スタニスワフ・レム原作によるチェコの古典SF映画『イカリエ-XB1』

イカリエ-XB1 (監督:インドゥジヒ・ポラーク 1963年チェコスロバキア映画)

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「1963年、共産主義下にあったチェコで製作された本格SF映画」というふれこみの映画『イカリエ XB-1』を観た。

《物語》22世紀後半、宇宙船イカリエ-XB1は生命探査のためアルファ・ケンタウリ系へと向かう途上、地球から旅立った宇宙船が朽ちた状態で漂流しているのを発見する。漂流船内にイカリエ-XB1から調査員を数名送り込むが、死因不明の乗組員たちの死体が転がる漂流船内に積載された核兵器の爆発により、その命が失われてしまう。悲劇の中、イカリエ-XB1は航行を続けたが、謎のダークスターとの遭遇によって乗組員一同が眠りについてしまう。

イカリエ-XB1 : 作品情報 - 映画.com

原作はオレがSF作家の中で最も敬愛する作家の中の一人、スタニスワフ・レム。映画ファンの方にはアンドレイ・タルコフスキー監督作品『惑星ソラリス』の原作者だと書いた方が伝わり易いか。原作作品タイトルは『マゼラン星雲』だが、未訳のため読んでいない。なんでも映画のほうは『2001年宇宙の旅』製作以前のスタンリー・キューブリックにインスピレーションを与えた作品、なんていう話もある。

物語は22世紀の未来、アルファ・ケンタウリ星系へ生命探査のため旅立った宇宙船「イカリエ-XB1」船内において起こる様々な事件を描いたものだ。宇宙船外や宇宙空間を描くミニチュア特撮こそ時代を感じさせるものだが、「イカリエ-XB1」の内部は1963年製作ということもあってレトロ・フューチャーでモダンな作りをしており、まずこの美術の楽しさを堪能できる作品だと思っていただきたい。船内には未知の世界への関心に溢れた知的かつ聡明そうな男女が数多くひしめき、その船内生活も自由で開放的で、こういった未来や科学技術への楽観性もまたこの時代のものなのだろう。

とはいえ物語自体には核心的なエピソードが存在せず、アルファ・ケンタウリへの旅の途中で遭遇するあんな事件やこんな事件が羅列される形で披露されるだけである。言ってみるなら「イカリエ-XB1徒然航宙日誌」といった内容なのだ。そういった部分では物語的なカタルシスには乏しい作品ではある。物語性云々よりも「危険と困難を乗り越え宇宙探査を遂行する未来の宇宙飛行士たち」という共産主義的なヒューマニティの在り方に比重が置かれた作品なのではないかと思う。

原作となる『マゼラン星雲』はなにしろ読めないのだが、内容を調べてみるともう少々シリアスなものなのらしい。宇宙空間で発見された謎の宇宙船、というプロットは映画にも存在するが、原作ではこれはアメリカ製で、原爆や生物兵器を搭載していた、ということになっているらしい。これは冷戦時代だった原作執筆時の西側諸国への批判ということも出来る。また、クライマックスにおけるアルファ・ケンタウリ星系の惑星住民とのコンタクトは、映画では賑々しい希望に満ち溢れたものだが、原作では一触即発の緊張を孕み、決して薔薇色のご対面というわけではなかったのらしい。この辺りの懐疑主義にはのちのレムの片鱗が見え隠れする。

総体的に言うなら原作はレム初期作品と言うこともあってか、レムらしからぬ楽観的でナイーヴな出来であるのらしく、だからこそ日本語翻訳が見送られたと推測することができる。この映画『イカリエ-XB1』も原作のそんな楽観的でナイーヴな部分を踏襲することになったのだろう。そういった退屈さもあるのだが、前述したレトロ・フューチャーな宇宙船映像の楽しさ、1963年チェコ製作のSF映画といった物珍しさから、SFファン、SF映画ファンにはタイトルだけでも頭の隅に置いて欲しい 作品であることは確かだ。


「イカリエーXB1」予告編