神は存在したのか?〜『 I 【アイ】 (3)』 / いがらしみきお

I【アイ】 3 (IKKI COMIX)

■神は存在するか

いがらしみきおの長編コミック『 I 【アイ】』が完結した。神は存在するのか?人はなぜ生き、そして死ぬのか?人はいつか救われるのか?そもそも「救い」とはなんなのか?そして人はなぜ、「ここ」に存在するのか?コミック『 I 【アイ】』は、そういったメタフィジカルな命題を掲げながら、既存の宗教や安易なスピリチュアル思想とは一線を画し、あくまでいがらし独自の観点と想像力から、それらを見極めようとした作品だったが、それがようやく終極を迎えたという訳だ。
物語は、現実というものがうまく捉えられない少年・雅彦と、奇妙な能力を持った異様な風体の少年・イサオとが主人公となる。放浪の旅に出た二人は、夥しいほどの死と生々しく接してゆくが、その死には、常にイサオが関わっていた。しかし死の寸前に、彼らはイサオによって「救われて」いたのだ。そしてイサオが時折呟く謎の言葉。それらは、世界と人との接点と、その世界を認識する人の意識の在り方と、その中から導き出される、概念としての【神】を暗にほのめかしていたのである。イサオはいったい何者なのか?そして雅彦の放浪の果てに待つものは何か?コミック『 I 【アイ】』はこうした物語である。

■煉獄篇

世界、人間、神、存在、そして認識。これらのアレゴリーは既に第1巻で集約されている。

いがらしは主人公の二人を通して死と生を描く。いがらしの描く死は決して忌むべきものではなく、逆に生は、あえてすがりつくべきものでもない、と言っている様だ。しかしこれは死を肯定し生を否定してるわけではない。単に、人は生き、死ぬだけのものだ、と言っているに過ぎない。人は、死ぬときは、死ぬものだ。しかし、それでは、この生とはなんなのか。【自分】という存在の殻の中だけで始まり、そして終わるだけの孤独な存在なのか。人は孤独なのか。救いはないのか。孤独な我々は、【この世界】と何ら繋がっていないのか。そしてもし繋ぐものがあるとすればそれはなんなのか。いがらしはここで、【この世界】と【自分】が繋がる瞬間を、ひとつの【神性】、まさしく【神】の顕現であることとして描く。


いがらしは物語の言外に「意識」と「無意識」を描き(「人の見ねえどごって?」「誰も見でねえどごさ」P267)、「存在」と「空間」を描き(「なあ。全部つながってっぺよ」P117)、そして「意識」が「存在」を【決定】する様を描く(「見ればそうなる」P219他)。そしていがらしは、【神】の「存在」を、【決定】されていない「無意識」の「空間」の中にあると説く。しかし物語は決して堅苦しく辛気臭いものではなく、逆にいがらしらしいホラーテイストなエンターティメントとして進行してゆく。そして東北の汚濁のような貧しさや野卑な人間関係を交えながら、実に泥臭く物語られるのだ。しかし、そのように見せかけにもかかわらず、その本質には、こういった非常に哲学的な命題を孕んでいるのだ。


◎「神は存在するか。〜 I【アイ】 (1) / いがらしみきお」メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

■地獄篇

こういった【神探し】の旅は第2巻で乱調する。物語はホラータッチのバイオレンス・ドラマとして進行してゆくのだ。

この第2集では、舞台を「にんげん農場」なるカルト・コミニュティを中心にして描かれるが、"一回人間社会の決まりごとをリセットして独自の論理でもう一度新たな社会を構築する"という思想であるらしいこのコミュニティ、一言で言うならなにしろキモイ。そして屍累々だった第1集よりもさらに死体がゴロゴロと転がる展開となっている。それによりホラーテイストは第1集にも増して加速して、その分哲学的なテーマは後退することとなる。しかし、いがらしでなければ描けなかったであろうこのキモさ、その生々しさは、ある意味人の生のグロテスクさを描いたものなのだといえるのかもしれない。第1集が「煉獄篇」だとすると、これは「地獄篇」なのだ。すると次巻では「天上篇」ということになるのか。


◎「I【アイ】 第2集 / いがらし みきお」メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

そしてこの時の予想通り、第3巻は「天上篇」として完結することになる。遂にここでいがらしは真なる救済、真なる真理へと辿り着くことになるが、しかしここで描かれるのは、これまで以上に苛烈な茨の道であり、真なる地獄の情景だったのだ。なぜなら完結編であるこの第3巻のクライマックスには、あの東日本大震災が持ち込まれるからである。

神秘主義

この第3巻の中盤までは、これまでの夥しい死にまみれた物語展開とは裏腹に、成長した主人公・雅彦を中心として語られ、彼の精神的変容へと深く潜航する形を取られている。そしてこれまで物語の舵取り手として存在していたイサオはここでは姿を現さない。雅彦は、自傷によって視力を失い、疾患によって聴力もまた失い、さらに脳疾患を患うことで、意識・認識そのものをも失おうとしていた。雅彦は、生きながら【無】へと還ろうとしていたのだ。
感覚を遮断し【無】へと限りなく近づくことで悟性を獲得するという行為は、従来的な宗教の行として見受けられることであり、これまでの物語の流れから見ると若干陳腐に感じてしまう。荒行の如き過酷な体験を経ねば【真理】に辿り着けない、というのも、「神性の遍在」を描く筈だったこの物語が、いつの間にか一人の男の神秘体験へと個別に特殊化されてしまっているように読めてしまった。逆に言うならこの物語は、望むと望まざるをかかわらず、神秘主義者として生きてしまった一人の男の、その漂泊の遍歴に肉薄したドラマとして完結しているということができるだろう。
しかしそう考えても、この『 I 【アイ】』はそれぞれの巻で微妙にトーンが違う。「神・認識・存在」ということであれば実は第1巻の段階で既にその回答のありかたの予想はつき、その回答をどうドラマに落とし込むかが焦点だった。しかし第2巻はバイオレンス・ホラーで、第3巻は神秘主義者の荒行の物語だ。いがらしらしくもないこのブレ方はなんなのだろう?その原因となるのが第3巻中盤に持ち込まれる、東日本大震災の描写だったのではないのか。

東日本大震災

自傷や疾患を描きながら、この3巻での流れは趣旨変えでもしたかのように淡々として奇妙な静けさに覆われ、そして物語内での時間の流れが不思議なぐらい早くなる。作者が何か「語り急いでいる」印象さえあったぐらいだ。そしてその「語り急いでいる」理由は、東日本大震災と、数々の神秘体験の果てに特殊な"予感"を感じるようになった雅彦との、遭遇を描くことだったのだ。雅彦は、大震災の到来を"予感”する。その恐ろしい災禍の後も、瓦礫の下に横たわる行方不明者たちの場所を"予感”し、次々と亡骸を発見してゆく。言ってしまえばオカルトなのだが、現実に起こった災厄なだけに、強烈に生々しい。それにしても、そもそもいがらしは、なぜ「神・認識・存在」といった観念的なテーマで始まったこの物語を、生々しい恐怖が未だに残る東日本大震災に絡め、そこを終着点としようとしたのだろう?
いがらしみきおの『 I 【アイ】』は、2010年6月25日発売の月刊IKKI8月号から連載された。そして東日本大震災の発生は2011年3月11日。当然の事だが、連載開始の時点でコミック『 I 【アイ】』の構想の中に東日本大震災が含まれているわけは無く、まだ起こっていないこの災厄抜きで、物語の着地点をある程度固めていたであろうことは想像できる。東日本大震災が起こったのは第1巻の後半頃。この時、いがらしは仙台で被災している。その後いがらしは6月7日の朝日新聞朝刊で『許して前を向く日本人 大震災で見た「神様のない宗教」』というコラムを書いている。詳しい内容はこのあたりを読んで貰うとして、ここでいがらしは、大震災の「神様などいない無情な光景」を目の当たりにしつつ、その災害を乗り超えるためには「その神さえも許すことでしか前を向けない」と気付くのだ。

■天上篇、あるいは神を許すということ

ここで冒頭で挙げた『 I 【アイ】』のテーマを思い起こしてみよう。
「神は存在するのか?人はなぜ生き、そして死ぬのか?人はいつか救われるのか?そもそも「救い」とはなんなのか?そして人はなぜ、「ここ」に存在するのか?」
そしてこれを、大震災を絡めて、もう一度読み替えてみよう。
「この未曾有の大災害を目の当たりにしながら、神は存在するといえるのか?この無慈悲な災厄の中で、人はなぜ生き、そして死ぬのか?その無慈悲さの中で、どうして人は救われるというのか?そもそも「救い」とはなんなのか?そして人はなぜ、無情たる「ここ」に存在しなければならないのか?」
当初『 I 【アイ】』は、「神などいない」というエンディングを迎えるはずだったという。しかし「その神さえも許すことでしか前を向けない」ことを思い知ったいがらしは、やはりその「神性の遍在」を、物語のエンディングに持ってくるのだ。途方もない大震災に直面することにより、創作者いがらしは、自らの描く物語のテーマを変えざるを得なかった。それがこの物語のブレであったが、それは創作者であると同時に、一人の人間であるいがらしの、人間であるがゆえの悲嘆と絶望と、そして生きることへの希求が、この物語をもう一度「神性の遍在」へと向かわせた。それが、この物語のラストだったのだ。
そしてここで『 I 【アイ】』のテーマを、「神さえも許す」視点から、さらにもう一度読み替えてみよう。
「神は、いるとしてもそれは無慈悲なものでしかない。そして人は生き、そして死ぬ。人はいつか救われるのか?そもそも「救い」とはなんなのか?そして人はなぜ、「ここ」に存在するのか?それは分からない。なぜなら神はあてにならないからだ。しかし我々は、その神さえも許すことでしか前を向けないのだ」。

I【アイ】 第1集 (IKKI COMIX)

I【アイ】 第1集 (IKKI COMIX)

I 2 (IKKI COMIX)

I 2 (IKKI COMIX)

I【アイ】 3 (IKKI COMIX)

I【アイ】 3 (IKKI COMIX)