文士厨房に入る /ジュリアン・バーンズ (著), 堤 けいこ (翻訳)
数々の料理書を読み漁り、両手に余る調理器具をキッチンに揃え、手料理をふるまい味わうことを無上のよろこびとしながら、レシピにとまどい、出来栄えにどこか不安を覚えてやまない、落ち着かない文士。その知識と経験を惜しげもなく披露した本書は、個別のレシピを越えてクッキングの苦楽の本質を明らかにする。面白くて役に立つ本として、『ガーディアン』紙が選ぶ「この10年の食に関するベスト本」で「記憶すべき一冊」として挙げられた。老若を問わず、厨房男子とそのパートナーのための本。
ジュリアン・バーンズは結構な料理好きなのらしい。この『文士厨房に入る』は、そのバーンズが料理に関して思うよしなしごとを17の章に分けて書いたエッセイとなる。とはいえ、決して自らの卓越した料理スキルや料理への偏愛を誇示したものでは全くなく、むしろいつも失敗にびくびく怯えながら料理に臨む自らの姿をコミカルに描くエッセイとなっている。
なにしろバーンズ、料理好きとはいえあまり自分の腕には自信を持っていないようで、常にレシピに張り付いて料理を作っているらしいのだが、そのレシピに対しああだこうだと難癖をつけて泣き言を書き連ねている部分がどうにも可笑しくまた楽しい。挙句の果てに料理が失敗するのはレシピのせいだ!とまで言う始末で、このヘタレ芸がまたバーンズらしいなと思わせてくれる。オレはバーンズ文学に底流するのはヘタレなのではないかと勘繰っているのだ。
実はオレも料理をよく作るほうなのだが、料理上手というほどのものでは全くなく、バーンズと同じくレシピにへばりつき、戦々恐々としながら料理を作るタチだ。そしてやはりバーンズと同じく、失敗するとレシピが拙いせいだ!と責任展開するヘタレ料理人である。だからこの本を読んでいてそうだろうそうだろう!とバーンズへの限りない感情移入を覚えたほどである。負け犬が傷を舐め合っているが如きものである。
このように、下手の横好きで料理に臨む自らの姿を、若干の自虐を込めて書かれたエッセイではあるが、そこはバーンズ、意外とそういった脚色のもとに書かれたものかもしれないと思わせる部分もある。読んでいくとバーンズは数十冊のレシピ本を所有し、作る料理も使用する食材も非常に多岐に渡り、それらに対する知識も持ち合わせており、さらに数多の調理器具を持ち、あまつさえ客人を招いての料理についても言及されるからだ。そういった部分で、バーンズの料理に対する基準値が非常に高いからこその自己卑下ともいえ、決して侮ってはいけないということも感じさせた。
どちらにしろ軽妙洒脱な文章はどこまでも楽しく、単に料理好きの書いた料理に関する文章に止まらない、バーンズらしいエスプリにあふれたエッセイだった。いかに料理の腕が今一つだと告白しようと、文章の腕が一級の作家が書いたものなのだから。