村上春樹翻訳版スコット・フィッツジェラルド短篇集『ある作家の夕刻 フィッツジェラルド後期作品集』を読んだ

ある作家の夕刻 フィッツジェラルド後期作品集 / スコット・フィッツジェラルド(著)、村上春樹(編訳)

村上春樹 翻訳ライブラリー-ある作家の夕刻-フィッツジェラルド後期作品集 (村上春樹翻訳ライブラリー f 6)

作家としての窮状さえも、フィッツジェラルドは 見事に小説に結実させていった―― 華やかな喧噪の日々から一転、三十代にして迎えた不遇の時代。 そして早すぎる死を迎えるまで。 多彩なスタイルの短篇小説と、秀逸なエッセイをセレクト。 揺るぎなく美しいその筆致を味わう、最後の十年間のベスト集。

スコット・フィッツジェラルドの最盛期は1920年代と言われている。名作『グレート・ギャツビー』が刊行されたのがフィッツジェラルド29歳の時、1925年だったから、その前後ということだ。その頃のフィッツジェラルド時代の寵児としてもてはやされ、当時最先端だったジャズ・エイジ、あるいはフラッパーといった存在の象徴とみなされていた。「今をときめく流行作家様」だったのである。

しかしその成功はフィッツジェラルドを膨大な蕩尽と酒浸りの生活へと向かわせ、そこに1929年から始まったアメリ大恐慌、さらに妻ゼルダ精神疾患と入退院生活が重なり、フィッツジェラルドの生活は次第に困窮してゆく。時代は彼を見捨て「流行遅れの作家」とみなされた彼の新作は誰にも顧みられず、新作が発表されても評価されることなく原稿料も微々たるものだった。

そんな状況の中でも妻や子を見捨てることなく、再び文壇に返り咲こうともがくフィッツジェラルドだったが、アルコールを手放すことができず、健康状態は悪化していった。そして1940年、アルコールを断ち新作長編『ラスト・タイクーン』を準備していた最中に心臓発作で急逝する。フィッツジェラルド44歳の時だった。20年代にあれほど世間を騒がせ圧倒的な注目を浴びていた彼の葬儀には少数の人間しか集まらなかったという。

村上春樹 編・訳によるスコット・フィッツジェラルド短篇集『ある作家の夕刻 フィッツジェラルド後期作品集』は、1930年代、フィッツジェラルドが困窮していた時代に書かれた短篇8作を年代順に収録したものである。さらにそこにエッセイとして名高い『私の失われた都市』、「崩壊3部作」、さらに「若き日の成功」の5編が収められる。晩年と呼ぶには早すぎる時期の、しかも「流行遅れ」でもなんでもないしっかりとした輝きを持つ作品が並び、いかなる困窮状態にあったとしてもフィッツジェラルドの文章が決して色褪せていないことが如実に伝わってくる。

ただしこれらの作品は20年代フィッツジェラルド最盛期の作品とは若干趣を異にしている。これは若かりし頃の短篇が恋の駆け引きや上流階級への成り上がり、あるいは憧れについて書かれたものが多かった部分を、中年を過ぎて脂の乗ったプロ作家としてのバラエティに富んだストーリーテリングを見せているといった部分だ。実生活でいかに尾花打ち枯らしていようとフィッツジェラルドの才能は決して失われることなく、むしろ十分に充実した内容を見せているのである。そこにはやはり「人生の翳り」が影を指していることは否めないが、だからこそなおさら深く鋭利にその筆致が際立っているのだ。

それは例えば「異国の旅人」における憂愁、「ひとの犯す過ち」の幻滅、「クレイジー・サンデー」の失望、「ある作家の午後」「アルコールに溺れて」の自虐、「フィネガンの借金」の自嘲、失われた十年の虚無に現れることになる。ただし「風の中の家族」は竜巻災害を描く驚くべきカタストロフ小説で、これがまた読ませるのだ。そして5編のエッセイに横溢する悲哀と絶望感の、その暗く仄かな輝きは、この短篇集をまさに【特別】なものにしている。

なおこの短篇集ではこれまで村上春樹翻訳ライブラリーにおけるフィッツジェラルド作品集に収録されていた「マイ・ロスト・シティー」が「私の失われた都市」と改題された作品として、また「アルコールの中で」が「アルコールに溺れて」と改題された作品として新たに翻訳し直され収録されている。叢書の中に同じ短篇が重複するのは珍しいが、例えば村上が「マイ・ロスト・シティー」を訳したのが40年も前ということだから、村上としても40年経った今どう訳せるかに挑戦してみたかったのらしい。これに限らず今回の村上の訳文はこれまでの短篇集よりも重厚であり、ある意味40年を経た作家・村上の変遷とも繋がるものがあるかもしれない。

【収録作】

〈短篇小説〉異国の旅人/ひとの犯す過ち/クレイジー・サンデー/風の中の家族/ある作家の午後/アルコールに溺れて/フィネガンの借金/失われた十年

〈エッセイ〉私の失われた都市/壊れる/貼り合わせる/取り扱い注意/若き日の成功