最近読んだコミック:『九井諒子ラクガキ本 デイドリーム・アワー』『アンダーニンジャ (12) 』『男おいどん (1-6)』

九井諒子ラクガキ本 デイドリーム・アワー / 九井諒子

九井諒子が『ダンジョン飯』執筆中に描き溜めた同作品のショートコミック、イラスト、スケッチ、さらにデビュー前に描いていた様々なイラストを収録した本。そしてこれが凄い。基本は漫画『ダンジョン飯』を描きながらその合間に『ダンジョン飯』のキャラを使って描いた「落書き」だ。しかしこの落書き、どれも高い作画力で描かれているばかりか(しかもカラー)、それぞれのキャラのポテンシャルを見極めるための試行錯誤が成されており、いかにユニーク化が図られていたのかが手に取るように伝わってくるのだ。だからこそ『ダンジョン飯』のキャラクターたちは誰もが皆生き生きとし、確固とした個性を持って物語内で息づいていたのだろう。

そもそも九井諒子の作品の特色は、強固なまでの世界観を持って描かれていることだが、その強固な世界観は生命感あふれるキャラクターたちの存在によって後押しされているのだ。これ、どのキャラクターを使ってもいくらでも『ダンジョン飯』のサイドストーリーが作れそうだよな。落書きしている作者の楽しさがこちらにまで伝わってきそうな本だった。それと、結構な頻度で食べ物や物を食べるシチュエーションが描かれており、確かに『ダンジョン飯』ってタイトルだしなあ、と思ってたら、そもそも作者の人が食べるのが大好きなのらしい。なるほど。

アンダーニンジャ (12) / 花沢健吾

日本に未だに忍者が存在し、さらにNINとUNという組織に分かれて抗争を繰り広げていた、という架空戦記。忍者組織は高度に科学的な装備を有していて、いわば「攻殻機動隊」を現代を舞台に恐ろしくベタな日常感覚と人間関係で描いたコミックともいえる。オレはどうもこのコミックが面白いのか面白くないのかいまひとつピンと来ないのだが、それは忍者の日常描写のシュールさが笑えるような笑えないような醒めた視点で描かれている部分と、登場人物たちに一切感情移入できないような作りになっている部分にあるように思う。ところがいざ戦闘ともなると熾烈かつ冷徹な描写がここぞとばかりに繰り広げられ凄まじい迫力を生んでおり、これが実に読ませるのだ。

とまあそんなことを思いつつこの12巻目まで読み進んできたが、段々というかやっと作者の主眼としたいことが理解できたような気がした。物語に登場する忍者たちは誰もが皆基本的な人間性が欠落している。それはここで描かれるものが殺戮機械とその機構だからだ。『アンダーニンジャ』は、この無機的な存在に堕した人間の不気味さが特徴的なのだ。これは今作が、作者の前作『アイアムアヒーロー』におけるZQN(ゾンビ)が、ZQNではなく知性も技術も持つ人間に転化した物語なのではないかと思えたからだ。人間のようでいて人間とはとても思えないもの、しかし間違いなく人間であるものの不気味さ。それを描いたのが『アンダーニンジャ』なのではないだろうか。

男おいどん (1-6)/ 松本零士

松本零士の大四畳半青春ルサンチマンコミック『男おいどん』は十代前半だった頃のオレのバイブルだった。このコミックに感化されてシマシマでカパカパのサルマタを履くようになった。食堂に行くとラーメンライスばかり注文した。とりあえず無根拠でも威勢だけは良くして生きようと思った。感化された訳は決してないがその後風呂無し四畳半に数十年住んだ。そんな大昔にハマって今はすっかり忘れていたコミックをなぜ今全巻電書で大人買いしたかと言うと、最終巻にこれまで読んだことの無かったエピソード「元祖・男おいどん」「聖サルマタ伝」が収録されていたからである。それと全巻購入だと安かったのでついでで購入したわけだ。

未読だったエピソード2編はきちんと「男おいどん」していて十分に楽しめた。だが、残りの正編を再読してみたところ、十代の頃と感想が180度変わり、「こいつ普通にダメな奴じゃないか」と思えてしまい、逆にそれが衝撃だった。いや、そもそもダメ人間をペーソスでもって自虐的に面白おかしく描いた作品なので、「ダメな奴」が最初から描かれていることに間違いはないのだが、それに共感ではなく拒否感を感じてしまったことに驚いたのだ。

これはオレがいい年した大人になったからなのだろう。10代から40代ぐらいまで「ダメな奴」だった自分を否定して何とか今の「そんなにダメでもない奴」にまでは成長したオレにとって、このコミックの主人公は「既に乗り越えてしまったオレ自身」ということなのだろう。だから作品を否定したい訳では全くなく、「あの頃はこうとしかできなかったけど、でもずっとそのままじゃ駄目だったんだよ」と感じたという事なのだ。いわば青年期に書いた黒歴史的な日記帳を年を取ってから読み返してしまった時の居心地の悪さ、でもあの時のオレのリアルはあれしかなかった、と理解できてしまう事の仄かな悲しさ、それが今のオレにとっての『男おいどん』だった。