『Mr.ノーバディ2』『ファミリー・プラン2』など最近観た配信映画

Mr.ノーバディ2 (監督:ティモ・ジャヤント 2025年アメリカ映画)

しょぼい親父を主人公とした「怒らせたヤツは殺人マシーンだった」ジャンルの第2弾。前作で過去の敵を皆殺しにしたはずのハッチ・マンセル(ボブ・オデンカーク)は、妻ビッキーと二人の子供たちとの穏やかな日常を取り戻していた。しかし、家族旅行中に再び犯罪者集団に襲われ、休暇は一転して全面戦争に。家族を守るため、ハッチは再び殺人マシーンに覚醒する。今回は家族総出で戦う、絆と破壊のアクションが炸裂する。

1作目は孤独な復讐劇の爽快無双が魅力だったが、本作は家族との関係修復をしっかり軸に据え、家族の絆が明確に描かれている点が印象的。後続ではあるがAppleTV+の『ファミリー・プラン』とかなり似たテイストで、殺し屋パパが家族を巻き込みながら守り抜く展開が重なる。家族みんなで敵を倒すシーンは、単なる無双を超えてほっこりする一体感があった。ストーリーは相当大雑把で、休暇中のトラブルから巨悪組織との戦争へ一直線。細かい伏線や意外性は薄いが、テンポが良く退屈しない。ボブ・オデンカークのコミカルで哀愁漂う演技が健在で、家族とのぎこちないやり取りが笑いを誘う。

最大の見どころはクライマックスの遊園地アクション。廃墟化した遊園地を縦横無尽に使い、観覧車、ボールプール、ミラーハウス、ウォータースライダーなどが殺人トラップに変貌する。『ホーム・アローン』をスケールアップさせたようなド派手な破壊と肉弾戦が最高に爽快で、前作の工場戦を完全に上回るカタルシスを提供する。馬鹿馬鹿しい作品だが十分に楽しむことができた。


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Mr. ノーバディ 2

Mr. ノーバディ 2

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ファミリー・プラン2(Apple TV+)(監督:サイモン・セラン・ジョーンズ 2025年アメリカ映画)

元特殊工作員のマイホームパパが、再び殺し屋モード全開で家族を守る!いつも家族に甲斐甲斐しいマイホームパパ、ダン・モーガン(マーク・ウォールバーグ)は、妻ジェシカ(ミシェル・モナハン)と子供たちとのクリスマス休暇でヨーロッパ(ロンドン中心)へ旅行に出かける。ところが、過去の敵が再び襲来。家族総出で迎え撃つ羽目になり、異国の街並みを舞台に大規模な戦いが勃発する。ダンの超人的なスキルと家族の絆が試される、笑いとアクション満載の続編だ。

前作『ファミリー・プラン』(2023年)は楽しんで観れることができたが、今作も期待通りの安心感とスケールアップが最高だった。前作はラスベガスでのバカンスが舞台で、家族を巻き込んだ痛快な戦いが魅力だったが、本作は海外旅行というワールドワイドなロケーションでダイナミックさが大幅に増している。美しいロンドンの街並みや異国情緒の中で、何が起こるか分からないサスペンスが加わり、緊張感と爽快感が倍増。家族総出による事件解決はより痛快で、みんなで協力して敵を倒すシーンは絆の強調が功を奏し、心温まる一体感があった。

マーク・ウォールバーグは「普通の父親なのに実は超人」という役が本当に似合う。コミカルな家族とのやり取りと、シリアスなアクションの切り替えが絶妙で、笑いどころも満載。Apple TV+らしい丁寧な作りで、コメディとアクションのバランスが良く、ガチャガチャしすぎず安心して観られるお茶の間映画の完成形だ。物語設定に新味はないが、前作の良さを引き継ぎつつ、海外舞台の爽快感で十分楽しめた。家族で観てほっこりスカッとしたい時に最適な一作だ。


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Franky Wah、Nightmares On Waxなど最近聴いたエレクトロニカ界隈

Franky Wah
The Revival, Vol.2 / Franky Wah【今日の1枚】

フランキー・ワーによる『The Revival』シリーズ第2弾は、90年代レイヴの多幸感と現代的なプログレッシブ・ハウスの洗練を融合させた記念碑的作品だ。高揚感を煽るピアノの旋律、広大な空間を描くシンセ、そして強靭なビートが、聴き手を祝祭の渦へと巻き込んでいく。 単なる懐古趣味に終わらず、アンダーグラウンドの硬派な質感とメインストリームにも通じるキャッチーさを高次元で両立。深夜のクラブからフェスティバルの大舞台までを想起させる圧倒的な生命力に満ちている。ダンスミュージックが持つ「再生」と「解放」の力を、これ以上なく鮮やかに体現した傑作と言える。

Echo45 Sound System / Nightmares On Wax

ワープ・レコーズの最古参であり、ダウンテンポの先駆者であるナイトメアズ・オン・ワックスことジョージ・イヴリン。本作は、彼のルーツであるサウンドシステム・カルチャーへの深い愛が凝縮された一枚だ。ダブ、レゲエ、ソウル、そしてヒップホップを自在に横断するそのサウンドは、心地よいグルーヴの極致を提示している。 温かみのあるアナログな質感と、現代的なエディット感覚が見事に調和。重厚なベースラインが身体を揺らし、柔らかなメロディが精神を解きほぐす。長いキャリアを経てもなお、音楽への好奇心とピュアな情熱を失わない彼の姿勢が、音の端々から溢れ出す至福のサウンドスケープだ。

End Beginnings / Sandwell District

テクノ・シーンに計り知れない影響を与えた伝説的ユニット、サンドウェル・ディストリクト。沈黙を破りリリースされた本作は、彼らのシグネチャーであるストイックで暗黒を孕んだダブ・テクノが、さらなる深化を遂げたことを証明している。余計な装飾を削ぎ落としたミニマルな構造の中に、緻密に構築されたノイズと残響が交錯する。 「終わりの始まり」を想起させるタイトル通り、既存の構造を破壊し、新たな秩序を構築するかのような緊張感が全編を貫く。冷徹な美学に貫かれたその音像は、聴き手を深い没入状態へと誘い、ダンスフロアを一つの儀式的な空間へと変容させる。孤高のカリスマによる、圧倒的な説得力を持った一枚だ。

Guidance / Bandulu・Carl Craig

1993年にInfonetからリリースされたBanduluのデビューアルバム『Guidance』は、UKテクノ黄金期の隠れた名盤。2025年にRAWAXから再発され、再評価の波が来ている。深いアトモスフィアとミニマル・グルーヴ、ダブの影響が融合したサウンドは、当時のUKシーンがデトロイトに傾倒していたことを象徴する。「Pacekeeper」のタイトなベース、「Messenger」の重厚低音、「Revelation」の浮遊感など、洗練されつつ実験的なトラックが並ぶ。最大のハイライトは「Better Nation」のCarl Craig Innerzone Mix。デトロイトらしいメロウで有機的なタッチが加わり、オリジナルを深化させた名リミックスだ。ジャングル/ダブ/アンビエントのエッセンスを吸収したハイブリッド・テクノの魅力が全編に。約70分の催眠的で没入感のある旅は、フロアでも自宅でも色褪せない。90sテクノのタイムレスな一枚で、Carl Craigファン必聴の逸品。

Global Underground #46: ANNA - Lisbon

ブラジル出身、現在はリスボンを拠点に世界を熱狂させるANNA。彼女が手掛ける本シリーズ第46弾は、テクノの力強さと、アンビエントヒーリング・ミュージックの精神性が融合した、今の彼女を象徴するドラマチックなミックスだ。リスボンの光と影を映し出すような、多層的なサウンドスケープが展開される。 前半の瞑想的な導入から、後半にかけて激しく加速していく展開は圧巻。彼女自身の楽曲も交えつつ、テクノという枠組みを超えた広大な音楽の旅へとリスナーを誘う。プロデューサーとしての才能とDJとしての卓越した感覚が融合し、ダンスミュージックの新たな可能性を提示する、極めて野心的な一作である。

(※この記事はLLMで作成しています)

内部化されたトランスフォビアを描くファンタジック・ホラー映画『テレビの中に入りたい』

テレビの中に入りたい (監督:ジェーン・シェーンブルン 2024年アメリカ映画)

暗い部屋に浮かぶテレビの青白い光が、静かな夜を切り裂く。心の奥底で蠢く言葉にできない渇望と恐怖が、ゆっくりと身体を蝕んでいく。現実と幻想の境界が溶け、抑圧された自己が叫びを上げる——。『テレビの中に入りたい』は、そんな感情の渦に観る者を突き落とす映画だ。魂を揺さぶり、重い余韻を残すこの物語は、単なるミステリーの枠には収まらない。

1996年、郊外の町で孤独に暮らす少年オーウェンは、深夜番組『ピンク・オペーク』に魅了される。それは超自然的な力を持つ二人の少女、イザベルとタラが「月の怪物」と戦うファンタジー番組だった。年上の少女マディと番組を共有するうち、オーウェンの中で現実とフィクションの境界は曖昧になり、自身のアイデンティティに疑問を抱き始める。しかし、月日は流れ、大人になった彼の人生は空虚に満ちていた。抑圧された秘密は、次第に彼の精神を崩壊させてゆく。

主演のジャスティス・スミスは、本作で繊細な内面を見事に体現。共演のブリジット・ランディ=ペインも、クィアな役柄を得意とする彼(彼女)らしい存在感を放っている。監督を務めたジェーン・シェーンブルンは、トランス・ノンバイナリーのフィルムメーカーだ。本作は、監督自身のトランスとしての実体験を基にした、極めてパーソナルな「自己発見」の物語でもある。

当初、私はこの映画を「大人になりきれない少年少女たちの疎外感を描いた青春ホラー」として受け取っていた。テレビ番組への没入は現実逃避の手段であり、90年代のノスタルジーを纏ったエモーショナルな物語に見えたのだ。しかし、物語が進むにつれ、本作が「トランスジェンダーが自身のアイデンティティを抑圧する苦しみ」、即ち「内部化されたトランスフォビア」を描いた痛烈な寓話であることに気づかされる。

オーウェン性的指向が曖昧にされ、女装のフラッシュバックが挿入される点、そして親密な筈の少女マディとの恋愛感情が描写されないこと。これらが描く「違和感」は、ジェンダー認識の齟齬そのものを象徴している。オーウェンの父が放つ「女の子が観る番組だ」という呪いの言葉、そして大人になり、結婚という名の幸福を演じながらも空虚に沈むオーウェンの姿。それは「真実の自己」を否定し続けた人生の末路を、残酷なまでに描き出している。

オーウェンが目を背け続けてきたもの、それは自らがトランスジェンダーであるということだ。そして目を背け続けることによって生じた自己疎外の悲劇がこの物語なのだ。劇中の番組タイトル『The Pink Opaque(不透明なピンク)』は、トランスジェンダーの内面的な自己を象徴しているのだろう。「Pink」はトランス・フラッグにも含まれる精神性を、「Opaque」は社会から認識されず、本人すらも明瞭に掴めない不透明な状態を示唆している。

監督のシェーンブルンは、インタビューで本作を「トランスであることに気づく瞬間を避け続ける心理的ホラー」と位置づけている。オーウェンはTV番組キャラクターに自分を重ねながらも「変容」を拒み、対照的にマディは鏡のように彼の抑圧を浮き彫りにする。この抽象的な表現こそが、多くの批評家から「トランス体験の最も深いビジョン」と称賛される所以だ。

本作は、クィアな人々が抱く「生埋め(buried alive)」の恐怖を視覚化したものだ。もしトランスの文脈を知らずに観れば、単なる「奇妙な映画」で終わるかもしれない。しかし、散りばめられた寓意を理解したとき、この映画は切なく、やるせなく、どこまでもエモーショナルな輝きを放ち始める。包み込まれるような深い悲しみと共に訪れるラストシーンは、唯一無二の映画体験となるはずだ。


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アンソニー・ホロヴィッツの『カササギ殺人事件』を読んだ

カササギ殺人事件(上・下) / アンソニーホロヴィッツ (著), 山田 蘭 (翻訳)

カササギ殺人事件 上 〈カササギ殺人事件〉シリーズ (創元推理文庫) カササギ殺人事件 下 〈カササギ殺人事件〉シリーズ (創元推理文庫)

1955年7月、サマセット州にあるパイ屋敷の家政婦の葬儀が、しめやかに執りおこなわれた。鍵のかかった屋敷の階段の下で倒れていた彼女は、掃除機のコードに足を引っかけて転落したのか、あるいは……。その死は、小さな村の人間関係に少しずつひびを入れていく。燃やされた肖像画、屋敷への空巣、謎の訪問者、そして第二の無惨な死。病を得て、余命幾許もない名探偵アティカス・ピュントの推理は――。

M・W・クレイヴンのミステリ小説を読破し、次に選んだのがアンソニーホロヴィッツの『カササギ殺人事件』だ。邦訳の出た2019年には「このミス」など主要なミステリランキングを総なめにした話題作である。

正直なところ、作品紹介ではあまり惹かれなかった。本格ミステリに疎い私には「アガサ・クリスティへの完璧なオマージュ」と言われてもピンとこない。また、「田舎町の家政婦が階段から転落死」というあらすじも、どうにも地味過ぎないか?と思えたのだ。

しかし、あまり期待せずに読み始めると、物語の舞台は現代で、主人公は文芸誌の編集者。「家政婦の死」は、彼女が担当するミステリ作家の小説『カササギ殺人事件』内の出来事だということが冒頭で判明する。物語の概要紹介を経て、小説『カササギ殺人事件』が始まる。つまり、本作は入れ子構造、すなわちメタ構造なのだ。

静かな田舎町が舞台の小説内小説『カササギ殺人事件』は、最初は地味に感じたが、読み進めるうちに緻密な描写に魅了される。やがて第2の事件が発生し、平和に見えた田舎町の裏に隠されたドロドロとした人間関係が露わになる展開に引き込まれた。十分面白い。

そして上巻を読み終わり、犯人解明の下巻を読み始めた瞬間……思わず「えっ!?」と声が出た。

うわあああ、この展開はなんだ。完全に作者の術中にはめられてしまった。この小説がなぜメタ構造を持つのか、その理由がここで判明する仕組みだ。多くは語らないが、「フィクションとしての『カササギ殺人事件』の世界」と「それを読む編集者の“現実”世界」が奇妙にリンクし始める。これこそ「メタミステリ」だ。読者は「フィクション」と「現実」、二つの事件の展開を同時に追うことになる。

「フィクション」の探偵、アティカス・ピュントは、王道の本格ミステリ探偵として鋭い推理を披露する。一方、「現実」の主人公、編集者のスーザン・ライランドは、ただの本好きという全くの凡人だ。その凡人主人公が、素人探偵として右往左往しながら事件の核心に迫る過程がまた面白い。アンソニーホロヴィッツの『カササギ殺人事件』は、この画期的な「メタミステリ」構造こそが、多くの熱狂と高い評価を得た所以なのだろう。

 

Jodie Nicholson、Logic1000など最近聴いたエレクトロニカ界隈

Jodie Nicholson
Safe Hands / Jodie Nicholson【今日の1枚】

ジョディ・ニコルソンによる本作は、フォークの繊細さとエレクトロニカの質感が溶け合った、極めて親密な音響作品だ。彼女の透明感あふれる歌声は、ピアノやギターの温かな音色に寄り添いながら、時折混ざり合う電子音のレイヤーによって現代的な広がりを見せる。 歌詞に込められた内省的で誠実なメッセージは、リスナーの孤独に静かに寄り添う。ミニマルでありながら細部まで神経の行き届いたプロダクションが、感情の機微を鮮やかに浮き彫りにしている。ベッドルームで一人、夜の静寂の中で聴くのにふさわしい。聴き終わる頃には、タイトル通り「安全な手」に守られているような、深い安らぎを与えてくれる良作である。

DJ-Kicks: Logic1000【今日の1枚】

サマンサ・ポウルターによるプロジェクト、Logic1000が手掛ける本作は、彼女の鋭い感性と温かな人間性が同居した、極めてモダンなハウス・ミックスだ。多種多様なジャンルを横断しながらも、全編を貫くのは、どこか内省的でありながらもフロアを優しく包み込むような独特の質感である。 90年代のダンスアンセムから最新のアンダーグラウンド・トラックまで、彼女のフィルターを通すことで、一つの洗練された物語として再構築されている。緻密なミックススキルだけでなく、選曲の端々に感じられる彼女の音楽愛が、聴く者の心を穏やかに高揚させる。自宅でのリスニングから深夜のドライブまで、日常のあらゆる場面をクールに彩ってくれるだろう。

Music Can Hear Us / DJ Koze

ドイツの異才、DJコーツェによる本作は、彼にしか作り得ないサイケデリックで遊び心に満ちた唯一無二の世界観を提示している。既存のジャンルの枠組みを解体し、ヒップホップ、ハウス、インディ・ロックの要素をコラージュのように繋ぎ合わせるその手法は、もはや魔術的ですらある。 予測不能な展開と、どこかユーモラスでありながら叙情的なサウンドスケープは、リスナーの想像力を強く刺激する。タイトルが示唆するように、音楽そのものが意志を持ってこちらを見つめているかのような不思議な感覚に陥るだろう。ダンスミュージックという定義を軽々と超え、聴くたびに新しい発見をもたらす、現代音楽の奇跡的な結晶と言える。

Charlotte de Witte / Charlotte de Witte

テクノ界の「女王」としての地位を不動のものにしたシャーロット・ド・ウィット。自身の名を冠した本作は、彼女のシグネチャーであるダークで攻撃的、かつ催眠的なサウンドがさらに研ぎ澄まされている。余計な装飾を削ぎ落としたミニマルなビートと、地を這うような重厚なベースが、圧倒的な迫力でリスナーを圧倒する。 レイヴ・カルチャーへのリスペクトを感じさせるアシッドな要素と、現代的なクリアな音像が融合し、ダンスフロアを極限のトランス状態へと導く。妥協を許さないストイックなプロダクションは、彼女の音楽に対する揺るぎない信念の現れだ。聴く者を深い闇の奥へと引きずり込むような、強烈な引力を持った傑作である。

Nothing / DARKSIDE

ニコラス・ジャーとデイヴ・ハリントンによるユニット、ダークサイド。本作は、ブルース・ロックの渋みとエレクトロニカの実験性が交差する、唯一無二のグルーヴを体現している。ジャーの空間を活かした緻密な電子音と、ハリントンのサイケデリックなギターワークが火花を散らし、スリリングな即興性を感じさせる。 「無(Nothing)」という概念を掘り下げるかのように、音の隙間や残響を巧みに操り、リスナーを深い瞑想状態へと誘う。静寂と爆発的なエネルギーが交互に訪れる展開は、まるで一本の映画を観ているような没入感をもたらす。既存のバンドサウンドの概念を根底から覆す、極めてクリエイティブで野心的な一枚だ。

DJ-Kicks: Modeselektor

ベルリンを拠点に活動する異端児ユニット、モードセレクターによる本作は、彼らの奔放な音楽性とパンクな精神が炸裂したエキサイティングなミックスだ。テクノ、ベース・ミュージック、IDM、そしてラップを縦横無尽に駆け抜けるその構成は、予測不能で常に刺激に満ちている。 彼らのミックスに一貫しているのは、リスナーの身体を強制的に揺らす強烈なグルーヴと、既存のルールを破壊する遊び心だ。荒々しいサウンドの中にも、洗練されたエディット技術が光り、一瞬たりとも飽きさせない。ベルリンのアンダーグラウンド・シーンの混沌とエネルギーをそのままパッケージ化したような、爆発力のある作品に仕上がっている。

(※この記事はLLMで作成しています)