二項対立の向こうに/グラフィックノベル『アステリオス・ポリプ』を読んだ

アステリオス・ポリプ /デイヴィッド・マッツケーリ (著), 矢倉喬士 (著), はせがわ なお (著)

アステリオス・ポリプ

アステリオス・ポリプはニューヨークの大学で教鞭をとりつつ、「ペーパー・アーキテクト(設計図だけの建築家)」として名を馳せた著名な(元)建築学教授。 彼は妻のハナと別れてからというもの、過去の幸せだった日々を振り返るだけの無気力な生活を送っている。50才の誕生日を迎えた夜、彼が住む建物で大規模な火災が発生する。 彼は大慌てで思い出の品をいくつか手に取ると、ほうほうの体で自宅を飛び出す。 それは彼が過去を見つめ直し、人生をもう一度やり直すための第一歩だった。

『アステリオス・ポリプ』はアメリカのコミックアーティスト、デイヴィッド・マッツケーリが10年の歳月を掛けて完成させたグラフィックノベルだ。作品は出版後絶大な支持を持って迎え入れられ、アイズナー賞3部門とハーヴェイ賞3 部門を初め、多くの賞に輝いたという。その物語は「一人の男の喪失と再生」を描くものだ。それは生きる理由の喪失であり愛する者を失ってしまうことの喪失である。それは同時に「アメリカの喪失と再生」に重ね合わされている。

主人公アステリオス・ポリプは火災により全てを失ったことを切っ掛けに、成功した建築家のキャリア全てを放棄して旅に出る。そしてとある小さな町に流れ着いた彼はそれまでやったことすらない自動車修理の仕事に就き、その町で平凡に生きる様々な人々と出会う。並行して描かれるのは過去における輝かしい建築家時代の主人公の姿だ。合理性を重んじ論理的思考に長けた彼はインテリ特有の傲慢さを持つ男だった。そんな彼が現代美術アーティストのハナと知り合い愛を育む。しかし感覚的で感情の在り方を重んじるハナと主人公の間には次第に亀裂が生じはじめる。

ちなみにタイトルにもなっている「アステリオス・ポリプ」という主人公の名前は少々変わっているが、これはギリシャ語に由来し、「アステリオス」は「星のような」や「星に関する」という意味、「ポリプ」は「多くの足」や「多くの部分」を意味しているのらしい。これは作中でも言及されるプラトン『饗宴』の、「人間は太古2対の頭と手足を持つ存在であり、それが二つに引き裂かれたのが現在の我々の姿」とされる逸話を暗喩しているのだろうか。

主人公アステリオスの思考の基本となるのは二元論であり二項対立である。アステリオスが偏執的なばかりにこれにこだわるのは、死産で生まれた双子の兄弟がいたからだった。彼は「二人存在する筈だった自分」の片割れを失うことにより、自身が存在と非在の合間に生きているかのように感じるようになってしまったのだ。即ちアステリオスにとって「二項」とは強迫観念なのである。

そしてこの「二元論/二項対立」は物語の中でフーガのように何度も繰り返されることになる。それは男と女であり、思考と感覚であり、論理と感情であり、目に見えるものと見えないものであり、アメリカの歴史の表と裏である。それは物語の中のアステリオスとハナであり、二人の思考様式の違いであり、二人の仕事の根幹となるものの違いであり、同時にアステリオスの過去のキャリア、「ペーパーアーキテクト」という観念的な仕事と、過去を捨てて就いた自動車修理工という実務的な仕事の違いでもある。

「二元論/二項対立」は一見分かり易く物事に合理的な説明を与えるもののように見えるけれども、実は単純で表層的なカテゴライズを為して客観性の名のもとに思考停止しているだけに他ならないのではないか。例えば陰と陽がそれぞれ別個に存在しているのではなく、陰と陽の二つが存在しつつそれが調和することで一つになっているのではないか。対立項にある2つの要素が、それぞれの本質を失うことなく、より高い段階で一つに纏められること、それは「止揚」ということだ。「二元論/二項対立」の思考に囚われていたアステリオスが、自らの中にこの「調和/止揚」を見出すまでを描いたのがこの物語なのだと思えてならない。

その調和は、「生きていたかもしれない双子の兄弟の不在」という、自己存在の不確かさを乗り越える旅でもあったのだろう。アステリオスにあらずとも、人はその心のどこかに名状し難い欠落感や不在感を抱えるものなのではないか。その欠落を埋め合わせ、「調和」へと辿る困難でファンタジックな道のりを描くこの物語は、生き難いこの世界にひとつの道筋を指し示したものであるように思えた。

ちなみに本作の日本語版翻訳出版は出版元であるサウザンコミックスのクラウドファンディング成功によって為されたが、このプロジェクトにはこのオレも微力ながら協力したことも付け加えておきたい。