災厄に見舞われた世代宇宙船を描く傑作SF〜『寄港地のない船』

■寄港地のない船 / ブライアン・オールディス

寄港地のない船 (竹書房文庫)

その船はどこから来て、どこへ向かうのか。もはや知る者は誰もいない。巨大な宇宙船の内部で、いまや人間たちは原始的な生活を営んでいた。かつて船を支配していたという巨人族、猛烈な勢いで繁茂する植物、奇怪な生物たち、そして“前部人”と呼ばれる未知の部族を恐れながら…。世界が宇宙船であることも、わずかに伝承に残っているのみだった。ある時、狩人のロイは司祭マラッパーから、この船を支配するために世界の“前部”へ向かおうと誘われる。だが、仲間たちと“死道”へ旅立ったロイを待っていたのは思いもよらない出来事の連続だった。そして、彼が旅路の果てに見たものは―。幻の傑作SF、待望の邦訳。

SF小説史における不屈の名作『地球の長い午後』の作者ブライアン・オールディスの、過去の未訳作品が出版される。1958年作、原題は『Non-Stop』、アメリカでは『Starship』というタイトルで出版されたのらしい。そしてそのテーマは「世代宇宙船」である。これは「恒星間人類播種船」とも呼ばれ、人類の居住可能な他の恒星系に移住するための恒星間飛行宇宙船が舞台となった物語のことだ。
しかし地球のある太陽系から他の恒星系へは光速でも長い年月を要する。例えば一番近いケンタウルス座アルファ星までは光速で4年以上だ。これを相対性理論に則った光の速度を越えられない宇宙船で航行した場合、数十年数百年掛かることになる。その為「世代宇宙船」は巨大な宇宙船に多数の男女を乗り込ませ、船内で一生を過ごさせながら世代交代してゆき、数世代後に目的地に到達させる、というコンセプトの宇宙船で、初期のSF作品においてよく取り上げられるテーマだった。このテーマの作品としては『宇宙の孤児(ロバート・A・ハインライン)』や『遙かなる地球の歌(アーサー・C・クラーク)』があるが残念ながら未読。だがこの『寄港地のない船』自体は『宇宙の孤児』に影響を受けて書かれたものらしい。個人的にはSF映画『パンドラム』(レビュー)がこのテーマを扱ったSF作品としてお気に入りだ。
さてこの『寄港地のない船』は「なんらかの理由で破綻がおきた世代宇宙船」が舞台となる。宇宙船内部に住む人類は謎の災厄により科学も文明も失い、世代交代を経るほどに肉体も知性も退行してゆき、原始的な部族社会にまで貶められ、彼らが宇宙船に乗り宇宙を航行していることすら忘れられているのだ。世代宇宙船はひとつの生態系をまるごとひとつの宇宙船の中に再現したものだが、この生態系が当初の機能を失い想定外の世界と化したのがこの物語の世界なのだ。いわばこれは「地獄と化したノアの箱舟」ということもできる。しかもこのノアの箱舟からは決して降りらず、また、降りる術は忘れ去られているのである。
この「変貌した環境の中で退行した人類が辿る物語」は、オールディスの『地球の長い午後』に通じるものがある。この作品の中における世代宇宙船は船内に植物が生い茂りあたかもジャングルの如き様相を呈しており、その中の冒険といった意味でやはり『地球の長い午後』を想起せずにいられないのだ。これはあとがきによると作者の東南アジアでの従軍体験の、その際に目にしたむせかえるほどのジャングルの光景が反映されたものではないかと書かれている。人を圧倒し人を拒む広大な密林、その中にあって認識される矮小で無意味な自己、『寄港地のない船』と『地球の長い午後』に通底するイメージはそれなのだろう。
物語は自らが住む世界が宇宙船内部と知った主人公と仲間たちが、宇宙船前部の操縦室を目指し、この宇宙船のコントロールを掌握しようと旅立つところから始まる。そして彼らはこの船がなぜこのような惨状と化したのか、そして船がどこを目的地とし、今どこを航行しているのかを次第に知ることになるのだ。船は幾重もの隔壁で仕切られ、隔壁ごとに変貌するその世界を目の当たりにしながら目的地へと近づいてゆくさまは、変な例えだが良作のRPGをプレイしているような気になった。というかこれをこのままRPGにしても面白いかもしれない。物語は絶望的な状況からさらに絶望的な状況へと至り、明らかにされる現実は過酷を極めるが、イギリス作品らしいこの暗さが魅力的であると同時に、次々と襲い掛かる試練とそれを乗り越えるための活劇がたっぷり盛り込まれ、非常に良く描けたエンターティメント作品として完成している。クライマックスは駆け足だが綺麗過ぎるぐらい綺麗にまとめられている。50年以上前に書かれた作品だがその鮮度はいささかも失われていない。SFオールド・ファンも新しい読者も満足させる傑作だといっていいだろう。

寄港地のない船 (竹書房文庫)

寄港地のない船 (竹書房文庫)