■アランの戦争――アラン・イングラム・コープの回想録 / エマニュエルギベール
アランの戦争――アラン・イングラム・コープの回想録 (BDコレクション)
- 作者: エマニュエルギベール,野田謙介
- 出版社/メーカー: 国書刊行会
- 発売日: 2011/01/12
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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ある日、ギベールはひとりのアメリカ人、アラン・イングラム・コープと出会い、親交が始まる。アランの戦争体験を聞いたギベールはBDにすることを申し出る。ギベール30歳、アラン69歳のときだった。生涯を大きく決定した戦争体験という青春の日々―訓練で出会った戦友たち、フランス・ドイツ・チェコへの行軍で知り合った人びととの交友―を振り返るアランの人生が、淡々と、ユーモラスに彩られていく。節制された筆致で、戦争のなかの日常の記憶がアランの声とともに再生し、見事に結晶化された、戦争バンドデシネ作品の傑作。
国書刊行会【BDコレクション】の3冊目、『アランの戦争』は、第2次世界大戦末期、アメリカ・カリフォルニア生まれの20歳そこそこの一人の青年が、ヨーロッパ戦線に送り出された時の記憶をコミックの形で描き起こしたノン・フィクション作品である。
まず驚かされるのは、この作品は、読む前に最初にイメージするような、一般的な「戦争モノ」とは全く違っているという事だ。戦争の物語と聞いて思い浮かぶような、過酷さ、熾烈さ、残酷さ、悲痛さが、この『アランの戦争』では殆ど語られない。ハリウッドの映画脚本に抜擢されそうな、ヒロイズムもスペクタクルもドラマチックさも社会批判もここには全く存在しない。戦争を題材にしているのにもかかわらず、この物語は、とても"静か"で"のどか"なのだ。実は語り部である青年アランがヨーロッパに派兵されたのがナチスドイツ降伏前夜の、既に戦争の勝敗が見えていた時期であり、アランの従事した作戦は戦後処理に近いものばかりで、この物語でも戦闘らしい戦闘がほぼ無いに等しいのだ。そもそも、戦争自体が、この物語の半ばで終結してしまう。
この戦場でアランが到った最大の危機は、物置の2階から落っこちたり、仲間の運転する車両に轢かれそうになるなどといった、おおよそ戦場らしくない事故ばかりであったりする。アランはそれをとてもユーモラスに語り、それが彼の暖かな人間性を垣間見させる。もちろん戦争である以上、そこには破壊があり死があり危険があり、それらを当然アランは目にしてはいるけれども、彼はそれらの体験をどこか淡々と穏やかに語る。彼がこの作品のために自身の体験を語った69歳という年齢のせいもあるだろうが、作品全体を貫くこの静かでありユーモラスでもある語り口調が、この作品を、そして主人公であるアランを、とても魅力的にみせている。
この物語は、第2次世界大戦という大きなものを舞台にしながらも、描かれるのは、とても個人的で、ささやかな心情だ。アメリカの小さな町からやってきたアランが戦場で見たのものは、戦場そのものではなく、彼が派兵されたヨーロッパという土地だ。作戦の為、移動に次ぐ移動を繰り返すアランの目に飛び込むのは、ヨーロッパのどことも知れぬ草原と森林と山々であり、名も知れぬ村々とそこで暮らす人々だった。アランはそれら目に飛び込む全てのものを、現れては消えてゆく様々な情景を、非常に瑞々しい体験として脳裡に焼き付ける。それは20歳の青年にとって、戦場である以前に、驚きに満ちた新鮮な世界だったのだ。老年期に達したアランが、様々な事柄を事細かに記憶していたのは、それらの情景にどこまでも深い憧憬を憶えていたからに違いない。
そしてアランは、アメリカとはまるで違うヨーロッパの自然と文化に、人々に、次第に魅せられてゆく。その中でアランは、沢山の人々と出会い、別れ、また再会する。戦争が終り、アメリカに帰った彼は、自分の居場所がここではなく、ヨーロッパであることに気付く。そして再びヨーロッパの地に飛び、そこで暮らすことを選ぶのだ。ヨーロッパに移り住んでからのアランは、決して恵まれた人生を送ったわけではなかったようだが、この苦さも含めてこれが現実というものなのだろうと感じさせる。バンドデシネ作品『アランの戦争』は、アメリカ生まれの青年が、ヨーロッパへの愛に目覚め、そこで暮らすまでの数々の驚くべき体験を、非常に清冽な感性で描ききった物語だという事が出来るだろう。
なお、シンプルなグラフィックのこのコミック、実は描写方法が凄い。動画があるので是非見ていただきたい。
●「アランの戦争(ALAN'S WAR)」メイキング画像