若き日のバットマン/ブルース・ウェインを描く”始まりの物語”/映画『THE BATMAN-ザ・バットマン-』

THE BATMAN-ザ・バットマン- (監督:マット・リーブス 2022年アメリカ映画)

f:id:globalhead:20220313160344j:plain

リブート作『THE BATMAN-ザ・バットマン-』

DCコミック・ヒーロー、バットマンの物語はこれまで何度も映画化されてきたが、ここでまた新たなリブートが成された。タイトルは『THE BATMAN-ザ・バットマン-』といたってシンプル、その物語はバットマンゴッサム・シティで活躍を始めた2年目の物語であるという。すなわちルーキーとしてのヒーローの姿がここでは描かれるのだ。

【物語】両親を殺された過去を持つ青年ブルースは復讐を誓い、夜になると黒いマスクで素顔を隠し、犯罪者を見つけては力でねじ伏せ、悪と敵対する「バットマン」になろうとしている。ある日、権力者が標的になった連続殺人事件が発生。史上最狂の知能犯リドラーが犯人として名乗りを上げる。リドラーは犯行の際、必ず「なぞなぞ」を残し、警察や優秀な探偵でもあるブルースを挑発する。やがて政府の陰謀やブルースの過去、彼の父親が犯した罪が暴かれていくが……。

THE BATMAN ザ・バットマン : 作品情報 - 映画.com

結論から言うなら素晴らしいリブート作だった。バットマン映画はクリストファー・ノーラン監督作品『ダークナイト』(08)が最高傑作であると思っていたが、この『THE BATMAN』はそれに勝るとも劣らない優れた作品として完成していた。ある意味ノーラン版で鼻についた「正義と悪の確執」というテーマを取っ払った分、この『THE BATMAN』はよりバットマンブルース・ウェインの苦悩し錯綜する心理に肉薄していた。

活躍を始めて2年目、ルーキーとしてのバットマン

では「正義を成すこと」という頸木を持たない初期のバットマンブルース・ウェインの行動原理はどこにあるのか。それは「復讐」である。活動を始めてまだ2年に満たないバットマンは「両親の死(殺人)」への憤怒で凝り固まり、「闇の制裁者」となって悪に対し徹底した暴力を振るい続けていた。それは正義ではなく私憤でしかない。復讐への渇望に憑りつかれたバットマンブルース・ウェインの目に宿るのは狂気であり虚無である。そこには自滅願望すら漂う。それに呼応して物語はどこまでも暗く鬱々としたものとなり、バットマンが闇を飛び交うゴッサムシティにしてもひたすら陰々滅滅とした都市として描かれてゆく。

そして今回のヴィランとして登場するのがリドラーという男だ。彼はゴッサムを覆う腐敗を糾弾するため次々と汚職役人を血祭りにあげてゆく。そのリドラーが「なぞなぞ」を駆使し、犯罪行為のヒントをあちこちにばらまきながら捜査する者を愚弄する様はデヴィッド・フィンチャー作品『セブン』『ゾディアック』を思わせる。同時にこれらフィンチャー作品と通じる陰惨で不条理に満ちた物語が展開してゆく。

アンビバレントな存在としてのバットマン

リドラーの犯罪行為は不正を成す「悪」への報復であるが、行為それ自体に狂気と虚無がまとわりついているという部分において、リドラーバットマンと表裏一体の存在だ。これは『ダークナイト』においてバットマンとジョーカーが「確執する正義と悪」という表裏一体の存在であったことと呼応している。それはお互いに矛盾したものを抱えるアンビバレントな存在であるという事だ。

しかしそもそもバットマンブルース・ウェイン自体がアンビバレンツな存在だと言えるのだ。蝙蝠の衣装をまとい復讐の名のもとに悪人に暴力を振るい続けるバットマンは、同時に狂気と虚無に蝕まれている。そしてその行為の根源にあるものはヴィランと同等でしかない。そんなバットマンブルース・ウェインが「正義を成すこと」に目覚めてゆくまでがこの『THE BATMAN』の物語となるのだ。そこにはセリーナ・カイル/キャットウーマンとの仄かなロマンスも影響を与えただろう。

ここには有り余る富に鎮座しにこやかにプレイボーイを演じるブルース・ウェインは登場しない。ただ混乱し、孤独で、苦痛に呻吟する若き日のブルース・ウェインがいるだけだ。しかし、その彷徨する魂を描き切ったという点において、『THE BATMAN』は、歴代バットマン・ストーリーを凌駕する作品として完成したのだ。

他にあれこれ

他に細かい感想を書くと、最初バットマンブルース・ウェインを演じるロバート・パティンソンが頼りなく思えて「映画化大丈夫か?」と思っていたのだが、逆にこの頼りなさが「ルーキー時代のバットマン」として作品の素晴らしい特質となっていた。バットモービルにしても「初期バットマン」という設定からか随分と武骨で単純な造形だったが、実際映画で爆走するシーンを見ると、これを作り運転する人間の狂気が伝わってきて非常に盛り上がった。

ゾーイ・クラヴィッツ演じるセリーナ・カイル/キャットウーマンはリアルな存在感に満ち、歴代最高だったと思う(ん……いや、『ダークナイトライジング』のアン・ハサウェイも好きなんだけどさあ)。そしてリドラー、これまでの映画化作品やコミックではダサい衣装のコメディ担当で抜擢が不安だったが、蓋を開けてみるとオタクをこじらせた狂人として登場し、衣装もゴスなヘヴィメタルバンドみたいでなかなか格好良かった。

監督マット・リーヴスの今作における采配は本当に素晴らしかった。また、パンフレットでのインタビューで、参考・引用した映画作品のタイトルの数々を見ながら「そうかそうだったのか!」と頷きっぱなしだった。リーヴスの作品は『クローバーフィールド/HAKAISHA』(08)と『モールス』(10)しか観ておらず、『猿の惑星』シリーズは未見だったので、今度観なければなあと思った。

また、映画を観ながら「この物語ってなんだか知ってるぞ?」と思ってたら、本作はバットマン・コミック『バットマン:イヤー・ワン』から多大なインスピレーションを得ているのだという(全く同じという訳ではない)。このコミックは随分昔に読んでいたので、ちょっと記憶に残っていたのだのだろう。ただ『バットマン:イヤー・ワン』は手放しちゃったので、もう一度購入して読むべきかどうか思案中である。