明治末期の北海道と樺太を舞台に、「アイヌ民族の隠した大量の黄金の謎」を巡って巻き起こる血で血を洗う抗争の行方を描く”闇鍋ウェスタン”、『ゴールデンカムイ』が遂に完結である。全てのキャラクターのドラマに終止符が打たれ、ある者は死にある者は生き残る。全31巻となった物語はひたすら濃厚で苛烈であり、計算しつくされた綿密な構成はひと時たりとも緊張感を途切れさすことなく、あまりにバカバカしいギャグをばらまくほどの余裕にも満ち溢れていた。
どのキャラクターの背景描写も綿密であり、それが善人であろうと悪人であろうと誰もが人間臭い理由と動機を持ち、それぞれが運命に流されあるいは抗いながら生きる様は、どれも鮮烈な印象を読む者に植え付けていた。よくぞこんな物語を生み出し、息切れすることなく終章まで描き切ったと思う。全く見事としか言いようのない、「マンガという表現媒体の持つ凄まじさ」を見せつけた作品であろうと思う。
主人公・杉元とアイヌ少女・アシリパとの間に、ロマンス的な描写が殆ど介在しなかった点もユニークだった。この二人は「最強の相棒同士」であると同時に、あくまで和人とアイヌ人との共闘の象徴的な存在だったという事なのだろう。この物語のあとに二人になにがしかの感情が芽生えたとしても、それは既に『ゴールデンカムイ』の物語とは関係のない部分で物語られるという事なのだ。
なおこの最終巻は連載版に大幅に加筆修正してあるので、連載版・Web無料公開版を読んだ方もこの「最終決定版」を是非お読みになってもらいたい。
今回は前の巻から続いている「長編シリーズ」の続きなんだが、まあなんてことはない話にせよ、これまでの1話完結展開から目先を変えることができてよかったんじゃないかな。中盤からはまた1話完結展開に戻るのだが、これまでの仏教・キリスト教縛りのギャグから段々外れてきていて、で、またこれが悪くないんだよ。最近ずっともうネタ切れかなあと思ってたんだが、なんだか持ち直してきてるね。
映像研には手を出すな!(7)/大童澄瞳
そういや「映像研」の主人公らには「描きたいアニメ」はあっても「語りたい物語」はないんじゃないかなあと思ってたんだが、この7巻でようやく浅草氏が「語りたい物語」を披露してくれた。これでいいんじゃないかな。ただどうもこの作品、主人公3人以外のキャラと中途半端にSFぽい世界観がいまいち好きになれないんだよなあ。世代ギャップなのかな。
エーデルワイスのパイロット/ヤン(原作)、ロマン・ユゴー(作画)
バンドデシネ。原作ヤン&作画ロマン・ユゴーは第1次・第2次世界大戦を舞台に、主に航空戦記を描いた作品を得意としている。オレはミリタリー関係は興味ないのだが、そんなオレでもヤン&ユゴーの作品は、その緻密極まりないグラフィックで描かれたメカニックの美しさに陶然とさせられててしまう。もちろんメカニックだけではなく全てのグラフィック、さらに熾烈な戦闘描写も格別だ。そして物語がどれもいい。戦争は忌むべきものであるにせよ、戦闘機乗りのロマンとエレジーが実にエモーショナルに迫ってくるのだ。
この『エーデルワイスのパイロット』でも、第1次世界大戦において複葉機を駆る双子の兄弟の数奇な運命と、彼らの運命を決定付けるドイツ軍戦闘機・通称「エーデルワイスのパイロット」、さらには妖艶なロマの娘とが絡み合うという内容になっているのだ。物語は誇りと勇猛さ、愛と悲劇、謎めいた呪いとが交差し、驚くべき結末へと邁進してゆく。美しいヴィジュアルはひたすら映画的で、というよりこれは映画化してもいいのではないかと思わせるほどにドラマティックだ。ミリタリーに興味が無いオレですらこれほどベタ褒めする作品なので、興味の湧いた方は是非読んでみたらどうかな。
川尻こだまのただれた生活 第八集:「ルッコラ育てた話」/川尻こだま
相変わらずの、ゆるく、だるく、自堕落な、主人公川尻こだまのただれた生活を描くTwitter公開作まとめコミックである。Amazonで無料で読めるので気軽に読むがよろし。しかしこの主人公、一見だらしない食生活を送っているように見えて、意外と、というかかなりきちんとした料理も作っている。ホントはこっちが地で、そして日常での失敗やおバカな体験を面白可笑しく脚色したのがコミックのほうなんだろう。こういった脚色面における目の付け方、表現の仕方が優れていて、だからこそここまで人気が出たんだろうな。
アウトサイダー/田辺剛
「ラヴクラフト傑作集」シリーズで唯一無二とも言える暗黒世界を描く鬼才・田辺剛の初期短編集。ある意味習作的な作品も並ぶが、それによりアーチストとしての田辺の本質的な部分が垣間見えるといった部分で面白い作品集だ。まずひとつに、田辺の作話法には情感というものが存在しない。そしてそのグラフィックは、一滴の水分も許さないほどに乾ききっている。つまり作話法とグラフィックの両方に感情を差し挟む余地が一切無いのだ。これはある種の「漫画家」としては致命的であり、それゆえにデビュー当時の田辺は苦しんだのだろうが、しかしラヴクラフトという絶対零度の虚無と出会う事で、その稀有な才能を活かす場を見つけたのではないかと思う。何事も適材適所という事はあるのだ。