観念への肉体性の反逆/映画『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』

クライムズ・オブ・ザ・フューチャー (監督:デビッド・クローネンバーグ 2022年カナダ・ギリシャ映画)

オレにとってデビッド・クローネンバーグは別格の映画監督の一人である。なにしろ1985年に日本公開された『ビデオドローム』が衝撃的だった。当時単館ロードショー公開していた渋谷ユーロスペースにオレは10回近く通い詰め、その悪夢的な特殊効果映像をじっとりと堪能し続けた。後にも先にも劇場であれほど繰り返して観た映画は『ビデオドローム』だけである。

これまで数多くのホラー作品・非ホラー作品を撮り続けたクローネンバーグだが、特にホラー作品に於いてそのテーマは初期作品から一貫している。それは「観念の肉体化」だ。脳髄の中でモヤモヤと蠢く観念、その中で通常隠喩・直喩・暗喩として用いられるであろう言語を、血肉を持った具体物として肉体化するのだ。『シーバース/人喰い生物の島』では性衝動が寄生虫となり、『ラビッド』では性行為の暗喩としての吸血をペニス状の吸血器官として具体化させ、『ザ・ブルード/怒りのメタファー』は怒りそのものが肉腫となりそこから怪物が生まれ、『ビデオドローム』では嗜虐的な映像が肉体そのものを変容させてゆく。それらは観念への肉体性の逆襲だ。

そんなクローネンバーグの最新作『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』はまたしても「観念の肉体化」をテーマに、暴力的なまでに観念を凌駕する肉体性の描かれた作品である。

【物語】そう遠くない未来。人工的な環境に適応するため進化し続けた人類は、その結果として生物学的構造が変容し、痛みの感覚が消え去った。体内で新たな臓器が生み出される加速進化症候群という病気を抱えたアーティストのソールは、パートナーのカプリースとともに、臓器にタトゥーを施して摘出するというショーを披露し、大きな注目と人気を集めていた。しかし、人類の誤った進化と暴走を監視する政府は、臓器登録所を設立し、ソールは政府から強い関心を持たれる存在となっていた。そんな彼のもとに、生前プラスチックを食べていたという遺体が持ち込まれる。

クライムズ・オブ・ザ・フューチャー : 作品情報 - 映画.com

クローネンバーグによればタイトルにある「クライム」とは「人間の身体が自己に対して犯す犯罪」なのだと言う。ここで着目すべきなのはクローネンバーグにとって「自己と身体」が二分化した存在であるとされている部分だ。身体性により反逆を起こされる自己とは即ち観念という事である。こうしてまたしてもこの作品では観念を血肉化し組み伏せてゆく肉体性が描かれることになる。

この物語世界に於いて人類は肉体的苦痛を克服する形に進化していた。しかし苦痛の消失とは肉体性の喪失でもある。だからこそこの世界では肉体そのものがクローズアップされ、その意図的な損傷や変異といったものに注目が浴び、アートとして容認される。それは肉体性の復権という事だ。その究極となるのが自らの腹を手術により切り裂き変異した内臓を曝け出し切除するという、アンダーグラウンドパフォーマンスだったのだ。

ボディサスペンションを含む身体損傷パフォーマンス、過剰なタトゥーやピアッシングといった身体改造は現実に存在するが、ではなぜそれが行われるのか。それは苦痛を通して自己の身体を再発見したいという欲望であり、その背景には肥大化した観念による己れの身体性の喪失という危機感/不安感が存在しているのではないか。そしてその延長線上にあるのが映画『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』だという事ができるのだ。

物語に於いて語られる人間の身体に新たな臓器が生み出されてしまうという「加速進化症候群」は、情報化し尽くされ「脳化」してしまった人間社会の具現化である。新しい臓器とは拡張された身体であり、それは先鋭化したテクノロジーによる人間性の変容を表す。即ち「加速進化症候群」とはテクノロジーの進化により変容した人間社会のまさに今現在の姿に他ならない。こうして物語は変容した人間社会の進化を「新たな臓器」へと置き換え、観る者の前に提示する。つまりこれもまたクローネンバーグならではの「観念の肉体化」した描写なのだ。

人間社会の踏み出した新たな階梯、来るべき/あるいは既に目の前にあるこうした未来への不安、クローネンバーグはそれを、不気味な美術とグロテスクな特殊効果、嫌悪感を催す演出でもって陰鬱極まりない物語として描き出す。だが同時にそれは蠱惑に満ち暗く淫靡な官能に溢れ、アンモラルな美しさに彩られている。ただ恐怖と不安だけに止まらない官能と美しさがクローネンバーグ作品には存在する。それが彼の作品の魅力であり癖にさせてしまうポイントなのだろうと思う。

ただし作品的に見ると、これまでのクローネンバーグ作品は映像それ自体が圧倒的な説得力を持っていたが、今作では台詞での説明で補強しなければそれがなんなのか、今何が起こっているのかが容易に理解し難い部分に難を感じた。とはいえクローネンバーグ作品常連であるヴィゴ・モーテンセンの枯れた存在感、ヒロインを演じるレア・セドゥの生々しいエロティシズム、さらにこれもクローネンバーグ作品常連の美術担当キャロル・スピアの奇怪な小道具とハワード・ショアの荘厳たる楽曲、これらが十分に作品の質を底上げしていると感じた。

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