"痛みと喪失"、そして"救済と贖い"の物語〜『バットマン:ダークビクトリー Vol.1、2』

バットマン:ダークビクトリー Vol.1 / ジェフ・ローブティム・セイル、ャスダ・シゲル、御代しおり

ゴッサムシティを震撼させた“ホリデイ連続殺人事件”から約1年。犯罪王カーマイン・ファルコーネの死を契機に、ゴッサムの裏社会の実権は、ファルコーネ一家に代表されるギャングファミリーの手から離れつつあった。1年前、彼ら組織犯罪を根絶すべく立ち上がったバットマンジム・ゴードンにとっては歓迎すべき事態ではあったが、共に誓いを立てた地方検事ハービー・デントのトゥーフェイスへの変貌は、なおも二人の心に暗い影を落とす。時代が大きく動こうとする中、新たな連続殺人事件が発生する。警官ばかりを狙う犯人“ハングマン”の目的とその正体とは…。大ヒットミステリー大作「バットマン:ロング・ハロウィーン」、待望の続編。

前作である『バットマン:ロング・ハロウィーン』は非常に緻密に練り上げられたミステリー仕立ての物語であり、地方検事ハービー・デントが狂気の魔人トゥー・フェイスと化すという物語でもあり、映画『ダークナイト』の構成に間違いなく影響を与えたであろう名作バットマン・コミックであった。祝日ばかりを狙いマフィア関係者をひとりまた一人と血祭りにあげてゆく謎の連続殺人者を追う前作の終息から約1年、今度は警察関係者ばかりを狙う連続殺人事件が発生する…というのが今回の『バットマン・ダークビクトリー』の物語である。
しかし前作ではバットマンお馴染みのヴィランたちが総登場しバットマンコミックスらしい体裁にはなっていたが、直接的な敵役がイタリアン・マフィアであり、バットマンの敵としては少々リアル過ぎてコミックならではの自由奔放さが若干失われていた感があるのは否めない。だが今作では前作のマフィア残党も登場するけれども、より"影なき敵"との戦いに翻弄され苦悶するバットマンの姿があり、ストレートに興奮させられた。
そして今作ではなによりも作品に登場する女たちの描写が素晴らしい。ハービー・デントに代わり地方検事に任命されたジャニス・ポーターの強面する女傑ぶりとその謎めいた私生活。キャットウーマンは怪しげな動きを見せ、その素顔であるセリーナ・カイルはブルース・ウェインの恋人として彼を翻弄する。前作で重症を負ったソフィア・ファルコーネ・ギガンテは新たにマフィア組織を取り仕切り車椅子姿で暗躍する。この3人ほど大役ではないがゴードン市警本部長と別居中の妻バーバラの存在は、ゴードンに苦悩と安寧をもたらす。そして失踪したままのデントの妻ギルダ…。彼女らの存在はこの物語で大きな役割を成しており、ある意味この『バットマン・ダークヴィクトリーVol.1』は"バットマン世界の女たちの物語"とさえ言えるかもしれない。

バットマン:ダークビクトリー Vol.2 / ジェフ・ローブティム・セイル、ャスダ・シゲル、御代しおり

“ホリディ連続殺人事件”から約1年。恐怖の記憶も覚めやらぬゴッサムを新たな連続殺人鬼が跋扈する。その名は“ハングマン”。警官ばかりを狙うハングマンの意図とは何か、そして、殺害現場に残されたゲームに隠された秘密とは…。ゴッサム支配下に置いてきたファルコーネ帝国の黄昏を尻目に、我が物顔で暴れまわるジョーカーら、“フリーク”達。トゥーフェイスとなった盟友ハービー・デントの思い出を胸に、心を鬼にして捜査を進めるバットマンジム・ゴードン本部長。古き悪と新たな悪、そして正義を求める者達の三つ巴の戦いは、ハングマン事件を軸に思わぬ展開を見せていく。新たな悲劇を呼びながら…。話題作『バットマン:ダークビクトリー』完結編、ここに登場。

そしてVol.2、完結編である。前巻で野に放たれたヴィランたちは闇の中を跳梁跋扈し、連続殺人鬼"ハングマン"はバットマンたちを嘲笑うが如く次々と犯行を重ねる。必死の捜査のかいもなく死体の山は築き上げられ、焦燥と憤怒ばかりが募るバットマンとゴードン本部長だったが…。
このVol.2でクローズアップされるのは、まず、かつてバットマンの盟友だったハービー・デントとバットマンとの確執だろう。いまや狂気の魔人トゥーフェイスと成り果てヴィランたちを陰で操るハービーであったが、バットマンにとって彼との思い出は決して無くす事の出来ない得難いものであったのだ。それゆえにトウーフェイスとの戦いは喪失の痛みに満ちたものであると同時に、ハービーとの確たる決別を成さねばならない戦いでもあったのだ。トウーフェイスに鉄拳を振るいながらも「どんな事があろうと、ハービーが盟友だった過去は変わらない」と胸の中で呟くバットマンの孤独と悲嘆の深さはどれほどのものであっただろうか。
そしてもうひとつクローズアップされるのは、やがてバットマンの相棒ロビンとなる少年ディックの登場だ。マフィアにより両親を殺害され孤児となったサーカスの少年ディック。バットマン/ブルース・ウェインは彼を引き取るが、ブルースはディックの中にかつて両親を凶弾に亡くした自分自身を重ね合わせていた。そして、そんなディックの保護者となることで、即ち、"父親"となることで、ブルースは自分自身をも救済しようとしたのではないか。少年の孤独を贖うこと、それは、かつて孤独な少年であった自らを贖うことに他ならないからだ。
この"痛みと喪失"、そして"救済と贖い"の二つのドラマにより、『バットマン・ダークビクトリー』の物語は、前編である『ロング・ハロウィーン』を超える静かな感動に満ちた物語として終焉を迎えるのだ。

●参考:映画『ダークナイト』の原典にもなったバットマン・コミック『バットマン:ロング・ハロウィーン』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ