『DOGMAN ドッグマン』『スラムドッグス』など最近ダラ観した配信あれこれ

『DOGMAN ドッグマン』

DOGMAN ドッグマン (監督:リュック・ベッソン 2024年フランス映画)

リュック・ベッソンの新作は車椅子に乗った女装男性が犬たちを使役してなにやらバイオレンスチックなことをやらかす作品らしい。リュック・ベッソン、いろんな評判こそあれオレは嫌いじゃない監督なのだが、予告編を観るにつけ、今作はちょっと情報多すぎじゃないか。設定から既にとっちらかってないか。そんな事を思いつつ恐々観てみたのだが、あにはからんや、実は意外としっかりできている。とっちらかった設定のように見えて、全て物語で過不足なく説明され、説得力のある設定になっているから大したものだと思った。

要は、父親から虐待を受け飼い犬だけに心の救いを見出していた少年が、遂にその父親から銃撃され半身不随になり、父逮捕により一人で生きざるを得なくなったのだが、車椅子ではどこも雇ってくれず、車椅子でもできるドラッグクイーンの歌姫を生業としていた、ということなのだ。さらに、沢山の犬を飼うために資金が必要になり、その犬たちを使役して裏稼業を行い金を稼いでいた。結局、社会の外れ者として生きるには裏稼業しかなかったということでもあるのだ。恐ろしくエキセントリックな設定だけれども決して無理じゃない。そしてこのエキセントリックさで引っ張りながら主人公の孤独な人生と孤独ゆえに強烈に犬を愛する心とを浮き彫りにしてゆくんだ。

物語では主人公が犬たちを巧みに操り、そして人語を理解しているかのように犬たちがそれを完璧にやり遂げる様が描かれてゆき、これがこの作品の大きなカタルシスとなる。こうして最後にギャングを相手にした凄まじいバイオレンスが噴出するという訳だ。さらにリュック・ベッソンらしく音楽の使い方が卑怯なぐらいベタで、物語をエモーショナルに盛り上げてゆく。マイルスの『So What』なんか使ってんじゃないよ(笑)!一見相当風変わりに見えながら観終わってみると物凄く正統派な作りの作品であった。

スラムドッグス (監督:ジョシュ・グリーンバウム 2023年アメリカ映画)

『DOGMAN ドッグマン』と犬繋がりでお次は『スラムドッグス』を観た(知り合いがやっていたので真似した!)。物語は遠い土地に捨てられたワンちゃんことレジーが、実は自分の飼い主が最低のクズ野郎であり、自分の事を全く愛しておらず、虐待を繰り返していたという事実に気付き、復讐を遂げるために帰還するというもの。レジ―は旅の途中3頭の野犬と親友となり共に行動するが、特殊効果とパフォーマンスにより、まるで人間のように喋り演技する犬たちの様子が楽しい作品だ。基本はコメディ作品だが、脱糞放尿当たり前、オチンポ様だのオナニーだの下ネタと汚い言葉の飛び交うとてつもなく下品な内容を含んでおり、「可愛いワンちゃんの出ている映画だよ!」と家族で一緒に観たらお茶の間が凍り付くこと必至なので要注意!

とはいえ、実のところこれは下品でもなんでもなく、飼い犬が日常的にやっていること、そして感じているだろうことをありのまま描いているだけともいえるのだ。飼い犬とはいえなにしろ動物なので、その習性を下品だなんだと言うのはお門違いだ。ただ今までこんな部分を映画で描いたりしなかったし、まああえて描く必要もなかったんだけど、今作はそれをリアルに描くことで驚きや可笑しさ、描写としての新鮮さを生み出そうとしており、それは功を奏している。そしてこの下品さが大笑いさせてくれるのだ。

もう一つこの作品の魅力は、動物を飼うことの責任をきちんと大真面目に描いている部分だ。レジ―はどんなに虐待されてもご主人様が遊んでくれているだけだ、と絶対の信頼を置いていた。主従関係を重んじる犬ならなおさらだろう。それを裏切られることの悲しさ、そして捨てられた犬を待つ残酷な現実、これらがしっかりと描かれており、単に面白おかしい下品な復讐コメディで終わっていないのだ。こういった堅実さが作品を豊かなものにしている。ウィル・フェレルジェイミー・フォックスアイラ・フィッシャー、ランドール・パークといった声の出演も楽しい(とはいえ吹き替えで観たが)。

 

北欧ミステリ『湿地』を読んだ

湿地/アーナルデュル・インドリダソン (著), 柳沢 由実子 (翻訳)

湿地 エーレンデュル捜査官シリーズ (創元推理文庫)

雨交じりの風が吹く10月のレイキャヴィク。湿地にある建物の地階で、老人の死体が発見された。侵入の形跡はなく、被害者に招き入れられた何者かが突発的に殺害し、逃走したものと思われた。金品が盗まれた形跡はない。ずさんで不器用、典型的なアイスランドの殺人か? だが、現場に残された3つの単語からなるメッセージが事件の様相を変えた。しだいに明らかになる被害者の隠された過去。そして臓腑をえぐる真相。ガラスの鍵賞2年連続受賞の前人未踏の快挙を成し遂げ、CWAゴールドダガーを受賞した、北欧ミステリの巨人の話題作。

作者アーナルデュル・インドリダソンはアイスランドの作家である。それにしてもアイスランド作家の本を読むのは初めてだな。アイスランド北大西洋に浮かぶ北海道と四国を合わせたほどの面積を持つ火山島で、人口は約37万人、その半数以上が首都レイキャビク在住である。気候は寒冷だが暖流の影響でそれほど厳しくは無いものの、天候は常に目まぐるしく変わり、一日で5つの天気を体験することもあるという。

なぜアイスランドという国の実情を長々と書いたかと言うと、この『湿地』が、まさにアイスランドの国土と気候、それほど過密ではない人口動態に裏打ちされたミステリだからだ。物語では常に冷たい雨が降りしきり、タイトルにある「湿地」が重要な要素を占め、それらが物語に暗い影を落とす。読者は否応なくアイスランドの大地を想起しながら物語を読み進めることになるだろう。

物語は一人暮らしの老人が殺害されるという事件から始まる。しかし単純な殺人事件だと思われていたものが、次第に思いもよらない方向へと転がりだし、実にスリリングな物語展開を見せる。「全国民の遺伝情報調査」というアイスランド独特の社会制度が関わるという部分も面白い。

一読して感じたのは読み易く非常に簡潔な描写で物語が進んでゆくという点だ。あとがきのよるとこの簡潔さもアイスランド流なのだという。要所要所でこれまでの経緯をまとめてみせる親切な構成も心憎い。物語それ自体も読ませるが、これら作家の資質の高さにより牽引してゆく部分で魅力を感じさせる小説だ。

事件の切っ掛けとなり、さらにその真相となるものは陰鬱で目を背けたくなるほどにおぞましく、救いのないものだ。北欧ミステリらしいといえばそれまでだが、決して露悪に走ることなく、社会と人間性の持つ暗部に果敢に切り込んでゆく姿勢から生まれたものだろう。事件に関わってしまった者たちの血縁、そして主人公刑事の複雑な家庭事情など、「家族」が大きなテーマとなっている部分も見逃せない。

『呼び出された男―スウェーデン・ミステリ傑作集― 』を読んだ

呼び出された男―スウェーデン・ミステリ傑作集― / ヨン=ヘンリ・ホルムベリ 編、ヘレンハルメ美穂・他 訳

呼び出された男―スウェーデン・ミステリ傑作集― (ハヤカワ・ミステリ1922)

北欧ミステリの中心地たるスウェーデンから、『ミレニアム』を生み出したスティーグ・ラーソン、〈エーランド島四部作〉のヨハン・テオリン、〈マルティン・ベック〉シリーズのマイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー、〈ヴァランダー警部〉シリーズのヘニング・マンケルらの傑作短篇を集成した画期的アンソロジー。編者ホルムベリがスウェーデン・ミステリ史を詳細に解説した序文を付す。

『ミレニアム』の作者スティーグ・ラーソンを生み出したスウェーデンのミステリ作家を一堂に会したアンソロジー。収録作は全部で17編、冒頭では詳細なスウェーデン・ミステリ史を紹介する序文が添えられ、個々の作品の前後にも作者紹介を始めとした細かな解説が入り、編者の並々ならぬ意欲を感じさせるが、結構な長文となるので読み飛ばしても構わないだろう。

全体的に暗い内容の作品が並ぶが、北欧ミステリのアンソロジーなのでこの辺りは想定済。当然と言えば当然だがジャンル的にはミステリが中心となり、その中に奇妙な味の作品やホラーテイストの作品が挟まっている。また、スウェーデンの社会問題を扱った作品もちらほら見受けられるのも、これもまあ当然と言えば当然だろう。内容としては考え落ちの作品が幾つか続いて少々食傷した。逆に短篇の中にきっちりミステリ展開を盛り込んだ作品はさすがに読ませるものがあった。

では作品をざっくり紹介。「再会」は女だけの同窓会に過去の暗い影が差す幻想譚。このアンソロジーで一番好きだった。「自分の髪が好きな男」シリアルキラーサイコパスな心理を描き本アンソロジーで最も異様な作品だろう。 スウェーデンのキャンプ地を舞台にした「現実にはない」は全編に漂うピリピリとした野蛮さが次第に恐怖へと繋がってゆくちょっとしたホラー。「闇の棲む家」は職場でハブられた中年女のイヤったらしい復讐譚。「ポールの最後の夏」はええと、考え落ちかな。「指輪」は、まあ、考え落ちだな。

「郵便配達人の疾走」スウェーデン開拓時代を舞台にした作品で、この設定自体が興味深い。スティーグ・ラーソンがデビュー以前に書いた習作「呼び出された男」はSF作品となるが、まあ習作なりの出来。「ありそうにない邂逅」スウェーデン・ミステリ界の巨匠二人の合作だが、二人の作品を知っていないと楽しめない仕掛けになっているようだ。「セニョール・バネガスのアリバイ」は殺人にまつわるドタバタコメディ。これは楽しかった。「瞳の奥にひそむもの」移民問題、とりわけイスラム民の男権主義の暗部をえぐり出す。 迷子の娘を探すため奔走する母を描いた「小さき者をお守りください」はミステリではないにせよ何とも言えない嫌な気分にさせられた。

大富豪に上り詰めた男を描く「大富豪」はそのなんともいえないセコさに呆れかえるブラックユーモア作。「カレンダー・ブラウン」は“20世紀の伝説と化したある実在の女性”を描く作品だが、正体が分かった時はぞっとさせられた。暗く美しく頽廃的な雰囲気の素晴らしい掌編だ。「乙女の復讐」は嵐の海を漂う小舟の謎を描くミステリアスな作品でこれは結末が気になった。弥勒菩薩はスパイアクション的なストーリーが新鮮だった。「遅すぎた告白」ではLGBTQの問題を扱うが、そこ止まりになっている。

気にいった作品は「再会」「自分の髪が好きな男」「現実にはない」「セニョール・バネガスのアリバイ」「カレンダー・ブラウン」「乙女の復讐」といったところか。ある意味まあまあの打率の作品集だった。

【収録作】「再会」トーヴェ・アルステルダール 颯田あきら 訳/ 「自分の髪が好きな男」シッラ&ロルフ・ボリリンド 渡邉勇夫 訳/ 「現実にはない」オーケ・エドヴァルドソン ヘレンハルメ美穂 訳/ 「闇の棲む家」インゲル・フリマンソン 中野眞由美 訳/ 「ポールの最後の夏」エヴァ・ガブリエルソン 中村有以 訳/ 「指輪」アンナ・ヤンソン 稲垣みどり 訳/ 「郵便配達人の疾走」オーサ・ラーソン 庭田よう子 訳/ 「呼び出された男」スティーグ・ラーソン ヘレンハルメ美穂 訳/ 「ありそうにない邂逅」ヘニング・マンケル&ホーカン・ネッセル ヘレンハルメ美穂 訳/ 「セニョール・バネガスのアリバイ」マグヌス・モンテリウス 山田文 訳/ 「瞳の奥にひそむもの」ダグ・エールルンド 吉野弘人 訳/ 「小さき者をお守りください」マーリン・パーション・ジオリート 繁松緑 訳/ 「大富豪」マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー 関根光宏 訳/ 「カレンダー・ブラウン」サラ・ストリッツベリ ヘレンハルメ美穂 訳/ 「乙女の復讐」ヨハン・テオリン ヘレンハルメ美穂 訳/ 「弥勒菩薩」ヴェロニカ・フォン・シェンク 森由美 訳/ 「遅すぎた告白」カタリーナ・ヴェンスタム 内藤典子 訳

Disney+ドラマ『スター・ウォーズ:アコライト』がなかなかよかった

スター・ウォーズ:アコライト Season1 (Disney+ドラマ) (監督:レスリー・ヘッドランド 2024年アメリカ製作)

Disney+のスター・ウォーズドラマってなんだか今一つの作品が多くて、大概最初の2,3話だけ観て興味が失せてしまう。完走したのは『オビ=ワン・ケノービ』と『アソーカ』ぐらいか(かといってどちらも満足の出来というほどでもない)。しかし最近配信されたこの『スター・ウォーズ:アコライト』は、そんなSWドラマの中でもなかなかに見所のある作品だった。

物語は映画『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』のおよそ100年前が舞台。ジェダイ黄金期ハイ・リパブリック時代の終焉期であるこの時代、一人のジェダイが殺害される事件が発生する。そしてダークサイドの台頭とジェダイ不都合な真実が明らかになっていく、といったものだ。

まず何が良かったのかと言うと、これまでのSWドラマのようなキャラ頼みの作品では一切ないという部分だ。SWストーリーの根幹となるジェダイという存在そのものに光を当て、そのジェダイが必ずしも絶対的な存在ではなく、限りなくグレイな部分を持ち併せ、また外からはいわゆるカルト扱いされている、というのがこの物語なのだ。こういったジェダイ機構へのアンチテーゼはこれまで描かれなかったわけではないのだろうが、今作ではそれ自体がテーマとなっているのだ。つまり「SWとはなんなのか?」という問題もここには内包されているのだ。そこが面白い。

主人公が一卵性双生児と見紛う二人の黒人少女であり、物語の鍵を握るライトサイドとダークサイドのジェダイがそれぞれ東洋人であり、物語の発端となるのが母権社会である、という設定の何もかもが新鮮であり、これも一つの見所となる。それはSWストーリーとしての新機軸を打ち出しているからだ。

こういった設定にも関わらず、最近のDisney作品に横行する「お気持ちPC」の臭みをほとんど感じないというのも優れた部分だ。これまでのSWドラマがSWサーガの単なるサブストーリーに過ぎなかったのに比べ、この『アコライト』はもう少し本気を出したら「SW EP0 序章」になったかもしれないやる気を感じた。ライトセーバーによる殺陣はこれまでのSWドラマの殺陣が単なるダンスとしか思えなくなるような熾烈極まりないもので、最高に興奮させられる。そして美術にしてもSW世界をきちんと理解したうえで作られており、決して違和感を感じない。

ドラマはこのシーズン1だけでは完結しておらず、その分食い足りない部分や説明不足のまま放置されている部分があり、鳴り物入りで登場したキャリー=アン・モスがさっさと退場したり、バランスの悪さや致命的な演出も散見するが(本1冊燃えただけで延焼で共同体1個全滅さすなよ)、全体の印象はとてもいい。これは今作の制作者サイドがより野心的にSWドラマに取り組もうとした結果なのではないかと思う。こんな形で今後のDisney+SWドラマがもう少し見られるものになってくれればいいのだが。

 

 

仔マヌルネコに会いに上野動物園へ

オレと相方さんは結構な動物好きなのですが、特に好きな動物はタヌキ、カピバラマヌルネコです。これらの動物たちを観るために全国あちこちの動物園に出掛けたりしているぐらいなんです。そのうちのマヌルネコなんですが、上野動物園で今年4月17日にマヌルネコの子供が3頭生まれ、つい最近一般公開されたということで会いに行くことにしたんですね。

ただし相方さんは休日も仕事が忙しく、この日は一人で行くことになりました。「男61歳、一人ぼっちで動物園に動物を見に行く!の巻」です。いわば「おひとりさま動物園」という訳ですね!

仔マヌルには先週の土曜日に会いに行きました。梅雨も明けて天気も良く、気温もうなぎのぼりだったですが、仔マヌルに会いに行くのに四の五の言っていられません。お昼前に動物園に到着し、他の動物には一切眼もくれず、マヌルネコの待つ小獣館に直行したオレです。

……そして、いました!

展示されている仔マヌルは3頭生まれたうちの2頭、それと親マヌルネコ。2頭の仔マヌルは元気いっぱいに動き回っており、なかなか一緒にカメラのフレームに入りません。これは親マヌルと仔マヌル?

ようやく2頭がこちらを向いている写真が撮れました。マヌルネコだけに子供でもとってもふてぶてしい顔をしています!でもそこが可愛いんですね。

「ガブッ!」「アー!」

一方親マヌルは子供たちの様子をじっと見守っています。基本的にマヌルネコは普段から怖い顔をしていますが、子育て中ということでさらに真剣な表情を浮かべています。やっぱりお母さんですね。

物陰から様子をうかがう仔マヌル。ちんまいなあ。

岩と一体化する仔マヌル。実際自然の中でもこんな具合にカモフラージュしているんですね。

どっこいしょ。

何があるのかな?

ニャア!(※実はマヌルネコは「ニャア」とは鳴きません。なんか「ア゛ー!」みたいな鳴き声(吠え声?)です)

展示室の前で押し合いへしあいしている人間たちを半分呆れながら観察する親マヌル。上野動物園でもマヌルネコはかなり人気が高いらしく、展示室の前は結構な混雑でした(マナーの悪いお客さんもちらほら……ボソッ)

お昼ご飯も食べ沢山遊んだのでちょっとおねむになってきた仔マヌル。

スヤー。おやすみなさい。

マヌルネコの飼われている小獣館は1階の展示室のほかに、地下に照明を落としたもう一つの展示室があり、ここでも1頭見ることができます。かなり暗くてはっきり見られないんですが、この写真は画像調整しまくってなんとか姿をはっきりさせてみました。

もう1枚。本当は赤いライトだけが点いていて目を凝らさないと分かりません。これは夜行性の動物のための飼育法なんでしょうね。

仔マヌを堪能した後は上野動物園内を散策。こちらは五重塔

タイから贈呈されたタイの代表的建築物「サーラータイ」が建っており、目を惹きました。

「マヌばっかり見てないでクマも見なさいよ!コフッコフッ!」(上野動物園は海外からのお客さんも多数来園されていますが、クマ舎の前は心なしかロシア系のお客さんが多かった気がします!)

この日の戦利品!

また会おうね。

(おしまい)