ザ・スミス結成以前のモリッシーの物語/映画『イングランド・イズ・マイン モリッシー、始まりの物語』

イングランド・イズ・マイン モリッシー、始まりの物語(監督:マーク・ギル 2017年イギリス映画)

f:id:globalhead:20211212181045j:plain

この間ザ・スミス映画『ショップリフターズ・オブ・ザ・ワールド』を観て深い感慨に浸っていたがザ・スミス終焉をテーマにした『ショップリフターズ~』とは別に、ザ・スミス結成までを描いた作品があるという事を知り、早速観てみることにした。

タイトルは『イングランド・イズ・マイン モリッシー、始まりの物語』。1976年マンチェスター、高校をドロップアウトしたスティーブン・モリッシーが、就いた仕事にも職場の人間関係にも馴染めず、仕事をサボっては詩を書くことだけが毎日の慰めとなり、そのうち恋人とも破局し、遂に煮詰まってバンドでもやろうかと考え、そこでジョニー・マーというギタリストと出会うまでを描いている。

ここで描かれるモリッシーは人嫌いで皮肉屋で悲観的で極端にシャイな男として登場する(え、なんだ、これはオレ自身じゃないか!?)。そんな性格だからいつもイジイジウジウジとしていて、何を言いたいんだか何を考えてるんだかもはっきりせず、ただただいつも「ここ」から逃げ出したがっている(うわあああまさにオレだ)。ただ音楽と詩と文学とあと映画は大好きで、そこだけが生き甲斐だ(オレ、音楽も映画も小説も好きだよ……そして実は、詩も書いていたんだ……)。バンドを始めようと思いつくが、メンバー募集の広告を見て出かけても、相手の姿を見て逃げ出すという体たらく(オレもしょっちゅう就活の面接から逃げ出してたなあ……)。

ザ・スミス結成後の、確信に満ちた詩と音楽を世に送り出していたモリッシーも、それ以前には、こんなグダグダのフニャチン野郎だったのである。物語内ではザ・スミスの曲は1曲も流れないが、ああこれはザ・スミスの、モリッシーの物語なんだなあ、という事は如実に伝わってくる。確かにザ・スミスの音楽は、こんなフニャチンでポンコツな野郎から生み出されたというのは納得できるものがあるなあ、と思わされる。

しかしだ。フニャチンにはフニャチンなりの矜持があるのだ。モリッシーの場合、それは自らの書く詩への圧倒的な自信だったのだろう。いや、自信はなかったかもしれない。だが詩を書くことだけは誰にも譲れなかったのではないか。そして現実的なあらゆる事が向いていなくても、感受性の豊かさ、感性の鋭さにおいて、それを発露させることで生きていける世界がある。そういう世界がきちんとあることが、ある種の救いとなっている部分はあるよな、そしてそういう世界であれたらいいよな、と、そんなことを思った映画だった。