自らの執着に狂わされた男の悪夢の物語/映画『地獄のサーファー』

地獄のサーファー (監督:ロルカン・フィネガン 2024年オーストラリア・アメリカ映画)

怪人、狂人、ブチ切れ演技がメシの種となっているニコラス・ケイジの新たなる心神喪失映画、それがこの『地獄のサーファー』である。今作は、ガラの悪いジモティーが海岸を占領してサーフィンさせてくれないからブチ切れる!という映画なのだが、この粗筋だけで「それって面白くなる要素あるんですか?」と恐る恐る聞いてしまいたくなるような濃厚な地雷臭が漂っているではないか。これは観るしかない!

【STORY】かつての思い出の場所で息子と共に波に乗ろうとした男は、地元の海岸を独占し新参者を排斥しようとする凶暴なローカル集団から、執拗な嫌がらせと暴行を受ける。理不尽な暴力にさらされ孤立無援の状態へ追い込まれながらも、男は意固地になってビーチに留まり続ける。しかし次第に現実と幻想の境界が曖昧になり、男の中に狂気が芽生えてゆく。

実は中盤までは「またしょうもないニコケイ映画を掴まされたか」と若干ゲンナリしていた。燦々と照り付ける日差し、穏やかな波の音、微妙にヌルいサウンドトラック、時折差し挟まれる動物たちの姿——確かに状況は暴力的ではあるが、なんだか緩い展開なのだ。しかし次第に、「これはただ事ではない何かをやろうとしている映画だ」と気づかされ、俄然面白さが増してきた。

まずニコケイ扮する男が、強烈な執着心に満ちた人物として描かれること。彼は結婚生活が破綻しているにもかかわらず、かつての故郷に家を買い、家族とそこに住もうとしている。もう妻は戻ってこないのに。家を買う金さえ危ういのに。さらにビーチでのサーフィンを妨害されたにもかかわらず、駐車場に居座り、地元サーファー連中を執拗に監視し続ける。どうせ何もできないくせに、諦めてさっさと帰らないのだ。

次に、駐車場に居座るニコケイがどんどんボロボロになっていくこと。衣服は汚れ、靴を失い、顔は傷とかさぶただらけ、髭はぼうぼうで目は虚ろ。泥水を啜り、ゴミ箱を漁り、うわごとのようなことばかり繰り返して、他の客に怪訝な顔で見られる始末。もはやホームレス状態である。なぜここまで落ちぶれるのか——それはすべて、冒頭に書いた執着心のせいなのだ。

そしてさらに映画は怪しい方向へと突き進む。男は譫妄状態に陥り、彼の置かれた状況が現実なのか妄想なのか、観客にも区別がつかなくなってくる。彼はサーフィンをしようとしてビーチを訪れたビジネスマンなのではなく、最初からこの駐車場で寝泊まりするホームレスだったのではないか。妻も子も故郷の家も、すべて妄想だったのではないか。

これらすべてが、ニコケイ十八番の怪人演技によってさらに狂ったものとして増幅され、サイケデリックな映像と音響も加味されて、作品は一大バッドトリップ映画として爆走してゆく。「一般人が暴力に耐え続け、挙句にブチキレる」というよくある映画では決してない。これは執着というものが人間をどろどろに溶かしてゆく過程そのものを、黒い笑いで包んだ異形の作品だったのだ。

そして在らん限りの狂気が描き尽くされた後に、男は遂におのれの執着から解き放たれることとなる。地獄を巡り終えた男の心に去来するのは平穏なのか虚無なのか。あるいはこれは男にとって生だったのか死だったのか。全ては微睡むような日差しの中、潮騒と風の音にかき消されてゆく——それ自体が夢だったかの如く。


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地獄のサーファー

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