ハリウッド大通りの亡霊〜映画『マップ・トゥ・ザ・スターズ』

マップ・トゥ・ザ・スターズ (監督:デヴィッド・クローネンバーグ 2014年カナダ・アメリカ・ドイツ・フランス映画)


ああ、邪悪だ、いやらしくて邪悪な映画だ。デヴィッド・クローネンバーグの新作『マップ・トゥ・ザ・スターズ』はかつてホラー・マエストロの名をほしいままにしていた往時の作品のいやらしさと邪悪さが再び降臨し、観る者を絶望の淵へと叩き込む。嬉しいよクローネンバーグ、最近の『危険なメソッド』も『コズモポリス』も悪い作品じゃ無かった、ホラー作品ではないけれど、今まで通り十分【変態】だった、これが円熟か、と思った。でもこの『マップ・トゥ・ザ・スターズ』、ハリウッド・セレブの話だって?興味無いな、なんでそんな題材を?と思っていた。だが物語が進んでゆくと、そこにはクローネンバーグ一流の完膚無きまでの【地獄】が待っていた。そうさ、こうでなきゃ、これがクローネンバーグさ。

舞台は、そう、ハリウッドだ。虚飾と幻影、悪徳と欲望の都、ハリウッドだ。物語はここに一人の少女がやってくるところから始まる。少女の名はアガサ(ミア・ワシコウスカ)、彼女は顔に火傷の跡がある、どうやら体中に火傷跡があるのらしい。アガサは落ち目の有名女優ハバナ(ジュリアン・ムーア)の個人秘書の仕事を得たのだという。で、このハバナがセラピーに通うのがワイス(ジョン・キューザック)という男の所だ。さてこのワイスにはベンジー(エヴァン・バード)という名の息子がいる。彼は売れっ子の子役だが、ドラッグ問題で役を下ろされそうになっている。それをステージママのクリスティーナ(オリヴィア・ウィリアムズ)がなんとかして取り繕うとしているって訳だ。アガサの話に戻ると、彼女はハリウッドに着いてそうそうリムジン運転手のジェロームロバート・パティンソン)と知り合う。ジェロームは、自分は俳優で脚本家だ、なんて言ってるけど、本当かどうかわからない。

という訳で役者が揃い、物語が始まる訳なんだけど、観ていていったい何の話なのか、何を主題に語ろうとしているのか、なかなか見えて来ない、ただアガサの不気味な火傷跡と暗い目と気持ちの悪い言動、死んだ母がかつて主演した映画のリメイク作の役を貰おうと必死になっている女優ハバナの焦燥と不安、セラピストであるワイスのハリウッドにはごまんといそうな胡散臭さ、ワイスの息子ベンジーのいけすかないクソガキぶり、これらが傷跡から染み出る体液のようにジグジグと語られてゆくだけなんだ。しかし観ていると、物語には幾つかのキーワードが提示される、ひとつはポール・エリュアールの「自由」というタイトルの詩だ、それはこの辺で読んでみるといい。そしてもうひとつは「火と水」だ、それはアガサの火傷、女優ハバナの焼死した母、その母の主演作タイトル『盗んだ水』、浴槽に現れる"アレ"、プールでの事故死事件などに代表されるだろう。最後のキーワードは興味を殺ぐかもしれないから書かないが、アガサが語った父と母のことに関わる。

そして一見「ハリウッド・セレブの虚飾に満ちた醜い人生」を描いているように思えるこの物語は、実はそのテーマが別の部分にあることが分かってくる。確かに彼らは虚飾に塗れ、見栄を張り、常に人間関係のマウントポジションを意識し、幻影に憧れると同時に幻影に怯え、その空虚な内実に飢餓感を覚え、神経症ギリギリの焦燥と不安で今にも破裂しそうになっている。しかしそれは特殊な人生を生きる特殊な人々だけの性向なのか。いや、実はこれらの精神的バイアスは、程度の違いこそあるにせよ、ごく平凡に生きているはずの人間たちの心の中でも当たり前のように巻き起こっていることなのではないのか。物語はこれを、「ハリウッド・セレブ」という極端な生を生きる人たちの中に誇張して描いているに過ぎないのだ。即ち、天上人のようなハリウッド・セレブを描きながらも、この物語のテーマは普遍的な部分にあるのだといえる。

ではクローネンバーグは映画を通して「現代人の持つ不安」を描こうとしたのか、というとそうではない。クローネンバーグがその程度の文学趣味で満足するわけがない。奴はインテリだが変態、【インテリ変態】なのだ。クローネンバーグはかつて多くの初期作品で「観念の肉体化」、平たく言えば「情念がグヂョグヂョのバケモノの形になって体中の腔という腔から滴り落ちてくる様」を描いた。「観念の肉体化」ならまだ思索的なのに、それが「グヂョグヂョのバケモノ」になってしまうところがクローネンバーグの変態の所以なのだ。この『マップ・トゥ・ザ・スターズ』ではラテックス製のバケモノは確かに登場しない、しかし、この映画に登場する者たち全てが、己の情念の果てに自らがバケモノと化しているではないか。そしてクローネンバーグ映画に登場するバケモノたちが皆おぞましい破滅を迎えるように、この作品の登場人物たちもまたおぞましい破滅へとひた走ってゆくのだ。

エリュアールの詩、水と火といった象徴は、意味ありげに配されるが、それらは深読みしようとするならいかほどでも意味付けはできるだろうけれども、直截的には深い意味は無い。これらは作品のシナリオライターであるブルース・ワグナーの趣味なのだろうが、所詮は書生の言葉遊びだ。そんなもの、実はクローネンバーグにとってはどうでもいいことだったに違いない。それよりもクローネンバーグが描きたかったのは、実態のないものと狂ったダンスを踊り、バケモノと化しながら破滅へ転がってゆく人々の姿だったのだろう。その悲惨さと絶望を、微に入り細に入り徹底的にえげつなく描きたかったのだろう。そしてそんな地獄のような情景を、クローネンバーグは嬉々として監督していたに違いない。まさに変態の名にし負うクローネンバーグの面目躍如たる邪悪な作品、それがこの『マップ・トゥ・ザ・スターズ』なのである。

http://www.youtube.com/watch?v=ly6Equ9eYPU:movie:W620