『三体』の劉慈欣によるSF短篇集『円 劉慈欣短篇集』

円 劉慈欣短篇集 /劉 慈欣 (著)、大森 望 (訳)、泊 功 (訳)、齊藤 正高 (訳)

円 劉慈欣短篇集

十万桁まで円周率を求めよという秦の始皇帝の命により、学者の荊軻始皇帝の三百万の軍隊を用いた驚異の人間計算機を編みだすのだが……『三体』抜粋改作にして星雲賞受賞作「円」、デビュー短篇「鯨歌」など、全13篇を収録した中国SFの至宝がおくる短篇集

超絶的な展開を見せる侵略SF『三体』3部作の大ベストセラーによりSF界のみならず出版界をも席巻してしまったと思われる劉慈欣、次はいよいよ短編集の出版というからこれはもう読むしかないだろう。収録作は13篇、作者自身のセレクトによりデビュー作『鯨歌』から2014年作の表題作『円』までを網羅し、そのどの作品もがユニークなSFアイディアに満ち、また『三体』だけでは伝わらなかった劉慈欣の別の面もうかがわせてくれる。

実際のところ劉慈欣の短編はこれまでさまざまなアンソロジーに収録されていたものを幾つか読んでいて、全てが初めて読む作品ではなかったが(初出は4編)、一度読んだ作品でも新鮮な気持ちで読むことができた。劉慈欣作品は原初的なSFモチーフを最新の科学知識を用いてザックザックと小気味よく叩き込んでくる部分が心地よく、そこに中国的な熱いパッションを持ち込んでドラマを形作るのだ。どこか古典的であり王道なテイストを感じさせるところが劉慈欣作品の味わいだろう。

それでは作品をザックリ紹介。

デビュー作「鯨歌」はドラッグ密輸の秘策を描く作品。アイディアはよくあるものだがコミカルな展開が楽しい。「地火(じか)」は大規模な炭鉱事故を描くが、SF性よりも石炭採掘における中国の現実が垣間見える部分が面白い。「郷村教師」は寒村を舞台に死期間近の教師が登場し、地方の貧困に心痛めていたら途中から稀有壮大な展開を迎えて度肝を抜かされる!「繊維」は並行世界を題材にしたやはりコミカルな1作だが、いやこの視点はなかったわ!と思わされた。

メッセンジャーはバイオリンを弾く老人の登場するファンタジックな味わいの1作だが実は……というお話。「カオスの蝶」は「バタフライ効果」を科学的に実行させようとする物語だが、ありふれた着想を力技で描き切る部分に趣がある。「詩雲」は超越的な宇宙存在に家畜化された人類、という強烈な設定の中に「漢詩」というモチーフを持ち込み、そこに荘子による「混沌」の逸話とボルヘス「バベルの図書館」のマニエリスムとレム「泰平ヨン」の諧謔をぶち込んだ壮大な作品。これ、前日譚もあるらしくて読むのが楽しみ。

「栄光と夢」は戦火により荒廃した架空の中東国家に打診されたオリンピック出場を描くが、世界情勢を題に採った非常に重くシリアスな作品で「劉慈欣、こんな作品も書けるのか」と驚かされた。「円円(ユエンユエン)のシャボン玉」はなにしろシャボン玉を巡るお話なのだが、そこで展開する「臆面もないほどにポジティヴな科学理想主義」そのものがこの物語の真のテーマのような気がする。「二〇一八年四月一日は延命医療によって生まれる格差を描くが、これもありふれた題材ながら切り口がいい。

「一本の電話で変わってしまう未来」を描く「月の光」は短いながらも味わい深い作品。「人生」は記憶を持つ胎児を描くペシミスティックな作品。そういえばこの短篇集自体思ったよりペシミスティックな作品が多いような気がする。掉尾を飾る表題作「円」は『三体』にも組み込まれた物語で、これがなんと「秦の始皇帝が三百万の兵を用いた人力コンピューターで円周率を十万桁まで計算させる」という凄まじいお話。理論は間違いないんだ、三百万人いれば確かに可能なんだろう、でも(フィクションとはいえ)それを本当にそれをやってのけるって、やはりキチガイじみているじゃないか!?このトンデモなさがまさにSFの醍醐味なんだよなあ。