マイ・ロスト・シティー / スコット・フィッツジェラルド(作)、村上春樹(翻訳)
何年ものあいだ、フィッツジェラルドだけが僕の師であり、大学であり、文学仲間であった――翻訳者・村上春樹の出発点ともなった短篇集を全篇改訳。新たにフィッツジェラルドのインタビューを収録。
短篇5作とエッセイ、インタビュー、さらに村上春樹によるフィッツジェラルド・エッセイが収録されている。原稿料欲しさに書き飛ばしたかなと思われる作品が見受けられるし、脂の乗った時期の『冬の夢』と比べるなら決して完成度が高い作品が並んでいるわけではないが、そういった部分も含めて”フィッツジェラルドらしい”短篇集のように思えた。
まずは村上春樹のエッセイ『フィッツジェラルド体験』で村上の”信仰告白”が成されるが、こういったあからさまさからは逆に職業作家としての矜持を感じ取ることができて意外に悪くなかった。
そして最初に紹介される短篇『残り火』。夫が寝たきりになってしまった妻の窮状が描かれるが、メロドラマ的なプロットは感心しないとしても、どこか作者の破滅願望が見え隠れする部分にフィッツジェラルドらしさを感じる。フィッツジェラルドの短編に幾つかの弱点を感じたとしても、その弱点すらも眩く感じさせることがあるのだ。それは多分作者の真摯さによるのではないだろうか。
南部から北部に嫁いだ娘のカルチャーギャップを描く『氷の宮殿』は、北部ミネソタ生まれのフィッツジェラルドにとってのNY生活の衝撃を形を変えて描いたものなのではないか。都会的な作家のイメージだがその根底には地方出身者のセンチメントを抱えているのだ。
失業した父と娘の物語『悲しみの孔雀』も単なるメロドラマでさらに未完成に感じた。ただここでも貧困への恐怖が描かれることになり、金遣いの荒かったというフィッツジェラルドの不安が反映されているのだろう。
『失われた3時間』も大衆紙の好みそうな寸止めの”よろめき”ドラマ。ただし聞き間違えによる急展開は腐っても職業作家の腕を感じる。
『アルコールの中で』はほぼアル中だったフィッツジェラルドの自虐的な自画像なのだろう。同じ酒好きとして身につまされる物語であることを告白しておく。
エッセイ『マイ・ロスト・シティー』はフィッツジェラルド自身の喪失と漂泊を煌めくような美しい文章で綴った名編。だからね。あれこれ書いたけどフィッツジェラルドの文章は、自身が耽溺したアルコールのように心地よく酔わせる成分に満ちているんだ。村上が傾倒するのも分かるというか、むしろこの短篇集を読んでどれだけ村上がフィッツジェラルドに影響を受けているのかが如実に伝わってくる、ある意味村上の原型みたいな短篇集なんだよな。
最後はマイケル・モクによるインタビュー『F・スコット・フィッツジェラルド』。酒に溺れた貴公子の様子がシニカルに描写され、やはり同じ酒好きとして身につまされる内容であった……。
