『麺の歴史 ラーメンはどこから来たか』『ソース焼きそばの謎』を読んだ

麺の歴史 ラーメンはどこから来たか / 奥村 彪生 (著), 安藤 百福 (読み手)

チキンラーメン」生みの親の安藤百福と、日本の食文化研究家の奥村彪生がラーメンのルーツをもとめて旅に出た! 経済、文化、歴史……多様な視点で、今に至るまでのラーメンのすべてを描き尽くす。

日清食品創業者・安藤百福監修により食文化研究家・奥村彪生が記した麺類の歴史本。中国において1500~2000年前に生み出された麺類がどのような変遷を経ながら日本に渡り我々の知るラーメンになったかが研究される。

そもそも中国において”麺”とは小麦粉を指し、これを練って紐状にしたものを麺条と呼ぶのらしい。書籍前半では中国におけるさまざまな麺条とその歴史、さらにレシピまでもが説明される。その中に日本で一般的に「拉麺(ラーメン)」と当て字される麺条と同じ名前を持つ練った小麦粉を手延べで長く伸ばした「拉麺(ライミン)」があるが、これは山東省で発展し、西方・南方へと広がったと考えられている。

ところが、明治時代の横浜中華街で初めて「中華そば」として登場した麵料理は練った小麦粉を強い力で圧延してから包丁で細く切る「 柳麺(ラウミーン)」であり、これは広東のものである。つまりどういうことかというと、日本で最初に登場した”ラーメン”は手延べ麺の「拉麺」ではなく切り麺の「柳麺」であり、日本のラーメンのルーツと語源になるのはこの「柳麺」が正しいということなのだ。そもそも現在一般的に食べられている”ラーメン”は「切り麺」であり、「手延べ麺」とは全く製法が違うのである。

もうひとつ、ラーメンには「老麺」という当て字もあるが、これは「天然酵母の小麦粉発酵生地」を意味し、ラーメンとは何も関係ない。これは「大辞泉」のラーメンの項 「ラーメン【拉麺/老麺】<中国語> 中国風の麺」という説明がそもそもの誤りであるということであり、それを引用しているWikipediaの「ラーメン」項目も誤りということである。

他にも「日本でラーメンを初めて食べたのは水戸黄門」という説を完全否定している点が面白い。確かに水戸黄門は中国人料理人により麺類を供せられたらしいが、ラーメンの定義である「かん水を使った麺類」では全くない以上、この批判は正しい。また、稲庭うどん」は実はもともと平そうめんだったのだという。京で生まれた平そうめんが秋田の稲庭に伝わった時、寒冷過ぎて細くすることができず、太いまま”うどん”と名を変えたのだ。そもそも切り麺であるうどんが稲庭うどんにおいてはそうめんと同じ手延べ製法であるのはそういった理由である。もうひとつ、安土桃山時代において麺類やそば切りは貴族の酒の肴だったという。

本書後半ではラーメンが一般的に広く認知されるようになったのはインスタントラーメンの成果である、などと書かれていて正直「なんじゃそりゃ?」となったが、チキンラーメンを生み出した(と喧伝されているが実は結構毀誉褒貶のある)日清食品創業者が監修している書籍なので「ははーん」と思わされた。なんだよこの本、結局日清食品創業者のヨイショ本なのかよ……。

《参考》

ラーメンよく食べる人が知らない「漢字の歴史」 柳麺?拉麺?昔はどの漢字が使われていたか | 食品 | 東洋経済オンライン

支那そば、中華そばでは不正解…日本で最初の「ラーメン」はなんと呼ばれていたか そして誰がラーメンと名付けたのか | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン) 

教養番組「知の回廊」40「ラーメン、中国へ行く-東アジアのグローバル化と食文化の変容」 | 中央大学

NHK『まんぷく』チキンラーメンは本当に「発明」なのか | ハフポスト PROJECT

ソース焼きそばの謎 / 塩崎 省吾 (著)

お祭りで食べる「あの味」の意外な起源 なぜ醤油ではなくソースだったのか? 発祥はいつどこで? 謎を解くカギは「関税自主権」と「東武鉄道」にあった! 多数の史料・取材と無限の焼きそば愛でルーツに迫る興奮の歴史ミステリー

 国内外の焼きそばを1000軒以上食べ歩いてきたという焼きそば評論家、塩崎省吾氏によるソース焼きそば史。冒頭の”ソース焼きそばのルーツ”は以前読んだ『お好み焼きの戦前史』(日本食文化史研究会)の引用が多く特に新しい発見はなかったが、改めて書くならばソース焼きそばは大正時代、お好み焼きの派生物として東京で誕生したという。

その後ソース焼きそばは日本全国に伝播してゆくが、ここで重要な要因が存在する。それは小麦粉の普及である。それまで日本にも”ウドン粉”という形で小麦粉は存在したが、それは水車挽きのキメの粗い中力粉で、良質な機械製粉の小麦粉、”メリケン粉”の普及は輸入に頼っていた。それが明治32年関税自主権が回復したことにより国内でも盛んに小麦粉が生産されるようになり消費に拍車をかけたのだ。

次にお好み焼きを始めとするコナモン文化がなぜ北海道・東北に根付かなかったかだ。日本は戦後の20~30年代に食糧難に陥り、小麦粉食が日本人のカロリーを支えたが、北海道・東北に関しては食料自給率が高く、小麦粉食に頼ることがなかった。そのためコナモン文化が根付くことがなかったのだという。この記述はコナモン文化のない北海道生まれのオレにとって大いに納得できるものだった。