村上春樹原作映画『ドライブ・マイ・カー』を観て原作短編集『女のいない男たち』とチェーホフの『ワーニャ伯父さん』を読んだ

ドライブ・マイ・カー (監督:濱口竜介 2021年日本映画)

村上春樹短編小説原作の映画『ドライブ・マイ・カー』を観た。これが思いのほかよくできていて、なおかつ心に刺さるものを感じたので少々駄文を書き散らかしてみたい。また、映画作品を観終わった後に原作である短編集と映画内で取り扱われていたチェーホフの戯曲『ワーニャ伯父さん』も読んだので、そちらの簡単な感想も書いておくことにする。

【物語】舞台俳優で演出家の家福悠介は、脚本家の妻・音と幸せに暮らしていた。しかし、妻はある秘密を残したまま他界してしまう。2年後、喪失感を抱えながら生きていた彼は、演劇祭で演出を担当することになり、愛車のサーブで広島へ向かう。そこで出会った寡黙な専属ドライバーのみさきと過ごす中で、家福はそれまで目を背けていたあることに気づかされていく。

ドライブ・マイ・カー : 作品情報 - 映画.com

村上春樹小説は初期の作品の頃によく読んでいたが、長編『国境の南、太陽の西』辺りからセクシャルなものに仮託し過ぎた展開とすっきりしない文章に飽きてきて読まなくなってしまった。しかし村上春樹原作の映画は『バーニング 劇場版』を始め割と面白いものが多く、この『ドライブ・マイ・カー』にも少々期待していた。ちなみに作品はアカデミー国際長編映画賞を獲得している。

『ドライブ・マイ・カー』は妻の不倫にわだかまりを覚えながらそれをぶつけることなく妻を亡くした舞台俳優・家福が主人公となる。その後家福は演劇祭の演出で広島に赴くが、そこでの移動の為に一人の女性ドライバー・みさきをあてがわれる。戯曲『ワーニャ伯父さん』の準備に日々追われる家福だったが、みさきが寡黙に運転する車中で、様々な思念が次第に輪郭を持ち始めることに気付いてゆくのだ。

冒頭の村上作品らしい濃厚なセクシャル描写には面食らったが、その後淡々と物語られてゆく家福の日常と彼の出会うものに次第に心惹かれていった。

この物語には幾つかの流れとなるものがある。ひとつは家福の、自らの感情を頑なに封印した、その索漠とした生き方である。もう一つは自らを多く語らないみさきの、その語らないことから滲み出てしまう彼女の悲哀である。さらに一つは劇中劇『ワーニャ伯父さん』の物語が、次第に本筋の物語とシンクロしてゆく様である。もう一つ付け加えるなら、『ワーニャ伯父さん』を演ずることになる俳優たちの、気の置けない気さくさである。

最初は特に関連性を見出せないこれらの物事が、物語が進むにつれて次第に溶け合い、共鳴し合うことにより、あたかも化学反応の如くに家福の心に変化をもたらす。そして彼の頑なな心を溶かし、「自分はどう感じているのか、自分の感情はどこにあるのか」を呼び覚ましてゆくのがこの物語である。その過程の、決して単純ではない道筋が、生きることのままならなさと同時に、生きることの希望の在り処を伝えてゆくのだ。

クライマックス、遂に自らの感情の源泉に辿り着いた家福とみさきの台詞回しは、それまで単調で無味乾燥に描かれた主人公たちの表情を一変させ、怒涛のようにほとばしる感情の渦を見せる。だがそれはどこか舞台劇の大仰な台詞回しのようにも感じさせる。しかしこれは、劇中劇『ワーニャ伯父さん』のそのクライマックスに、物語が遂に完璧に寄り添った瞬間を描き出したからではないだろうか。

その『ワーニャ伯父さん』の物語とはどういうものか、そしてそれがどう『ドライブ・マイ・カー』とシンクロするのか。それは今回のブログの『ワーニャ伯父さん』の感想に譲るので、そこを『ドライブ・マイ・カー』の感想の締めくくりとしたい。

女のいない男たち / 村上春樹

舞台俳優・家福をさいなみ続ける亡き妻の記憶。彼女はなぜあの男と関係したのかを追う「ドライブ・マイ・カー」。妻に去られた男は会社を辞めバーを始めたが、ある時を境に店を怪しい気配が包み謎に追いかけられる「木野」。封印されていた記憶の数々を解くには今しかない。見慣れたはずのこの世界に潜む秘密を探る6つの物語。村上春樹の最新短篇集。

『女のいない男たち』は村上春樹が2014年に上梓した短編集だ。6篇の短編が収められ、その内容はどれも恋人や愛人を失った男たちの物語が描かれることになる。映画『ドライブ・マイ・カー』はこの短編集から「ドライブ・マイ・カー」「木野」「シェエラザード」の3篇を換骨奪胎して製作している。

さて短編集だが、読んでみるとこれがまたどれもこれも不倫と浮気のつるべ打ちみたいな内容の物語ばかりで、正直面食らってしまった。もともと村上小説は性的な事柄をあえて強調することで物語の核としているものが多いが、ここまでどれもこれもだと呆れてしまう。不倫の相手に去られて拒食症になる男の話などは単純に「アホか」と思ってしまった。

とはいえ村上はなぜ性的な事柄をあえて強調するのかというと、それは愛と並んで人間の感情の中で最も強烈なものの一つだからなのだろう。村上小説を単なるポルノだと誹謗する批評もあるが、村上の描く「性的な事柄」は人間の懊悩がいわゆるハイパーテキストに描かれたものなのだ。とはいえそう分かっていてもやっぱり辟易してしまうがな……。

ワーニャ伯父さん・三人姉妹 / チェーホフ

若い姪と二人、都会暮らしの教授に仕送りしてきた生活。だが教授は……。棒に振った人生への後悔の念にさいなまれる「ワーニャ伯父さん」。モスクワへの帰郷を夢見ながら、次第に出口のない現実に追い込まれていく「三人姉妹」。生きていくことの悲劇を描いたチェーホフの傑作戯曲二編。すれ違う思惑のなかで、必死に呼びかけ合う人々の姿を、極限にまで切りつめたことばで浮かび上がらせる待望の新訳。

映画『ドライブ・マイ・カー』を観た中でひとつの収穫となったのは、このチェーホフの戯曲を知ったことにあるだろう。実は今までチェーホフを読んだことがなく、この『ワーニャ伯父さん』が初めて読むチェーホフとなったのだ。映画の中では舞台稽古という形で断片的にしか描かれない『ワーニャ伯父さん』だったが、それでもこの戯曲の一つ一つの台詞には心に残るものがあった。

『ワーニャ伯父さん』の物語は自らの人生への後悔とそうした人生への怒りがあり、それをどう昇華してゆくのかが描かれるが、これは映画『ドライブ・マイ・カー』の物語と見事にシンクロしている。その昇華の在り方にしても、結局は耐えに耐え抜いて健気に生きてゆくしかない、という事なのだけれども、それは人生には容易い解法などなく、生きるというただそれだけの事を、今日そうであるように明日もまた噛み締めてゆくしかないのだ、と物語るのだ。

それを諦念ではなく、受容として生きてゆくこと、そこにチェーホフの苦くもまたぎりぎりの希望の在り方をうかがい知ることができるだろう。そしてそれがまた、映画『ドライブ・マイ・カー』の描くものであったとオレは思う。

御彼岸仙台行

その辺の道端で無意味に花を持って立ってみたオレ

この間の土日は御彼岸という事で仙台にある相方さんのお母さんのお墓参りに行ってきました。

仙台の当日の天気予報は雪。乗っていた新幹線から見える風景も仙台に近づくほど雪に覆われた街並みが目立ってきて、移動するの大変だろうなーと思っていたんですが、実際着いてみると雪は影も形もなく、代わりに天気は雨に変わっていました。とはいえ最高気温は5度という大変寒い日で、この日の為に仕舞いかけていたダウンジャケットを再び引っ張り出して出掛けたほどでした。

日程的には土曜日に一泊して日曜日にお墓参りしてその後帰る、という予定だったのですが、なにしろ目的はお墓参りですから観光旅行みたいにあちこち出歩いてブログ用写真をパチパチ撮る、という訳にもいきません。それに仙台はお正月にも遊びに来ていたので、今回は大人しく粛々と予定をこなしました。それでもあちこちで美味しいものを食べたので、そこで撮った写真などを載っけてブログっぽくしてみたいと思います。

まず土曜日、新幹線の時間の関係でお昼を食べる暇がなかったので、仙台に着いてからちょっと遅いお昼ご飯にすることにしました。やっぱり仙台に来たら仙台っ子ラーメン!この日はねぎ味噌ラーメンを食べたよ!

ただしこの日はレンタカーでの移動だったので、夕食は飲み屋で一杯という訳にもいかず(実家が繁華街から相当離れているんです)、夜は結局スーパーで買ってきたワインとチーズと加工肉でささやかな夕餉という事にしました。とはいえ夕食前に健康ランドに行ったんですが、雨の露天風呂は風情があって楽しかったな。健康ランドは地元の若者でとても混んでいましたねー。

翌日はお墓参り。天気は曇り。相方さんの運転する車で30分ほど仙台の田んぼ道や山間の道を走りましたが、これはこれで仙台のいろんな風景が見られて面白かったですね。

お墓参りが終わった後は丁度お昼も間近だったので、回転寿司にでも行ってみようということになりました。相方さんが結構評判のいい回転寿司屋さんを知っていたのでそこに出向いたのですが、いやこれがもう評判通り美味しい店だった!実はオレは回転寿司ってあまり得意じゃなかったんですが、これは認識を新たにさせられてしまった。結局1時間近くお寿司を頬張ってお腹一杯にしてお店を出ました。

 

 

仙台駅に着き新幹線の乗車時間まで間があったので、やっと車の運転から解放されたという事で今度はビールでも飲もうぜ!ということになりました。これも相方さんが穴場のビールスポットを知っていたので、そこに行ったのですがちょっとお洒落な感じのいいお店でしたね。

新幹線に乗ってようやく帰宅。晩もどこかに飲みに行こうぜ!ということになり、近所に新しい韓国料理店を見つけたのでそこに行ってみることに。ここがまた美味しい韓国料理を出す店で大満足でした。またマッコリがすんごく美味しかったんだわあ~。

 

 

とまあひたすら飲んで食った休日でしたが、おかげで体重は増えるわ胃もたれに悩まされるわで、暫く節制しとかねばなりません……。おまけについこの間の箱根旅行と今回の仙台旅行で出費もかさんだので、お財布の方も節制しなきゃ……と思ってたのですがその後なんとまたもやちょっとした出費が!?これについてはいつかまたブログに書くことにして、今回はこれにてお仕舞にしておきます。

(おわり)

少年少女の変身した6人の魔法ヒーロー!/映画『シャザム!神々の怒り』

シャザム!神々の怒り(監督 デビッド・F・サンドバーグ 2023年アメリカ映画)

古代の魔法によって変身した6人のスーパーヒーローたちが活躍する!というDCコミック原作のスーパーヒーロー映画、『シャザム!』の続編『シャザム!神々の怒り』です。しかしこのスーパーヒーローの面々、見た目は大人なんですが、実は子供たちの変身した姿なんですね。今回ヒーローたちの敵となるのはシャザムから魔法の力を取り戻しに来た天空の神ゼウスの3人の娘たち。神々の怒りに触れたシャザムの面々は果たして打ち勝つことができるのか!?

主演はザカリー・リーバイ、神の3姉妹役にヘレン・ミレンルーシー・リュー、そして『ウエスト・サイド・ストーリー』のマリア役で注目された新鋭レイチェル・ゼグラーというのも嬉しいですね。監督は前作に引き続きデビッド・F・サンドバーグ

【物語】古代の魔術師より6人の神のパワー(S=ソロモンの知恵、H=ヘラクレスの剛力、A=アトラスのスタミナ、Z=ゼウスの万能、A=アキレスの勇気、M=マーキュリーの神速)を授かった少年ビリーは、魔法の言葉「シャザム!(S.H.A.Z.A.M!)」と唱えると、超絶マッチョな最強ヒーローのシャザムに変身する。しかし、見た目は大人でも中身は子ども、ヒーローとしても半人前のシャザムは、大人の事情が理解できずに神々を怒らせてしまい、その結果、最強の神の娘たち「恐怖の3姉妹」がペットのドラゴンを引き連れて地球に襲来。未曽有の危機を前に、シャザムは世界のためではなく、ダメな自分を受け入れてくれた仲間のために立ち上がるが……。

シャザム! 神々の怒り : 作品情報 - 映画.com

スーパーヒーロー映画はMCUやDCEUで山ほど作られて結構食傷気味でもありますが、その中でもこの『シャザム!』シリーズはちょっと異色なんですね。まずよくあるスーパーヒーロー映画みたいに暗かったり深刻ぶったりしないんですよ。まずこの作品、「少年少女の物語」であり、つまりは子供たちが主人公という事で、とても目線が低く作られているんですね。ですから内容は明るく軽快でユーモラス、仲間がいて家族がいて、その中で和気あいあいとしたり協力しあったり青春してみたり、友情や愛情を育んだりするわけなんですね。こういった部分がとても和む好印象な作品なんですよ。

とはいえこういった作風だから優れている、というよりも、これまでのスーパーヒーロー映画がアダルトな路線で人気を勝ち得ていた部分に、カウンター的に登場したヒーローである、という部分に新鮮さを覚えるのでしょう。MCUやDCEUが映画界を席巻する前にこの作品が作られていたら単に「子供っぽい」と酷評されたかもしれません。逆に今現在展開するスーパーヒーロー世界が(作品にもよりますが)少々気真面目過ぎて息苦しい分、こういったスーパーヒーロー映画の基本に立ち帰ったような作品が心地よく感じるという事なんだろうと思います。

また、世界観の中心となるのが「魔法」であったり「神話世界」であったりというのも楽しいですね。もちろん「魔法」「神話世界」はこれまでのスーパーヒーロー作品でも取り上げられていますが、『シャザム!』においては目線が低い部分「御伽噺」的なファンタジックな味わいがあるんですね。それと、少年ビリー・バットソンの変身した勇者シャザムのルックスがどうにもオッサン臭くてあまりカッコよくない、と大概の方は思われるでしょうが、これも「少年がオッサン臭いヒーローに変身しちゃう」という落差に面白さを求めたビジュアルなんだと思います。

さて今回シャザム隊と相対するのはギリシャ神話の最高神ゼウスのその3人の娘たちなんですね。これがもうなにしろ神々なわけですから、最強無敵なわけなんですよ。こんな最強無敵の神々とどう戦うのか?が今作の醍醐味となりますが、それと併せこの3人の娘たちの配役が最高なんですよね。最初にも書きましたがヘレン・ミレンルーシー・リュー、そして『ウエスト・サイド・ストーリー』のレイチェル・ゼグラーが演じますが、ヘレン・ミレンにしてもルーシー・リューにしても既にして映画界の女神ですから、もはや「最強の神」としての貫禄十分、そこに今が旬の最高に初々しいレイチェル・ゼグラーが加わるのですから、この3人を眺めているだけで眼福です。

映画の内容にはあまり触れてませんが、粗筋に書いたようなシンプルで分かりやすい愉快痛快冒険活劇だと思ってもらえればいいでしょう。心弾む楽しい作品として仕上がっていることはお約束します。こんな作品がクセモノだらけでクセのあるお話ばかりのDCEUに存在するというというのも不思議ですが、だからこそ貴重な作品だとも言えるでしょうね。逆にMCUやDECUに興味のない方にこそお勧めできるかもしれません。

 

【エモ映画】としての『シン・仮面ライダー』(多分ネタバレなし)

シン・仮面ライダー (監督:庵野秀明 2023年日本映画)

仮面ライダー』とオレ

1971年から1973年まで放送された特撮ヒーロードラマ『仮面ライダー』といえばかつて一世を風靡し社会現象にまでなったTV番組であり、その後もシリーズ化され現在に至るまで圧倒的な人気を誇るフランチャイズである。

かく言うオレも『仮面ライダー』には大いにハマったオコチャマだった。1962年生まれのオレはまさに初代ライダーど真ん中の世代だったのだ。例の「仮面ライダースナック」を狂ったように買い求め、ライダーカードを集めまくっていた。なんと自作の『仮面ライダー』漫画を描いていたりもした。小学生だったにもかかわらず「ライダー少年隊」のペンダントを肌身離さず身に着けていた。オレは北海道生まれだったが、クラスで雪像を作ることになった時、オレが旗を振って仮面ライダー雪像を作った。まさに熱狂的な『仮面ライダー』ファンだった。

そんなオレだが、なんと実はTVできちんと『仮面ライダー』を観たことが無かった。何故かと言うと、当時オレが住んでいた北海道のド田舎では、『仮面ライダー』が放送されていなかったからである。あの頃オレの田舎では民放が2局、NHKが教育放送含め2局という、たった4局しかチャンネルが存在しておらず、そして地方局である民放は自前の番組と併せ内地の番組を買い上げる形での放送をしていたのだが、その中に『仮面ライダー』は存在していなかったのだ。

(話は逸れるがなにしろそういう事情だったので、これも一時期話題になった深夜番組『オールナイトフジ』が真昼間に放送されていたりもした)

世間であれだけ話題になっていたにも関わらず観ることの出来ない『仮面ライダー』に、当時のオレも同じくライダーファンだった級友たちも常にモヤモヤを抱えていた。そんなオレたちのただ一つ接することの出来る『仮面ライダー』は、「東映まんがまつり」における映画『劇場版仮面ライダー』と、テレビマガジンという雑誌に連載していた、すがやみつる描くところの『仮面ライダー』のみであった。原作者である石森章太郎描くところの『仮面ライダー』もコミック化されていたが、大人っぽすぎる・暗い、という部分であまりに好まれていなかった。

オレの仮面ライダー熱は『仮面ライダーV3』が絶頂期であった。しかし続く『仮面ライダーX』から段々「コレジャナイ感」が増してきて、『仮面ライダーアマゾン』は「ナンジャコリャ」という感じだった。オレの田舎で仮面ライダーシリーズがやっと放送されたのは『仮面ライダーストロンガー』からだったが、しかしそれはオレの仮面ライダー熱がすっかり冷めていた頃だった。

庵野秀明監督作『シン・仮面ライダー

というわけで『シン・仮面ライダー』である。オレとほぼ同じ世代である庵野秀明(1960年生まれ・オレと2個違い)が、自らのほとばしるまでの「仮面ライダー愛」を映画化した作品である。「シン・〇〇」と付くタイトルは『シン・ゴジラ』、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』、『シン・ウルトラマン』とあるけれども、庵野はどれも脚本・総監督としての参加であり、この『シン・仮面ライダー』でようやく「監督」としての参加ということになる(脚本も担当)。

するとこれがどういう作品になってしまうのかというと、『シンゴジ』『シンエヴァ』『シンマン』と比べるよりも、むしろ庵野の実写監督映画『ラブ&ポップ』『式日』『キューティーハニー』に近いテイストになるのではないか、と最初に予想していた。オレは庵野実写監督作は『ラブ&ポップ』しか観ていないのだが、悪い作品ではないにしても「アニメ監督の余技」以上のものではなかったと思う(『キューティーハニー』に至っては最初でキツくなって観るのを止めた)。要するに「エンターティンメント作品としては地味か少々マニアックすぎる作品になりそう」と思ったのだ。

『シン・仮面ライダー』の予告編を観たときも実写慣れしていない方の撮る映像だな、と思った。風景を入れた人物全体像の遠景ばかり目立つのだ。風景に何かを語らせたいのだろうが、まるで記念写真みたいで、映画映像としてのダイナミズムに欠けるのだ。そういった具合にエンターティンメント作としてあまり期待するものがなかったのだが、しかし「庵野作品」という期待は大いにあった。監督作ではなかったが、『シンゴジ』『シンエヴァ』『シンマン』のどれにしても、話題作を送り続ける「庵野の頭の中」が覗ける作品だったではないか。

庵野の頭の中

こうして実際に劇場で観た『シン・仮面ライダー』は、ひたすら庵野らしい・実に庵野らしい・兎に角庵野らしい・間違いなく庵野らしい映画だった。物語を綴り映像として表出させる上で否応なく滲み出てしまう庵野の性癖、手癖、拘り、趣向、そういったものが余すところなく開陳された、まさに「庵野の頭の中」の覗ける有意義な作品だった。映画として・物語としての醍醐味そのものよりも、庵野という人間の作家性を満遍なく体験でき楽しめる映画だと感じた。総じて、『シン・仮面ライダー』は「いい映画だった」と思った。

それはまずオリジナル『仮面ライダー』への、そのミクロと言ってもいいぐらいの細部への、強烈な拘り方だろう。そしてそのオリジナルを踏襲しつつ、庵野ならではの心憎いアレンジが加えられた「新しさ」だろう。しかもこの「新しさ」はライダーシリーズその後の変遷とは全く別個の、オリジナルそのものへの新解釈なのだ。これらはライダーと怪人の造形や衣装やガジェット、使われるBGMとSE、テクノロジーや世界観の設定などに顕著に表れる。ここには「古い仮面ライダー」と「新しい仮面ライダー」が同居している。古きに懐かしさを覚えさせながら、新しきに興奮させられる。これは『シンマン』でも如実に表れていたが、いわゆる「オタク度」ではこの『シン・仮面ライダー』のほうがより濃厚であり個人性が強い。

高純度のエモさ

そしてやはりこれも庵野作品ならではの「高純度のエモさ」が満開となっている事だろう。予告編で感じた「風景ばかり目立つ遠景の描写」は、それは庵野自身の、風景の美しさに借りたエモーションの発露なのだ。庵野が風景に語らせたかったのは「エモ」だったのだ。さらにひたすら内省的な主人公や、強烈なツンデレ振りを見せるヒロインのキャラ設定などは、これはそのままエヴァの登場人物である。こうした主人公のナイーブさは、物語構成の根幹にかかわり、それ自体がこの作品のテーマにすらなっている。この「エモさ」はTV作品というよりも石ノ森原作コミックからの展開ではないか。そしてこの「エモさ」に着目し、作品テーマとした事こそ庵野らしさであり、「庵野秀明監督作品」である必然性なのではないのか。

映画的に観るなら、シナリオにしてもドラマにしても「昭和の臭い」が拭い切れないが、これもオリジナルの「(昭和に作られた)SF怪奇アクション」の空気感をなぞったものだと言えないか。登場人物に生命感が乏しいのも庵野作品らしい。結局良くも悪くも「庵野映画」であり、好き嫌いは分かれるだろうけれども、ハマれるなら思いっきりハマれる要素に満ちている。なんにしてもオリジナルの仮面ライダーのテーマが流れる中ライダーがショッカー軍団を粉砕しまくるシーンでオレはうっとりとなってしまったし最高に興奮したよ!こういうのもちゃんとやってる所がいいんだよ!オレは好きだよ、この映画。

Let’s 箱根旅行!(その2)

前回に引き続き箱根旅行日記、「Let’s 箱根旅行!(その2)」となります。

ホテルに着いてやっと一息、この日は十分観光を楽しみましたが移動に次ぐ移動で結構疲れた!早速温泉に入り湯船に浸かって汗を流しました。露天風呂も付いていてなかなかの風情でしたよ。

そして夜はこの日のお楽しみ、フランス料理のディナーです。お品書きは「小海老とカリフラワーのクスクス見立て」「かぶのポタージュ」「サーモンのパイ包み」「仔羊のTボーンステーキ」「秋田県産サキホコレのリ・オ・レと苺のピューレ」。もうどれもこれもとっても美味しかった!考えてみると相方さんとは今までいろんなものを食べ歩いてきましたが、フレンチらしいフレンチの食事をしたのって殆ど無かったんですよね。ワインも1本注文し料理を心行くまで楽しみました。

ところでこのホテル、温泉に入りに行くのは浴衣でOKなんですが、フロントに行く時とディナーの時は浴衣はNGで、なんだかハイブリッドだなあと思いました。他所のホテルもこんな感じなんでしょうか。

ホテルのベランダで山々を愛でながら一服するのも気持ちが良かったです。

そういえばホテルの温泉フロアに併設されている休憩所にマッサージチェアがあったんですが、これがもう最高だった……。今のマッサージチェアってこんな凄いものだったんですね!?揉んだり叩いたりストレッチしたりとすっかりなすがままになり、誰もいない休憩所でマッサージされながら「アへ……アへへ……」と一人変な声を出していた気色の悪いオレでありました!

マッサージチェアですっかり気持ちがよくなりぐっすり眠ってその翌朝、眠い目をこすりながらホテルの朝食です。これが意外とたっぷりで、朝食だからササッと片付けるつもりだったのに1時間余りも食事していました。料理も施設も充実していてスタッフの方の対応も非常に丁寧で、とてもいいホテルでしたね。

チェックアウトの時間となり宿を出てこの日の目的地・岡田美術館へと向かいます。天気予報で知ってはいたんですがこの日は生憎の雨。公園上からケーブルカーで強羅へ、その後登山電車で小涌谷へ。小涌谷から歩いて20分弱ほど歩いた場所に岡田美術館があります。思った以上に雨脚が強く、傘を差しながらの移動となりました。写真で見ても結構雨が降っているのが分かりますね。

岡田美術館ではこの日「記念展・若冲と一村」が開催されており、実は今回の箱根旅行もこの展覧会が観たくて計画したんですよ。相方さんは一村のファンでオレは若冲に興味があり、結構楽しみにしていたんですよね。

とはいえ若冲と一村の展示が思ったより少なくてちょっと残念だったかなあ。岡田美術館自体は5階建てとなる美術館ですが、常設となる展示の殆どが陶磁器で、この辺はあまり興味が湧かなかったな。ただし一部、日本や中国、朝鮮の土器の展示があってこちらはとても面白かったです。美術館を出る頃には雨も上がり、空はすっかり晴れ上がっていました。美術館に併設されている庭園がとても綺麗でしたよ。

という訳で旅行の目的地を周り終わり、家路につくことに。小涌谷から再び登山電車に乗って小田原を目指します。ところでこの登山電車、急な山道を行き来するために3度のスイッチバックがあるんですね。これは単純に言うなら山肌に沿ってギザギザに敷かれたレールを前へ後ろへと走行しながら昇り降りを簡便にするという方法なんですが、大変珍しい体験でした。鉄橋の下に見える峡谷もなかなかの見所でした。

小田原に辿り着きこの日のちょっと遅い昼食をとることにしました。相方さんが炭火焼干物弁当の店を見つけてくれて行ってみたのですが、これが大当たりでした。オレはご飯の上に焼いた干物がたっぷり乗った「小田原スペシャあじ味醂」を食べましたが、どの干物も大層脂がのっていて実に美味しかった!

小田原からJRに乗り換え(旅行なんだから行き帰りグリーン車だよ!)座席で体を伸ばして旅行の余韻に浸っていたオレと相方さんでした。箱根、とても楽しかったな。また機会があったら行ってみたいですね。

(おしまい)