最近読んだコミック : サイトウマドとねこぢるy作品をあれこれ

解剖、幽霊、密室 / サイトウ マド

サイトウマドによる心霊・SF系の短篇コミック。よく知らない漫画家さんであったが奇妙に惹かれるものがあり読んでみたところ、これが大当たり、実はかなりな才能をお持ちではないかとさえ思えた。収録作は短篇2作、連作短篇1作。まず「複層住宅」は”部屋の中に誰かいる”というオーソドクスな怪談から始まりつつ、これに複数のファクターが重なり思いもよらぬ結末を見せる。巧い。「怪獣を解剖する」は同工の怪獣映画があったが内容は別物、”怪獣が日常的に存在する世界”をリアルに表現するが、なにより登場人物たちのそれぞれの立場を非常に地に足の着いた視点から描いている部分に実に好印象を得た。素晴らしい。3話連作となる「天井裏に誰かがいる」はタイトル通りの物語だが、「複層住宅」とは全くアプローチを変え、和製「X-FILE」的な展開を見せる部分がまた面白い。怪異を扱うが恐怖を描くのではなく”怪異の存在する世界の構造”を描くのだ。そこがいい。

怪獣を解剖する (上・下)/ サイトウ マド

サイトウマドの短篇集が面白かったので長編にも挑戦したが、短篇とはまた違う作者の技巧と力量をうかがうことができ、またもや大いに感心させられた。『怪獣を解剖する』は同タイトルの短篇を長編化した作品だが、作品世界を深化させ、人物造形をさらに肉付けし、物語においても”短篇モチーフのその先”を描くことで、アイディアを水増しした作品では決してないことが如実に伝わってくる。物語は「怪獣のいる日常」を描くだけでなく、その甚大な災害の様とさらなる怪獣登場による凄まじいカタストロフを描くのだ。

そしてこの作品は、例えば映画『ゴジラ』が水爆実験の恐怖を描いた作品であったように、原子力発電所事故の心理的恐怖と社会的影響を最大のモチーフとした作品である部分に作者の優れた視点をうかがうことができる。しかし作品は決して原発事故への糾弾や安全性の疑問といったイデオロギー性に走ったものではなく、人はそれにどう対処し立ち向かうことができるのか、といった”人間性”の在り方を物語の中心として描くのだ。こういった中立的な立場からしっかりと問題提起しつつ娯楽作を完成させた作者のバランス感覚とセンスに優れたものを感じた。SF的視点も実に堂に入っている。この作者の作品をもっと読んでみたいと思わせた。

汁ゾンビ / ねこぢるy

伝説のカルト漫画家ねこぢる亡きあと、配偶者であった山野一ねこぢるの画風・作風を引き継いで再始動したハイブリッドペンネーム”ねこぢるy”。そのねこぢるyによる電子配信作品がこの『汁ゾンビ』と次に紹介する『ウミネコ』となる。『汁ゾンビ』はねこぢる漫画の主人公・にゃーことにゃっ太がゾンビと遭遇するという長編作だが、そこに改造されたババアやマッドサイエンティストらが絡み、例によって独特の「ねこじるワールド」を展開している。この「ねこじるワールド」とは子供視点の無秩序さと残酷さ、差別的でアンモラルな、いわば「けだものような感性・習性」であり、同時に言語化の為されない感覚的な世界との一体感だ。これらアナーキーな世界観を猫の顔をした子供に託すことで唯一無二とも言えるグロテスクなファンシーさを醸し出しているのが「ねこぢるワールド」なのだ。

ウミネコねこぢるy

一方『ウミネコ』は5編の短篇作が収録される。タイトル作『ウミネコ』は徹底的な差別と暴力、貧困への嘲笑が描かれるが、これが「可愛らしい動物の姿をした子供たちの諍い」というオブラートに包まれることでグロテスクな寓話として成立することになる。ここでは「良識の代表」も登場するがすぐさま冷笑の対象とされ、一顧だにされない。これらねこぢるyの醸し出すアンモラルさは、一見良識的に生活している社会人の心の奥底に澱のように溜まった暗部を抉り出し、誰もが決して公明正大な成人君主ではないことを白日の下に曝すのだ。しかしそういった黒々とした悪意が存在しているにもかかわらず、丸っこい絵柄と主人公猫姉弟の白痴的な天真爛漫さが全てを相殺してしまう、という恐るべきコンセプトがねこぢるy作品の凄味である。