悲痛な愛の物語 /DCコミック『バットマン:インポスター』

バットマン:インポスター / マットソン・トムリン (著)、アンドレア・ソレンティーノ (イラスト)、高木 亮 (訳)

バットマン:インポスター (ShoPro Books)

自警活動を始めてから約一年経ち、ゴッサムシティの守護者としての地位を築きつつあるバットマン。 しかし、活動が目立つようになったことで、彼はゴッサムの裏社会に潜む権力者を敵に回すことになる。 バットマンを陥れるために、ゴッサムの裏社会はバットマンの偽物(インポスター)を生み出し、その犯罪をすべて本物のバットマンに擦り付ける。 犯罪者のレッテルを貼られ、ゴッサム市警から追われる身となったバットマンは、偽物を捕まえて身の潔白を証明できるのか?

DCコミック『バットマン:インポスター』はバットマンが活動を初めて1年足らずの頃に起こったある凶悪事件を描いた物語だ。この設定で「お?」と思った方は立派なバットマン・ファン。そう、この『バットマン:インポスター』、2022年に公開されたマット・リーヴス監督作『THE BATMAN -ザ・バットマン-』を踏襲する物語として創作されたものなのだ。ただし物語的関連性はなく、同様の出発点から描かれた全く別の物語となっている。

物語は冒頭からして異色さを感じさせる。凶悪犯と格闘して大怪我を負ったバットマン精神科医レスリー・トンプキンスに救われ、ブルース・ウェインの姿を晒してしまうのである。レスリーは「狂った自警団」であるブルースを警察に通報しようとするが思い止まり、彼の壊れてしまった心を治そうとカウンセリングを始めるのだ。

その頃、バットマンの活躍を快く思わない悪党がバットマンを逮捕させるために偽のバットマンをでっち上げ、犯罪者たちの殺戮を開始する。その「殺戮者バットマン」の捜査に当たるのが女性刑事ブレア・ウォンだった。ブレアは数々の証拠からウェイン産業に辿り着き、遂にブルース・ウェインと対面する。対話を繰り返すうちにいつしか恋に落ちてゆくブルースとブレア。しかしそれは警察情報に接触するためのブルースの策略だったのだ。

まだ駆け出しのバットマンは常に満身創痍だ。彼は常に孤独と虚無の影に付きまとわれ、沈鬱な表情を浮かべ、しかし犯罪への憎悪は赤々と燃え盛っている。ここにはマッチョで確信的な正義を行う無敵のバットマンはいない。ただただ苦痛に身悶え、声なき絶叫の中で悪を追い詰めるバットマンがいるだけだ。精神科医レスリーは「暴力を行わなくても正義は成せるはず」と説得するがブルースは聞く耳を持たない。それは彼の心があまりにも傷付き、誰の声も届かない暗い闇の中に堕ちてしまっているからだ。彼が成したかったのは正義ではなく悪そのものへの復讐だったのだ。この「復讐者バットマン」の姿は映画『THE BATMAN -ザ・バットマン-』をまさに踏襲していると言えるだろう。

一方、刑事ブレアは子供の頃に両親を殺され刑事の道を選んだ女性だった。同じ切っ掛けから悪の根絶を目指したブレアとブルースは、だからこそ惹かれ合い愛し合うようになった。だがブレアは法に則った正義を、ブルースは憤怒による私刑を選んだのだ。魂の双子のような相似形を成しながら、お互いの傷を慰撫しあえる愛に恵まれながら、全く違う道を選んでしまった二人の待つ先にあるのは悲劇の予感だけだ。確かにブルースは彼女を利用しようとした。でもブルースは、彼女に自分の哀しみを理解してほしかったのだ。

バットマンを倒そうと倒すまいと、社会がバットマンに押した犯罪者の烙印を返上する術はない。これはクリストファー・ノーラン監督による映画『ダークナイト』を髣髴させる。これに限らず物語全体を覆う無情さは、『THE BATMAN -ザ・バットマン-』のみならず『ダークナイト』をも想起させるものだ。そしてこれは悲痛な愛の物語でもある。愛に焦がれ、愛を必要としながら、結局その愛を拒むことでしかブルースはおのれ自身を保てない。この荒涼とした寂しさ。『バットマン:インポスター』はどこまでも切なく、エモーショナルで、胸の張り裂けそうになる物語だった。傑作である。