■パッセンジャー (監督:モルテン・ティルドゥム 2016年アメリカ映画)
「どうなっとんジャー!宇宙で目覚めちまったんジャー!」というSF映画『パッセンジャー』でございます。
エンジニアのジム(クリス・プラット)と作家のオーロラ(ジェニファー・ローレンス)が目覚めたのは地球から植民惑星を目指す宇宙船アヴァロンの船内。このアヴァロンの中では乗客5000人がコールドスリープされ、120年かけて目的地へと向かっていたんですが、二人は予定より90年早く目覚めてしまったんですな。再びコールドスリープすることもできず、このままだと目的地に着くころには二人は死んじゃってるんです。「理不尽ジャー!いったいどうしたらいいんジャー!でも美人と二人だから意外と悪く無いかもテヘペロ」というのが映画『パッセンジャー』のざっくりした内容です。
最初この映画の予告編を観た時は、「あー若い男女が二人っきりで極限状態でそして愛が芽生えちゃっていろいろ大変なこともあるけど愛で全てを乗り越えちゃおうというお花畑なお話なんかなー主演のジェニファー・ローレンスは『ハンガーゲーム』の人だし要するにヤングアダルト系のユルイ映画なんかなー」と思ってたんですけどね。でも監督は『イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密』の人だし脚本は『プロメテウス』のジョン・スパイツだしどうなんかなーということで観てみることにしたんですが、物語が進んでゆくと最初思ってたようなお花畑でもないんですよ。
この辺はネタバレになるので書きませんが、なんといいますかちょっと鬼畜なお話でしてね。広大な宇宙の中二人っきりの世界、ではありますが決して愛が全てさ!というお話ではないし、モラルの強い人は「こんなのぜってー許せねー!」とか拒否反応起こしちゃうかなー。人間が鬼畜に出来てるオレですらちょっと引き気味に観ちゃったことは確かでね。でもどうなんでしょう、極限の中の人間が起こした事を簡単に断罪出来んのか、というなんかもにょもにょした感情を抱えて観てしまったし、これの落としどころはどうするつもりよ?と、固唾こそは飲みませんでしたが少々心配したままラストまで観てしまいましたね。
そういった部分で賛否両論出ちゃうとは思われますが、実の所オレは好きな映画でした。まず舞台となる宇宙船アヴァロンの造形やその内部のデザインが実に美しくさらにSFっぽく作り込まれていて見ていて心奪われるんですよ。5000人もコールドスリープされてるわけですからこれがまたひたすらだだっ広くて、さらに様々な施設が完備されていて未来のホテルみたいなんですね。そのアヴァロンから眺める広大な銀河宇宙とその星々の輝きがまた美しく、こんなに魂吸い込まれそうな宇宙空間を描き出した部分だけでも「SF映画観てるなー」と気分が乗ってくるんですね。SF設定は結構雑だとは思いますが、SF的なビジュアルはとても素晴らしいんですよ。
でも広大な宇宙船と広大な宇宙空間に、目覚めて活動しているのはたった二人の人間だけで、舞台が広大であればあるほどそこで生きなければならないことの孤独感が押し潰されそうなぐらいヒリヒリと伝わってくるんですよ。若い男女二人なわけですから愛し合っちゃったり楽し気に船内デートしちゃったりもしますが、予定されていたはずの希望に満ちた新天地に辿り着くこともできず、理不尽な状況の中で人知られず死ぬであろうことは変わりないんですね。なんかこの、絶望的であることが確定しているにも関わらずその中で小さな幸せを無理矢理見出して己の人生を肯定しなければならない、確かにそこに鬼畜な要素は実はあるんですが、人は絶望とか孤独に対してどう向き合おうとするのかという物語なのだと自分は受け取りましたね。
例えば同じように宇宙での極限状態を描いたSF映画に『オデッセイ』や『ゼロ・グラビティ』といった作品がありますが、あれは生き延びるために遮二無二力を尽くす、生死の綱渡りを演じる戦いみたいな物語なんですよ。でもこの『パッセンジャー』は生きるか死ぬかではなく、宇宙船が壊れない限り死ぬまで安全に生きられる、ただし希望も無くひたすら孤独に、というお話なんですよ。戦いなんてないんですよ。ただ茫漠とした毎日だけがあって、メシ食ってウンコしてたまにセックスして、でもあとは死ぬだけなんですよ。ただそれだけの人生を生き続けなければならない、生きざるを得ない、映画『パッセンジャー』は、そういった生き方への虚無感と諦観がじわじわと沁みだしてくる部分に、そういったものを描き出そうとした部分に、とても感心した作品でした。