ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女/スティーグ・ラーソン (著), ヘレンハルメ美穂 (訳), 岩澤 雅利 (訳)
月刊誌『ミレニアム』の発行責任者ミカエルは、大物実業家の違法行為を暴く記事を発表した。だが名誉毀損で有罪になり、彼は『ミレニアム』から離れた。そんな折り、大企業グループの前会長ヘンリックから依頼を受ける。およそ40年前、彼の一族が住む孤島で兄の孫娘ハリエットが失踪した事件を調査してほしいというのだ。解決すれば、大物実業家を破滅させる証拠を渡すという。ミカエルは受諾し、困難な調査を開始する。
北欧ミステリの最高峰「ミレニアム」シリーズ
北欧ミステリを読むうえで避けて通れない作品と言えばこの「ミレニアム」シリーズに他ならないだろう。「ミレニアム」シリーズの作者スティーグ・ラーソンは初期3部作を書き上げた後に惜しくも亡くなったが、その後も他作家により書き継がれ、日本では現在第7作までが刊行、また6作目までの世界刊行部数は1億部を突破する、という化け物のようなシリーズなのだ。初期3部作はスウェーデンで映画化されたが、さらに第1作『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』はデヴィッド・フィンチャー監督によりハリウッド映画化、大ヒットを記録している。
このハリウッド映画『ドラゴン・タトゥーの女』はオレも大のお気に入りの作品の一つで、フィンチャー作品の熾烈さや奥深さを徹底的に味わうことの出来た作品でもあった。
とはいえ、映画版で満足したせいもあり、これまで原作に手を出していなかったのだが、最近北欧ミステリをよく読むようになった経緯から、これは読まないわけにはいかないだろうと思いようやく手に取った。すると、これが、凄かった。これまで20作程度読んだ北欧ミステリ作品の、そのどれもを遥かに凌駕する破格の完成度を誇る凄まじい作品だった。これには脱帽した。
スウェーデン大富豪一家の暗部を描いた物語
物語はスウェーデンきっての大企業を統べるある大富豪一家の暗部に迫るというものだ。主人公ミカエルは、40年前行方不明になり死亡したと思われている大富豪一家の少女の、その事件の真相を解明して欲しいと大企業の元会長に懇願される。40年の間警察や探偵が必死に捜査し何の成果も出ていない事件の真相を、一介のジャーナリストであるミカエルが解明するなど不可能でしかない。そこでなぜわざわざミカエルに白羽の矢が立ったのかという説明が実に説得力があり、そこにどのようにしてリスベットが関わる事になったのかという構成が優れている。不可能と思われていた事件解明の糸口が徐々に見つかってゆく展開のスリリングさは、これこそがミステリを読む醍醐味だと思い知らされた。事件は次第に暗く残虐な姿を見せ始め、遂にあまりに恐ろしい真実が明らかになる。
『ドラゴン・タトゥーの女』の何が凄かったかといえば、その作品としての強度だろう。物語展開にしても登場人物の立ち振る舞いにしても非常にロジカルであり、密度が高く、研ぎ澄まされた構成を持っている。基本は犯罪を描くミステリ作品ではあるが、スウェーデンの政治や経済、歴史性と密接に関わっており、フィクションであるにもかかわらず高いリアリティを醸し出している。こういった点は北欧ミステリの中心的な魅力の一つなのだが、『ドラゴン・タトゥーの女』はそれが抜きんでてよく描かれている。これは作者スティーグ・ラーソンがもともとジャーナリストであった点に負う部分が大きいだろう。物語の背後に第二次世界大戦時のナチスドイツとスウェーデンの関係が見え隠れする部分にも凄みがある。
主人公ミカエルとリスベットの魅力
なによりもこの作品を読ませるものにしているのは、主人公ミカエルとリスベットの個性的で存在感溢れるキャラクターの魅力に尽きるだろう。主人公の一人ミカエルは作者と同様ジャーナリストだが、知的で行動力があり、ラジカルな政治姿勢と生活態度を貫き、性格は屈託がなくさらに女性にはモテるわ夜の営みはテクニシャンだわで、これでピストルさえ持たせればジェームズ・ボンドのような男なのだが、マッチョではないというただひとつの点において彼はボンドではない。
これまで読んだ北欧ミステリの主人公は、どこか人生に疲れた生活感に満ちた男が多いのだが、ことミカエルはその逆を行っているのだ。しかしこれらの生活感溢れる男たちが読者層のリアルと繋がることで共感を呼ぶのと同じように、ミカエルのスマートさは読者層の理想や憧れを体現したもののような気がする。
一方リスベットは全方位において問題だらけのアンバランス極まりない女性だ。リスベットはアスペルガー気質のパンクなハッカーだ。年齢は25歳だが見た目が15歳のような少年とも少女ともとれる外見をしており、恐ろしく頭は切れるが暴力的で反社会的、人間嫌いでごく限られた人間関係のみのアンダーグラウンドに生き、接触恐怖症だが性生活は奔放、要するにアンモラルでアナーキーな女性なのだ。しかし一切の妥協がないという点で彼女は自らにひたすら正直な人間であり、だからこそ外圧が強い人生を生きざるを得なくしているのだ。ただしそんな彼女の過去は複雑であり、その反動が現在の彼女の生き方を決めたのかもしれない。
こうして真逆の性格と生活態度で生きるミカエルとリスベットだが、ミカエルの屈託のなさと自由を尊重する態度がリスベットに安心を与え、二人は陰陽のシンボルのようにきれいに一つの円の中に調和してしまう。この『ドラゴン・タトゥーの女』の面白さのひとつは、跳ねっ返り娘リスベットが次第にミカエルに心を許してゆく過程の楽しさにあると言っていい。リスベットがミカエルに対して「なんだかもやもやと変な感情が湧いて気持ち悪い」と感じながら、それが「恋」であると思い至り衝撃を受けるシーンのニマニマ感は最高だった。そう、この物語は究極にして狂暴なるツンデレ娘の恋の物語でもあるのだ。
映画版との比較
映画版を先に観ていたのでその比較という事であれば、やはり原作は人間関係がさらに複雑で感情描写も密であり、さらにクライマックス以降の展開は映画版よりも深い情緒があり様々な伏線を丁寧に回収し説明しており、どの面においても的確と言っていい書き込みが成されていた。逆に、省略された部分はあるにせよ、映画版はあの長大な原作を2時間半の物語によくぞまあきっちりと収めたものだな、とフィンチャー監督の力量に改めて感服した。
原作を読み終わった後にもう一度映画版を観直したが、じっくりと描かれた映画のように見えながら、実際は原作の物語を凄まじいスピードで圧縮しながら描いていた部分に驚愕させられた。原作の物凄さに感嘆しつつ、フィンチャー映画の物凄さをもまた確認させられた体験であった。それにしてもこうなったらもう、シリーズ全作読むしかないよな。