最大の違いは映画全体のトーンでしょう。前作が比較的シリアスで地に足のついたアクションだったのに対し、本作では主人公ジョニー・ケイジのコミカルなキャラクターが映画のトーンを刷新しています。

このジョニー・ケイジ、落ち目のアクション俳優として登場し、最初は大会出場などしたくないとゴネるし、そもそも本物の格闘家でもありません。こんな人物に人類の命運を委ねていいのかという不安が、物語の推進力となっています。

そのうち己の使命を認識し、真摯に戦いに挑みながらどんどん強さを発揮してゆくジョニー・ケイジではありますが、なぜ急に強くなったのかはきちんとは描かれません。この辺はもう少し丁寧に掘り下げてほしかったところです。とはいえ、他の格闘家たちが究極格闘大会に抜擢されるほどの強者であるのに対し、ジョニー・ケイジだけは「未知数」のまま戦いに臨む——その緊張感が観客をスクリーンに引き付けます。

大会の裏側で動く陰謀、そしてフェイタリティ

バトルの見せ方にしても、単に試合を羅列していくのではなく、魔界陣営が試合の裏で画策する陰謀を叩き潰すため、試合外のバトルがどんどんとエスカレートしてゆきます。併せて、寝返りや伏兵の投入により人間界・魔界の勢力図が刻々と変わってゆき、決して飽きさせない工夫がなされています。かつて魔界に敗北を喫し滅亡した王国の王女を巡るバックストーリーも重厚で、王女キタナを演じるアデライン・ルドルフの妖艶な魅力との壮絶なバトルは今作の大きな見どころのひとつです。

そして「モータルコンバット」といえば残虐極まりない「フェイタリティ」シーン。対戦で勝利した直後に敗者へとどめを刺す「残虐な処刑フィニッシュ技」のことで、ゲームではその凄まじさが語り草になっています(実はあまりに過激なのでゲーム自体が日本では正規販売されていません!)。今作でもこの「フェイタリティ」シーンはしっかりと持ち込まれており、次はどんな技が炸裂するかという期待感で大いに盛り上がります!

総評

異世界を舞台に異能の人間格闘家と不気味な魔族とが血塗れの戦いを展開する本作、ゲームらしい過激さとユーモアを大胆に取り入れ、目を奪うCGIとフェイタリティの残虐さ、スケールアップしたバトルシーンと見どころはたっぷり。真田広之・浅野忠信ら日本俳優の活躍も嬉しい、満足度の高い続編となっていました。ジョニー・ケイジというB級くずれの男がヒーローへと変貌する過程を軸に据えることで、本作は一味違う「異世界格闘アクション映画」に完成しています。

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砂漠の彼方に待つ審判の細い橋/映画『シラート』

シラート (監督:オリベル・ラシェ 2025年スペイン・フランス映画)

砂漠の彼方に消えた娘を探せ。2025年のカンヌ映画祭で注目を集め、2026年に日本公開されたオリベル・ラシェ監督の『シラート』は、失踪した娘を追ってサハラ砂漠のレイヴ・パーティに潜り込んだ父子が、次第に異様な世界へと迷い込んでゆくショッキングなロードムービーだ。父ルイスを演じたのは『パンズ・ラビリンス』で国際的に知られたセルジ・ロペス。製作をペドロ・アルモドバルが担当している。

凄かった。ヤバかった。油断していた。何度も凍りついた。蒼ざめた顔で劇場を出た。これはいわゆる「二度と観たくない傑作映画」だ。何が起きるかはあえて書かない。ただ、覚悟して観ることをお勧めする。

モロッコの砂漠を舞台にしたこの作品は、ただの娯楽作ではない。タイトル自体がイスラム教の重要な概念「シラート(al-Ṣirāṭ)」を指し、物語全体を深い宗教的・哲学的なレイヤーで包み込んでいる。

イスラム教の伝統、特にハディースで語られる「シラート」とは、最後の審判の日にすべての魂が渡らなければならない橋のことだ。髪の毛より細く、剣の刃より鋭いこの橋は、地獄の深淵の上に架かっている。信仰と善行の「光」を持つ者だけが速やかに楽園へ渡れるが、そうでない者は足を滑らせ、棘や鉤爪に絡まって落ちていくという。現世の富や地位、肉体の強さは一切無力。ただ「生き方」そのものが問われる厳しい審判の象徴だ。

作品はこれを現代的に寓話化している。失踪した娘を探す父と息子が、砂漠の奥深くで繰り広げられるレイヴパーティーを巡る旅に出る。過酷な砂漠の風景、突然訪れる出来事、仲間との出会いと別れ……すべてが「細い橋」を渡る試練として描かれる。監督が本作を「臨死体験」と表現する通り、極限状況が生存本能を刺激し、精神の崩壊と再生を体感させる。死は理不尽で予告なく訪れ、生き残った者の罪悪感や喪失が積み重なる。生きる目的の輪郭がぼやけ、「ただこの刹那を生き延びる」という剥き出しの価値だけが鮮明に遺ってゆく。作品はニヒリズムに陥らず、傷ついた魂同士のギリギリの絆が、「生きることの意味」を厳然と提示するのだ。

特に印象的なのが、スーフィズム(イスラム神秘主義)とレイヴカルチャーの融合だ。ラシェ監督自身がスーフィー実践者で、モロッコ滞在経験から着想を得たという。スーフィズムでは「肉体が死ぬ前に自我を手放す」内的変容を目指す。「ゼロになる」境地、神や超越的存在との一体化だ。一方、レイヴのダンスフロアでは重低音のテクノに身を委ね、汗とリズムの中でエゴが溶け、集団的なトランス状態が生まれる。監督はこれを「祈り」と呼び、ダンスを「身体を使った祈り」と位置づける。古代の旋回舞踏と現代の激しいボディムーブメントが響き合う瞬間、傷を抱えた者たちの共同体が生まれ、癒しと再生の場となる。

この融合を音で体現しているのが、音楽を手がけたKangding Ray(本名デイヴィッド・ルテリエ)だ。フランス出身の電子音楽家で、建築を学んだ視点から音を空間として構築するアプローチが特徴となる。映画では爆音のレイヴ・テクノからエーテリアルなアンビエントへ移行するスコアが、物語の精神的な旅路を表現していた。劇場で大音量に包まれると、音楽が身体を震わせ、理屈を超えた没入感を与えてくれる。私はテクノミュージックが好きなので、使用されている音楽やレイヴシーンには陶然とさせられた。重低音が身体の芯に響き、砂漠の風景と溶け合うような没入感は格別だった。

『シラート』はイスラム的な終末論を基調にしつつ、生に対する普遍的で実存主義的な問いを投げかける作品だ。砂漠の混沌に滲む無常と、それに翻弄される者たちの残酷な運命それは苛烈で、目眩のするような映画体験だった。


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