『パスタでたどるイタリア史』を読んだ

パスタでたどるイタリア史 / 池上 俊一 (著)

パスタでたどるイタリア史 (岩波ジュニア新書)

長い歴史と豊かな地域色をもつイタリアで、人々の心を結ぶ国民食パスタ。古代ローマのパスタの原型、アラブ人が伝えた乾燥パスタ、大航海時代がもたらしたトマト。パスタの母体となった中世農民のごった煮スープに、イタリア統一を陰で支えた料理書、そしてパスタをつくるマンマたち……。国民食の成立過程からイタリアをみつめます。

パスタ、とりわけスパゲッティは本当によく食べていた。好物というよりも手軽で安価に作ることのできる料理として重宝していたのである。特に”貧乏人のパスタ”と呼ばれるペペロンチーノは何千回食べたのか分からない。ペペロンチーノと書くと小洒落た響きだが、実態はニンニクと唐辛子だけの素朴な具無しスパゲッティである。安上がりなのもあるが簡単な軽食としても優れていて、夜食だったり休みの日の朝食や昼食によく作っては食べていた。

西洋中世・ルネサンス史を専門とする東京大学大学院総合文化研究科教授、池上俊一による『パスタでたどるイタリア史』は、イタリアにおけるパスタの歴史を振り返るのと同時に、それがイタリア史とどれほど密着に関わってきたのかを綴った食文化研究書である。それは2000年に及ぶ困難に満ちたイタリア半島史と、そこで生み出され次第に民衆に愛される料理となってゆくパスタの歴史を重ね合わせた魅力溢れる歴史書となっている。

一口にパスタの歴史と言っても、イタリアの歴史が一筋縄でいかないように、おそろしく錯綜した紆余曲折を経ている部分がなにしろ面白い。古代ローマ時代においてパスタの原料となる小麦(粉)は主にパンの材料として消費されていた。小麦粉の練り粉を伸ばし焼くか揚げるかしたパスタ状の料理もあったが、どちらかというなら練った小麦粉を団子にして煮込む料理が一般的だった。

その後9世紀の間にローマ帝国は現在のフランス・イタリア・ドイツに3分割され、その中でイタリアは国としての統一性が育まれないまま都市国家が割拠し、地域ごとにばらばらの歴史が展開することになる。この間イタリアに定着したゲルマン人の王侯貴族は肉食を好み、農業は軽蔑され荒廃し、11世紀には復活するものの小麦粉の精製、パスタの作成など手の込んだ料理は忘れ去られていた。その復活は12世紀文化復興における古典文化復権を待たねばならなかった。ローマ時代に揚げたり焼いたりされていたパスタは14世紀から茹でたものとなり、さらにチーズと結びついてパスタ発展の機縁ができた。

15世紀末の大航海時代、イタリアはオスマン帝国により地中海周辺の制海権を奪われ、大航海時代に乗り遅れることでヨーロッパ経済の落後者となる。イタリアの貴族は商業から手を引いて土地経営による利潤を追求するようになり商人から地主へと変貌する。ただしこの大航海時代はイタリアに唐辛子とトマトをもたらすことになる。また15世紀半ばに南イタリアはスペイン支配下となり、領主が農民を収奪する構造、外国人のために現地人が犠牲になるという構造が続くことで農民を困窮させた。しかしこの時代に偉大な建築や絵画、人文主義文化や音楽が生まれ、イタリア黄金時代と評する向きもある。

中世において登場したパスタが本格的に普及するのは近代に入ってからで、それまでは混合パンとミネストラが民衆の主食だった。南イタリアでは早くからパスタが食べられていたが16世紀半ばにおいても贅沢品だった。北イタリアは乾燥パスタが普及するのは近代になってからであり、それまでパン、ジャガイモやトウモロコシ、米が主食だった。とはいえパスタは日常食ではなく多くの民衆にとってハレの場において食す特別食だった。その特別性が地方ごとに特色を生み様々なパスタが生まれ「カンパニリズモ(お国自慢)」の代表となる。それは地方にとって”誇り”だったのだ。

こういった地方料理がイタリア料理として確立したのはイタリアという『国家』が生まれたからこそだった。それは1789年のフランス革命とナポレオンの出現に端を発する。フランス支配地のイタリアでは行政司法などの近代的諸制度が持ち込まれこれら制度改革がイタリアの近代化をバックアップした。1820年代にはイタリア各地に秘密結社が結成され1848年にはガリバルディによる千人隊(赤シャツ隊)が活躍を始め、その尽力もあり1861年イタリア王国が建国、統一は一応の完成をみる。

しかし国家統一は実際には北による南の”征服”であり、政治的社会的に北の論理で南を従属するという「南北問題」という難題を残した。こういった南北の分断を統合するのに「食文化」は大きな役割を果たした。「イタリア料理の父」アルトゥージによる料理書はその要因ともなった。イタリア人にとってイタリア料理がひとつのアイデンティティになることにより、”イタリア”という一つの国家の統一感を生んだのだ。

このように、今世界中でごく当たり前のように馴染まれているパスタには、多くの歴史と様々な紆余曲折が存在し、現在へと至っているというわけだ。そしてこの本のユニークで優れていてる点は、パスタを通してイタリアを語る事で、民衆史、農業史、ひいては産業史を語り、その産業を推進する政治を語り、さらには近現代イタリアの南北問題や女性蔑視問題にまで踏み込んでいる点にある。食には興味があるが歴史にはそれほど惹かれないオレのようなうつけ者でも、パスタへの興味から芋づる式にイタリア史が理解できるという大変旨味のある著作だった。これひょっとしてイタリア史の隠れた名著なんじゃないだろうか。