世界の終わりに届いた、人生への「ありがとう」/ 映画『サンキュー、チャック』

サンキュー、チャック (監督:マイク・フラナガン 2025年アメリカ映画)

チャックとは誰か、世界はなぜ終わるのか

世界の終わりが迫る中、街を埋め尽くす謎の感謝広告——「チャールズ・クランツに感謝します。素晴らしい39年間に、ありがとう、チャック。」チャックとは誰か?「ありがとう」の意味とは?そして、世界はなぜ終わるのか?スティーヴン・キング原作、マイク・フラナガン監督によるヒューマン・ミステリー映画『サンキュー、チャック』は、こんな謎めいた導入部から始まる。

【STORY】次々と襲う大規模な自然災害と人災により、世界は終わりを迎えようとしていた。インターネットもSNSも完全にダウンした混沌の中、街頭看板、テレビ、ラジオに突如として大量の広告が現れる。「チャールズ・クランツに感謝します。素晴らしい39年間に、ありがとう、チャック」。高校教師のマーティーは、連絡が取れなくなった元妻フェリシアに会うため家を飛び出す。誰もいない無人の街は、チャックの笑顔と感謝の言葉で埋め尽くされていた。絶望の淵で星空を見つめ、手を握り合う二人。しかしその瞬間、物語は一転する。

キャストは主人公チャックに『アベンジャーズ』ロキ役のトム・ヒドルストン。共演に『それでも夜は明ける』のキウェテル・イジョフォー、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のカレン・ギラン、『ルーム』で子役として注目を集めたジェイコブ・トレンブレイ。『スター・ウォーズ』のマーク・ハミルが登場するのも嬉しいところ。監督は『ジェラルドのゲーム』『ドクター・スリープ』とキング原作作品が続くマイク・フラナガン。ダンスシーンの振り付けを『ラ・ラ・ランド』のマンディ・ムーアが担当している点も注目だろう。

原作のスティーヴン・キングについては特に説明もいらないだろう。『キャリー』や『シャイニング』といった数々の名作ホラーを世に送り出しているが、『スタンド・バイ・ミー』や『ショーシャンクの空に』といった感動的なヒューマンドラマもお手の物だ。この映画は中編小説『チャックの数奇な人生』を原作としているが、今回の記事は以前書いた原作レヴューに多少手を加えて掲載する。

世界の終わりと一人の男の人生

「ありがとう、チャック!」と書かれた看板広告が、破滅に向かう世界に突如現れる。チャックとは誰なのか、なぜこんな広告が、そもそも世界はなぜ終わりを迎えるのか。ミステリアスな導入部に観客はすぐさま引き付けられるだろう。さらに興味深いのは、冒頭が「第3章」から始まり、物語がその後、第2章、第1章へと時間を遡ってゆく構成をとっていることだ。この遡及する語り口自体が、作品のもうひとつのテーマともなっている。

世界の終わりとひとりの男の人生がどう繋がるのか——その強烈なフックから始まりながら、物語はやがてチャックという男の愛すべき人間性へと静かに降りてゆく。少年期から青年期にかけての喜びと悲しみ、愛情と信頼、ストリートダンスや家族との時間。チャックはとりたてて特別な男ではなく、ある意味では平凡ですらある。だからこそ彼の人生は多くの者の共感を呼び、ある意味で「あなたの物語」でもある。

終わりゆく世界に生きながら、自分の人生に「ありがとう」と感謝できるか。この物語が問いかけるのはそういうことであり、チャックの人生はその回答として描かれている。人の一生は始まりから終わりへ一直線に進み、消え去るように思えるかもしれない。しかし一歩引いて俯瞰すれば、時間軸のどこかには輝ける瞬間が確かに存在していた。過去の喜びも、愛した誰かとの時間も、「かつてあった」という事実はどこにも失われない。世界の終わりから遡りながら語られるこの物語は、「終わり」だけが人生の結論ではないことを静かに示す。その輝きは時制を超えて存在し続ける——それはすなわち、「永遠」ということではないか。

映画としての見どころ、ヴォネガット小説との類似性

原作と映画を比較してみよう。中編小説ということもあってまとめやすかったのか、ほぼ原作通りの物語展開で、原作の魅力や面白さも忠実に再現されていた。しかし映画作品としてそれだけにとどまらない素晴らしさを兼ね備えていた。キング小説はもとから映像的ではあるが、映画作品は細部まで小説を再現しているばかりか、街並みや自然の情景の美しさ、人々の表情や声の響き——小説では味わえない「世界の臨場感」を表現しつくしていた。

そしてなんといってもこの映画のハイライトを彩るダンスシーンの素晴らしさだ。ダンスの躍動感もさることながら、実際のドラマーを起用した第2章におけるドラムシーンの迫力は、映画ならではの高揚をもたらしてくれるだろう。そしてこのダンスシーンの高揚が、物語における「人生の素晴らしさ」をより一層強調し、印象付けているのだ。

原作との違いということであれば、まずカール・セーガンの宇宙カレンダー話は映画オリジナルだが、原作にあってもおかしくないぐらい見事に物語を奥深いものにしていた。また、第3章での登場人物らが第1章でさりげなく顔を出すシーンなども、映画ならではの心憎い表現法だろう。

個人的には、物語のテーマにカート・ヴォネガットの名作小説『スローターハウス5』に登場する、トラルファマドール星人の時間認識との類似を感じた。トラルファマドール星人は時間を4次元的な「塊」として同時視し、過去・現在・未来を一望する宇宙人だ。彼らは全時間軸を同時に見るため、死は「ただ一瞬」に過ぎず、人が他の瞬間に「生き続けている」ことを知っている。ただしトラルファマドール哲学は「自由意志を否定」し、暗い諧謔を含むが、『サンキュー、チャック』は絶望的な状況であっても人生を肯定しようとする。映画『サンキュー、チャック』は、明るいカート・ヴォネガットなのかもしれない。絶望の只中でそう思えるなら、それはすでにチャックの答えと同じ場所にある。


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