ロボット・ドリームズ (監督:パブロ・ベルヘル 2023年スペイン・フランス映画)
スペイン・フランス製作の長編アニメーション『ロボット・ドリームズ』は擬人化された犬とロボットの友情と別れを描いた作品だ。舞台は80年代のニューヨーク。一人暮らしのドッグは孤独を紛らわすために通販で「友達ロボット」を購入し、互いに友情を育んでゆく。しかしある事件により二人は離れ離れになってしまう。監督は『ブランカニエベス』のパブロ・ベルヘルで、これが初めてのアニメーション作品となる。
《STORY》ニューヨーク、マンハッタン。深い孤独を抱えるドッグは自分の友人にするためにロボットを作り、友情を深めていく。夏になるとドッグとロボットは海水浴へ出かけるが、ロボットが錆びついて動けなくなってしまう。どうにかロボットを修理しようとするドッグだったが、海水浴場はロボットを置いたままシーズンオフで閉鎖され、2人は離ればなれになってしまう。
まずなにより特徴的なのはこの作品では一切のセリフやナレーションが用いられないことだろう。アニメーションの動きだけで物語全てを説明してしまう手腕も凄いが、シンプルな物語構成と併せ、小さな子供が見ても十分楽しめる作りになっているのだ。オレが観に行った劇場では子供から老人まで幅広い観客層が集い、ネットの評判もあってかほぼ満席の状態だった。
シンプルな物語構成とは書いたが、よく見渡してみるとちょっと風変わりな構造を持つ物語であるようにも思えた。まず冒頭の、主人公の孤独さが描かれた部分が妙にリアルなのである。これがアニメではなくホラーやサスペンスだったら、この後主人公は窓から飛び降りているか新興宗教に帰依するレベルの孤独さだ。主人公は孤独のあまり友達ロボットを購入するが、観ているオレなどは心が汚れているので「えっ、ダッチなワイフ?」などと思いあたふたしたほどである。届いたのがレトロ過ぎる姿のロボットだったので胸を撫で下ろしたが。
ここで描かれるロボットは(異性あるいは同性の)恋人のメタファーかと一瞬思わせもするが、最後まで観てみるならやはりロボットはロボットとしての扱い以上のものではない。つまり暗喩の込められた物語ではなく、どこまでも「主人公とロボットの友情の物語」なのである。だから、深読みしようとせず見たままのお話が展開していると思えばいいのだろうが、どこか何かを見落としているようなもどかしい印象が残るのだ。
また、離れ離れになった主人公とロボットが、相手恋しさに何度も夢想世界に入り込んでしまう展開も、強い感情表現だといえばそれまでだが、なぜここまで執拗に描写されるのか(だから最初ゲイムービーなのかとも思った)。劇中アース・ウィンド・アンド・ファイヤーの名曲『セプテンバー』やウィリアム・ベルの『ハッピー』が何度も使用されるが、これもキャッチーだからという理由以上の意味があったりするのだろうか。それともやはり「(9月という)素敵だった過去」と「現在の幸せ(ハッピー)」というそのまんまの意味なのか?
そもそも、なぜ80年代のNYでなければならなかったのか、という疑問も残る。この「80年代NY」というのがキーワードのような気もするし、これもやはり単純に「素敵だった過去」以上の意味がないのかもしれないが、このあたりもよくわからない。やはりごく単純に「友達がいないのは寂しいことだし、友達をなくすのは悲しいことだね」というだけの物語として観ればいいのだろうか。作品自体は高い水準で制作され、素直に接すれば十分楽しめる作品なのだが、どうにも歯痒い感想を持ってしまったのはアレコレいらないことを考えて観てしまったのと、そもそもオレの性格がひねくれているせいだからなのかもしれない。