『J・G・バラード短編全集 第4巻』(だけ)を読んだ

J・G・バラード短編全集(4) 下り坂カーレースにみたてたジョン・フィッツジェラルドケネディ暗殺事件/J・G・バラード

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『結晶世界』『ハイ・ライズ』などの傑作群で、叙事的な文体で20世紀SFに独自の境地を拓いた鬼才の全短編を五巻に集成。第四巻には自伝的要素が色濃く投影された本邦初訳作「Dead Time」や発表時に多大な衝撃をもたらした濃縮小説「下り坂カーレースにみたてたジョン・フィッツジェラルドケネディ暗殺事件」など21篇を収録。

「『沈んだ世界』『結晶世界』『ハイライズ』で知られる鬼才の全短編を執筆順に集成する決定版全集」と謳われる「J・G・バラード短編全集」 全5巻、去年の頭に全巻完結したようだが、今回その中の第4巻を読んでみた。

なぜ4巻から?というと、以前読んだ『チェコSF短編小説集』にこの第4巻のタイトルに冠されている短編作品「下り坂カーレースにみたてたジョン・フィッツジェラルドケネディ暗殺事件」へのオマージュ作が収録されており(『クレー射撃にみたてた月旅行』)、それがなかなかに面白かったこと、同時にこの不穏かつ長々しいタイトルの作品が妙に気になったからである。とはいえこの全集、1冊のお値段がそれぞれ¥3888と結構お高い。それと、実のところオレはJ・G・バラードの作品といえば長編・短編集合わせてもたった3冊程度しか読んでいない程度の関心しかなく、大丈夫かなあ、と若干心配ではあった。

でまあ一応読了したのだが、歯応えが在り過ぎて結構持て余し気味だった、というのが正直な感想。いや、作品の完成度は遜色が無いどころか非常に含蓄に富み無駄が無く研ぎ澄まされた文章の冴え渡る作品ばかりで、バラードの後期はここまで硬質な文章を書いていたのか、と驚かされたぐらいではある。しかし硬質な文章ゆえに半端に流し読みすることを許さず、文章と対決するぐらいの心構えで読まねば内容を咀嚼する事も叶わず、読むのに時間が掛かったし読んでいて疲れた、というのがあったのだ。即ち内容の問題ではなく読んでいるこのオレの豆腐な頭の問題ということなのである。

とかなんとか言い訳をしつつ全22編、それぞれに興味深く読んだ。やはり先鋭的なのはアブストラクトな構成の成された実験的作品だろう。「下り坂~」もそうだが、バロウズを思わす「どうしてわたしはロナルド・レーガンとファックしたいか」や、冒頭の一節の文章を分解し内容を解説する「ある神経衰弱にむけた覚え書」、単なる索引の羅列から物語が浮き出してくる「索引」など、知的に狂った作品だろう。これらはバラードの提唱した「濃縮文学」というテーマの作品なのかもしれない。 

ヴァーミリオン・サンズ」シリーズの短編が幾つか収録されていたが、大昔ハヤカワから出ていたハードカヴァーを持っていたにもかかわらず読めなかったので、今回一部だがリベンジできたのが嬉しかった。その中でも「風にさよならを言おう」はボリス・ヴィアン的味わいの作品だった。また、この短編集中唯一の中篇「最終都市」は、崩壊後のアメリカを描く長編『ハロー・アメリカ』の青写真のような作品で、「本当にこの人、破滅した世界が好きなんだなあ」としみじみ思えた。

全体的な特色を成すのは一見SF/ファンタジーのような非主流文学のようでもあり、そして文学作品のようでもあり、そして実の所どちらもない「スリップストリーム文学」的な作品が目に付くということだろう。また、テクノロジーの介在によって「観念的な意味におけるサイボーグ」と化した人間たちを描く作品らも、バラードの長編に通じるものがある。これらもSFではないが、どこか機械(テクノロジー)と人間が合体化しているかのような冷たく非人間的な感触を作品にもたらしている。

とはいえ、なにしろ歯応え在り過ぎだったので、全集の残りの巻を今後読むかはどうかはしばらくペンディングにしておきたい。