アメリカ全土を襲った強烈な「サタニック・パニック」を描くドキュメンタリー映画『サタンがお前を待っている』

サタンがお前を待っている (監督:スティーブ・J・アダムズ、ショーン・ホーラー 2023年カナダ映画

悪魔崇拝カルトの犠牲となった女性による迫真のドキュメンタリー」――。そんな、どちらかと言えば胡散臭いオカルト実録ものだろうと高を括って観てみたら、これが実に興味深い一作だった。

事の発端は1980年。ミシェル・スミスという女性が、精神科医ローレンス・パズダーの退行催眠セラピーにより「幼少期に悪魔崇拝カルトから凄惨な儀式虐待を受けていた」という記憶を呼び覚まされたことに始まる。この手記は『ミシェル・リメンバーズ』として出版され大ベストセラーとなり、アメリカ全土を強烈な「サタニック・パニック」へと陥れた。人々は「自分の隣にも悪魔崇拝カルトがいるかもしれない」と怯え、被害があったという報告も上がり始めたのだ。

映画は当時の記録映像と関係者のインタビューで構成されている。そこで明らかになるのは、アメリカ社会の暗部に蠢く悪魔崇拝カルトの真実……などでは決してない。それは、当事者であるミシェルとローレンスが、いかに怪しげな作り話で世論を操り、自らを注目の的へと押し上げたか。そして二人のこの狂言によって、社会がどれほど巨大な集団ヒステリーに飲み込まれていったかという実態なのだ。

何より恐ろしいのは、二人のいかがわしさ以上に、教会、警察、FBI、さらにはローマ教皇までもが、彼らの言葉に踊らされパニックを増幅させていく様だ。1970〜80年代の産業不況や社会構造の変化、宗教的保守陣営の先鋭化といった時代背景が、この「集団狂気」の土壌となっていたのだろう。90年代に沈静化したとはいえ、この事件が今日のQAnonやピザゲートといった現代の陰謀論の布石となっている点も、見逃せない事実である。

それと併せ、政府から宗教法人として認められている「サタン協会*1」が登場するのも面白かった。これは決して「悪魔崇拝教団」ではなく、「非神論的かつ(キリスト教的教義から離れた)自由な生き方を求める教会」であり、「権威主義に対する反発と抗議の象徴としてサタンを信仰しているのだ」という*2


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サタンがおまえを待っている [Blu-ray]

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  • ミシェル・スミス、ローレンス・パズダー、アントン・ラヴェイ
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Surgeon、Shed、Ben Klock & Fadi Mohemなど最近聴いたエレクトロニカ界隈

Surgeon
Shell~Wave / Surgeon【今日の1枚】

Surgeonの最新作『Shell~Wave』(2025年5月、Tresor)は、Crash Recoilから2年ぶりのフルアルバムで、ミニマル機材とライブセット風の即興アプローチを貫いた9曲入り。Anthony Childの30年超のキャリアが凝縮された、催眠的で渦巻くようなテクノの極みだ。オープニング「Serpent Void」から重厚なビートと歪んだレイヤーが絡み合い、「Soul Fire」「Divine Shadow」では古代神話めいたタイトル通り、荘厳でサイケデリックな浮遊感が広がる。中盤の「Dying」はビートレスでTranscendence Orchestraの影響を感じさせる瞑想的なピースで、後半「Infinite Eye」「Triple Threat」ではクラシックSurgeonらしい鋭いポリリズムと酸が炸裂し、深いトランス状態へ誘う。全体47分とコンパクトながら、各トラックが一発録り的な緊張感を持ち、繰り返しの妙で脳を溶かす。Birmingham Soundのエッセンスを現代的にアップデートした、ヘッドフォン必携の没入型作品。聴き終えた後、現実が少し歪んで見えるほどの余韻が残る。

Towards East / Shed【今日の1枚】

Shedの『Towards East』(The Final Experiment、2023年デジタルリリース / 2025年リマスター・ダブルLP再発)は、Berlinの鬼才が静かに放った珠玉のAmbient Techno傑作。約38分の8曲構成で、クラシックなShedのグルーヴを保ちつつ、ダブのエコーと深い情感が溶け込んだ穏やかで内省的な世界観が広がる。冒頭「KMA - Towards East」から漂う重厚なベースと繊細なパーカッションが、まるで東方への旅立ちを予感させる。「Absolute」「No Dread!」ではリズムの複雑さが光りながらも攻撃的ではなく、ゆったりとした揺らぎが心地よい。「In Between (Für Geli)」は優しいメロディが胸を打つ献呈曲で、中盤「Time」「September 5th」では時間そのものが伸びるようなアンビエント寄りの浮遊感が秀逸。締めの「The Satisfied Mind」まで、一切無駄がない洗練された流れ。Shedらしいポリリズムとレイヤリングを抑えめに使い、Reggae/Dubの影響を強く感じさせる点が新鮮。クラブの喧騒から離れたヘッドフォンリスニングに最適で、聴くたびに心の奥底が静かに震える。

Layer One / Ben Klock & Fadi Mohem【今日の1枚】

ベルリン拠点のテクノ巨匠Ben Klockと若手FadiMohemが新レーベルLAYERから2024年11月29日にリリースした初のコラボアルバム。全10曲、約41分。従来のストレートな4つ打ちテクノから大胆に離れ、IDM、ambient、industrial、raw dubの要素を融合させた実験作だ。 Coby Seyのspoken-wordが漂う「Ultimately」「Clean Slate」はノスタルジックで内省的なムードを、Flowdanのgrimeエネルギーが炸裂する「Our Sector」は緊張感を注入。インスト曲では「Escape Velocity」の浮遊感あるコードと複雑なリズム、「The Machine」の機械的ノイズ、「Melatonin」の鎮静的なクロージングが秀逸。重厚な低音、歪んだパーカッション、レイヤードされたテクスチャーが緻密に構築され、ポストヒューマンな世界観を描き出す。 Klockのクオリティ管理とMohemの新鮮なアプローチが噛み合い、クラブ外のリスニングにも耐える深みがある。

Loud Ambient / The Black Dog

インテリジェント・テクノの草分け的存在であるザ・ブラック・ドッグ。本作は、タイトルの通り「大音量で聴くためのアンビエント」という逆説的なテーマを掲げている。静寂の背景としての音楽ではなく、圧倒的な存在感を持って空間を支配する、能動的なアンビエントサウンドスケープだ。 深く重厚な低域、執拗に繰り返されるシーケンス、そして意識の奥底に触れるようなドローン。それらが幾重にも重なり合い、リスナーを外界から遮断された瞑想状態へと導く。冷徹な都市の孤独を映し出すようなインダストリアルな質感もあり、美しいだけではない、現代社会の歪みや緊張感をも内包した、強靭な精神性を感じさせる一枚である。

Steep Stims / Clark

Clarkの最新作『Steep Stims』(2025年11月リリース)は、IDMの鬼才が原点回帰した衝撃の一枚だ。Throttle Recordsからのリリースで、90年代のレイヴ・エナジーとトランスの浮遊感、荒々しいシンセとドラムマシンを「シンプルに、潔く」詰め込んだ全13曲。冒頭の「Gift and Wound」から既に脳を直撃する鋭い音像が炸裂し、「Infinite Roller」や「No Pills U」ではメロディックな高揚感が心地よい。一方で「18EDO Bailiff」→「Globecore Flats」の約10分にわたるエピックな展開は、混沌と美が交錯する圧巻のハイライト。最近のThom Yorkeコラボ路線から一転、旧来のAccess Virusなどの機材で即興的に作り上げた粗削りな魅力が全開。懐かしさがありながら新鮮で、クラブの暗闇でもヘッドフォンでも強烈に効く。Clarkファンなら必聴、電子音楽好きなら2025年の重要作。

Contact / Sub Focus

ドラムンベース界のトップランナー、サブ・フォーカスによる本作は、ダンスミュージックとしての機能美と、ポップ・ミュージックとしての洗練が完璧なバランスで共存している。緻密に設計されたベースラインと、リスナーの感情を揺さぶる美しいメロディの融合は、彼の真骨頂と言える。 本作では、ジャンルの境界を押し広げるような多彩なアプローチが光り、フロアを沸かせるエネルギーを維持しつつも、アルバムとしての物語性を失っていない。近年のプログレッシブな展開も取り入れ、聴き手を未知のサウンド体験へと誘う。初心者から玄人までを納得させる、現代ドラムンベース・シーンの到達点を示す一枚だ。

(※この記事はLLMで作成しています)

ドイツの警察ノワール小説『17の鍵』を読んだ

17の鍵 (刑事トム・バビロン シリーズ) / マルク・ラーベ (著), 酒寄 進一 (翻訳)

17の鍵 〈刑事トム・バビロン〉シリーズ (創元推理文庫)

早朝のベルリン大聖堂に、深紅の血が降り注いでいた。丸天井の下、頭上10メートルほどの位置に、女性牧師が吊り下げられていたのだ。通報を受けて殺人現場に駆けつけたトム・バビロン刑事は、信じがたいものを目撃する。被害者の首には、カバーに「17」と刻まれた鍵がかけられていた。それはかつて、トムが少年の頃に川で見つけた死体のそばにあった物と同じだった。鍵は10歳で失踪した妹が持ちだしていたのだが、なぜ今、ここに現れたのか。謎を追ううちに、トムは恐るべき真相を暴きだす。

ドイツ生まれの作家マルク・ラーベによる〈刑事トム・バビロン〉シリーズの第1作である(現在4作まで続いているようだ)。物語は、ベルリン大聖堂の丸天井から流血した女性の死体が吊るされていたという衝撃的な光景から幕を開ける。現場に急行した刑事トム・バビロンは、死体の首に下げられた「17」という刻印のある鍵を目にし、それが自身の暗い記憶と直結することで、彼の行動は捜査の枠を超えた遁走へと転じ始める。

本国ドイツではシリーズ累計43万部を突破するベストセラーとなり、日本での評価も比較的高いようだが、私個人としては期待していたほどの感銘を受けるには至らなかった。以下にその主な理由を述べる。

まず、主人公である刑事トム・バビロンのキャラクター造形が、捜査官として看過できないほどの精神的な問題を抱えている点だ。彼は幼少期の妹ヴィーの失踪というトラウマから、現在もヴィーの声や姿が見え、彼女と会話するという妄想性障害を抱えている。悲痛な過去は同情できるとしても、このような極度の精神的脆さを抱えた人物が凶悪犯罪の最前線で捜査を担うという設定には、不安と疑問を感じずにはいられない。

また、トムが子供の頃に友人たちと川底で死体を発見した経緯も、受け入れがたい要素となっている。彼らは「冒険」と称して死体発見を警察にすぐに通報しなかったばかりか、トムは死体が首から下げていた「17」の刻印がある鍵を持ち去ってしまう。さらに妹ヴィーは、それが死体から回収されたものと知りながらその鍵を強く欲しがり、最終的にこの鍵を持ったまま失踪する。一連の少年たちの行動は、極めて未熟で無責任な行動原理に基づいていると言わざるを得ず、読者としては彼らの倫理観に強い疑問符を付けざるを得なかった。

しかも、この過去の出来事が現在の事件の真相と全面的に関わってくるというプロットは、構成上の作為性を強く感じさせ、物語への没入感を削いでしまう。刑事トムは、この関連性を警察組織に隠し、極秘裏に個人的な捜査を開始する。この身勝手な行動は、実際の捜査を難航させるだけでなく、次の被害者を生み出す要因にさえなっている。これはもはや刑事失格というレベルを超え、捜査の妨害者、さらには害悪と評価すべきだろう。しかも彼の個人的な捜索は終始、右往左往しているに過ぎず、実質的な事件の解決は、署の情報分析担当者による過去のデータ洗い出しによってなされているという点も皮肉だ。

このように、極度のトラウマに囚われた主人公が、公私の区別なく感情的に突き進む姿が物語の主軸となっており、読んでいて疲弊を覚えた。事件の背景に旧東ドイツの暗部が関わっているという着眼点など、見どころは確かに存在するものの、主人公の持つ強烈な負の印象が、作品全体を楽しむ妨げとなってしまったというのが、率直な読後感である。

PVA、Erika de Casierなど最近聴いたエレクトロニカ界隈

PVA
PVA / No More Like This【今日の1枚】

ロンドンの3人組ユニット、PVAによる本作は、ポスト・パンクの鋭利な緊張感とダンスミュージックの陶酔が見事に融合した傑作だ。ライブで培われた肉体的な躍動感を、緻密なスタジオワークで昇華。無機質なシンセのアルペジオと生々しいパーカッションが火花を散らすそのサウンドは、聴き手を瞬時に深夜のダンスフロアへと引きずり込む。特徴的なのは、エラ・ハリスの透明感ある歌声と、ジョシュ・ロロ・ウォーバートンの冷徹なスポークン・ワードが織りなす対比だ。90年代のダンス・カルチャーへの憧憬を感じさせつつも、現代社会の閉塞感を打ち破るような力強いエネルギーに満ちている。インディ・ロックとエレクトロニカの境界を軽々と飛び越え、新たな「踊れる音楽」の形を提示した野心的な一枚である。

LIfetime / Erika de Casier【今日の1枚】

デンマークを拠点に活動するエリカ・ド・カシエールの本作は、90年代から00年代初頭のR&Bへの深い愛を、現代的なミニマリズムで再構築した傑作だ。彼女の歌声は囁くように親密で、過剰な装飾を削ぎ落としたプロダクションが、その繊細なニュアンスを際立たせている。かつてのポップ・ミュージックが持っていた懐かしい手触りを残しつつも、シャープな電子音の配置や洗練されたリズム解釈によって、単なるノスタルジーに留まらない「今」の音へと昇華されている。日常のささやかな感情や、静かな夜の独白を切り取ったようなリリックも魅力的だ。ベッドルーム・ポップの親密さと、洗練されたクラブ・ミュージックのクールな質感が同居する本作は、聴く者の日常に寄り添いながら、心地よい浮遊感を与えてくれる。

Sentimental Value / Hania Rani【今日の1枚】

ポーランド出身のピアニスト・作曲家ハニャ・ラニが、ヨアキム・トリアー監督作『センチメンタル・バリュー』のオリジナル・スコアとして発表した同名アルバム。脚本のみを頼りに映像なしで作曲されたという異例のプロセスが、音楽の独立した存在感を際立たせている。ミニマルながら深い余韻を残すピアノを中心に、アルトフルートや繊細なストリングス、現場収録の環境音が織り交ぜられ、映画の家族の喪失感・静かな痛みを抽象的に映し出す。タイトル曲「Sentimental Value」は特に切なく、希望と諦念が同居するメロディが胸を締め付ける。映画を観ていなくても十分に成立する完成度で、むしろ単独の室内楽的作品として聴く価値が高い。前作『Ghosts』以降の歌もの路線から一転、抑制された現代クラシカル/アンビエント寄りのアプローチが新鮮。ヨーロッパ映画賞作曲賞受賞も納得の、静寂の中に感情を湛えた傑作。

2t2 / Cosey Fanni Tutti

スロッビング・グリッスル、クリス&コージーのメンバーとして知られる、インダストリアル・ミュージックの伝説的アイコン。本作は、彼女が長年探求してきた電子音響と身体性の融合が、現代的な感性で再解釈された刺激的な作品だ。無機質な電子音の中に、どこか官能的で有機的な揺らぎを感じさせるのが彼女の真骨頂である。 リズムとノイズの境界線を曖昧にするような大胆なアプローチは、長年のキャリアに裏打ちされた唯一無二の凄みを湛えている。実験的でありながら、不思議と聴く者の本能に訴えかけるその音像は、エレクトロニック・ミュージックの限界を常に更新し続ける彼女の、現在進行形の挑発と言えるだろう。

Mixmag Presents Anfisa Letyago

ナポリを拠点に活動し、現代テクノ・シーンの寵児となったアンフィサ・レチャゴ。本作は、彼女が得意とする「グルーヴィーで催眠的なテクノ」の真髄を味わえるミックスだ。ハードコアな力強さを持ちつつも、女性らしいしなやかさと洗練を感じさせる独特のバランス感覚が、彼女を特別な存在にしている。 次々に繰り出される力強いキックと、空間を埋め尽くすアシッドなシンセサイザーの旋律は、リスナーを瞬時にダンスフロアへと連れ去る。一貫したエネルギーを保ちながら、徐々に熱量を高めていく構成は、まさに彼女のライブセットの勢いをそのまま映し出している。現在のテクノ・シーンの熱量を体感するのに最適な一本だ。

DJ-Kicks: Quantic

世界各地のルーツ・ミュージックを掘り起こしてきた「音の冒険家」クァンティックによる本作は、彼のキャリアを凝縮したような色彩豊かなミックスだ。今回はラテンやソウルだけでなく、よりエレクトロニックなディスコやハウスにフォーカスしているが、根底にあるのは常に強烈な「グルーヴ」である。レアなヴィンテージ・トラックから現代のフロア・アンセムまで、ジャンルの壁を軽々と飛び越えてミックスされる音像は非常に刺激的だ。世界中の音楽が交差する結節点のようなこの作品は、彼の広大な知識とダンスミュージックへの真摯な愛が、一つの大きなうねりとなって押し寄せる。

(※この記事はLLMで作成しています)

映画『ランニング・マン』: キング原作に忠実すぎて「もう一捻り」欲しくなる高予算B級映画

ランニング・マン (監督:エドガー・ライト 2025年アメリカ映画)

近未来のディストピア社会。貧困と格差が極限に達したアメリカで、ベン・リチャーズ(グレン・パウエル)は重い病気の娘を救うため、巨額の賞金が懸かった政府主催の残酷なリアリティショー「ランニング・マン」に参加せざるを得なくなる。この番組は、参加者が全国を逃げ回りながらハンターたちから追われるデスゲームだ。ベンは家族を守るため、メディアの洗脳と腐敗したシステムに立ち向かう。ゲームショーの司会者やハンターたちが次々と現れ、過激な追跡劇が展開される中、ベンは次第に反乱の象徴へと変わっていく。

映画『ランニング・マン』は、同タイトルのスティーヴン・キング原作小説をもとに、エドガー・ライト監督が再映画化した作品だ。最初の映画化は1987年のアーノルド・シュワルツェネッガー主演『バトルランナー』。この2作を比較すると、本作は原作にかなり忠実なアプローチを取っている点が最大の特徴だ。高額予算(約1億ドル超)とグレン・パウエルという今ホットな主演を据えながら、どこか「安っぽい」B級感を漂わせる不思議な作品に仕上がっている。

原作の『ランニング・マン』(リチャード・バックマン名義、1982年)は、キングの作品群の中でも中下位〜下位に位置づけられることが多い。1週間で書き上げたという速筆ぶりが物語るように、プロットはキレッキレだが人物描写が極めて雑。主人公ベン・リチャーズは「怒りまくりの貧乏親父」で、内面的な深みや成長がほとんどない。脇役もステレオタイプの悪役や味方ばかりで、社会批判の怒りが前面に出すぎて深みが薄い。ラストは絶望的な自爆でシステムに一矢報いるものの、救いのない虚無感が強い。

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映画版はそんな原作の「浅さ」を意図的に引き継いでいる。ライト監督はこれまでの持ち味——『ショーン・オブ・ザ・デッド』や『スコット・ピルグリム』で見せたキャラのクセや関係性の丁寧な掘り下げ、ウィットに富んだユーモア——をかなり抑えめにしている。ベン・リチャーズ(パウエル)はいつも機嫌悪く苛立つだけで、脇役もゲームショー内のステレオタイプを反映した平板な扱い。ゲームショーの演出(ディープフェイク、過剰なプロダクトプレイスメント、ハンターの武器名が「FATE」や「JUSTICE」と画面表示されるチープさ)は、メディアの浅薄さをメタ的に風刺するための「わざと雑」なものだ。シュワ版のキャンプで下品なノリを現代的にアップデートしようとした結果、人物像が雑に見えるのは監督の意図的な選択と言える。

この「愛すべきB級」の再現は部分的に成功している。ゲームショー内の過剰でチープな演出、80年代B級アクションへのオマージュ(ド派手なハンター、司会者のイヤミさ)は、確かにシュワ版の馬鹿馬鹿しさを彷彿とさせる。アクションシーンもライトらしい高速編集とスタイリッシュな疾走感があり、グレン・パウエルの等身大の奮闘は好感が持てる。特に橋からのダイブなど、トム・クルーズばりのスタントを自らこなす姿は頼もしい。

しかし、全体として「もう一捻り」が欲しかった。ライトの持ち味である遊び心やキレのあるコメディが抑えられ、シリアスな怒りとB級ノリの間でトーンが不安定。原作忠実を優先したのは評価できるが、もっと盛って全力でB級馬鹿馬鹿しさに振り切るか、逆に監督色を爆発させてスタイリッシュに昇華させるか、どちらかに寄せた方がインパクトがあったはず。高予算大作の制約で「安全牌」に寄ってしまった感は否めない。批評家からも「トーンが一貫しない」「ライトのフルドーズが足りない」「弱い最終幕」といった声が多く、興行的にも苦戦したようだ。

ラストについては、原作の虚無的な自爆エンドを避け、希望の余地を残した形に変えている。ベンが生き残り、家族との再会や革命の象徴として描かれる部分は、ハリウッドらしいカタルシスを与えてくれる。原作の暗さを残しつつ、現代の観客に救いの糸口を残す選択は、ライトの優しさを感じさせる。ただ、シュワ版のようなストレートな「勝っちゃう」爽快感とは少し異なり、どこかぼんやりとした余韻を残す終わり方だ。観終わったあと、明快な勝利感より「これからどうなるんだろう」という曖昧な希望が胸に残る。

結論として、この『ランニング・マン』は「高予算でB級を再現しようとした結果、中途半端にB級っぽさが残った」好例。嫌いな映画ではない。原作の怒りをちゃんと拾いつつ、ラストに明るい余地を残した点は好印象だ。ただ、エドガー・ライトならもっとひねれたはず。シュワ版の脳死で楽しい馬鹿馬鹿しさが恋しくなるのも事実。B級愛好家には刺さるが、ライトファンとしては「次はもっと監督色出して!」という渇望が残る一本だった。


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