不機嫌な娘と偏屈な父、それに巻き込まれた男とのロードムービー〜映画『Piku』

■Piku (監督:ショージート・サルカール 2015年インド映画)

I.

映画『Piku』はピクーという名の主人公女性と偏屈なその父バシュコル、そして二人の車旅行の運転手をやる羽目になったラーナーという男を中心に描かれるハートウォーミングなロードムービーだ。主人公ピクーにディーピカー・パードゥコーン、その父にアミターブ・バッチャン、車の運転手をイルファーン・カーンという実に味のある配役を揃えている。監督は『Vicky Donor』『Madras Cafe』のショージート・サルカール。そしてこの物語、物凄く、いい。

《物語》デリーに住むピクーは建築事務所に務める30代の未婚女性。今日もピクーはカリカリし通しだった。なぜなら同居生活を営む彼女の父バシュコルが調子が悪い、便秘が酷い、と毎度の如くグダグダ訴えるからだ。日々彼女を送り迎えするタクシー会社の運転手たちは、イラつく彼女からのとばっちりを受け戦々恐々としていた。そんなある日、コルカタにあるバシュコルの実家の売却話が持ち上がり、ピクーとバシュコルは実家への旅を計画する。だが偏屈なバシュコルは飛行機は嫌いだ、電車も嫌だとまたしてもグダグダ言い始め、結局いつものタクシー会社の車で行くことになったのだ。けれどピクーが苦手なタクシー運転手たちはそれを拒否、仕方なくタクシー会社社長ラーナーが運転をすることになる。こうして3人+バシュコルの使用人の旅が始まったが、車の中でバシュコルのグダグダとピクーの癇癪は頂点を迎え、ラーナーはほとほとうんざりし始めていた。

II.

冒頭からディーピカー演じるピクーの怒鳴り声で始まるこの物語、この後も事あるごとにピクーはワーワーガーガーとまくし立て、とってもキツくてコワイ印象を観るものに植え付ける。しかしピクーが怒り狂うのも無理はない。アミターブ演じるバシュコルの、箸にも棒にもかからないすっとぼけ具合がピクーを強烈に苛立たせているからだ。しかしギスギスしているのかと一見思わせながらこの親子、時折可愛くなってしまう父バシュコルと、そんな父に「ま、いっか」と寛容の笑みを浮かべる娘といった姿を見せ、ああ、本当は物凄く愛し合っている親子なんだな、というのが分かってくる。この喜怒哀楽全てを共有した親子関係といった描き方が本当に巧い。そしていつもワーワーガーガーとやってるこの二人がとても人間臭く、魅力的に見えてしまう。こんな二人を演じるディーピカーとアミターブの息の合った演技と表情の豊かさにまず脱帽させられるのだ。

その二人に絡ませられるのがイルファーン演じるタクシー運転手ラーナーだ。表情豊かで口数も多いピクー親子に対し、ラーナーはだいたいいつも眉間に皺を寄せ困惑しきった顔をして画面に登場する。そりゃあピクー親子を前にしたら誰でもこんな表情を浮かべるしかないだろう。さらにバシュコルは時折突拍子もない行動を起こすため、ラーナーはそれを口をあんぐり開けて見ている、といった按配なのだ。ああ、なんか困った人たちに関わってしまった…こんなラーナーの言葉にならない苦悩が表情からうかがい知れて、そしてまた観客もラーナーに同情せざるを得なくなり、これがまた物語の楽しさを増している。こんなラーナーを演じるイルファーンがまたいい味なのだ。こうして、いつも好き勝手言っているバシュコル、いつも癇癪を起こしているピクー、その二人の狭間でいつも呆気に取られた顔をしているラーナー、この三者三様の表情のコントラストが、なによりも可笑しい作品となっているのだ。

そんな3人だが、いつも一つ車の中に押し込められているせいか、道中少しづつお互いの心に変化が訪れてくる。特にラーナーはバシュコルから微妙ながら信頼され、ピクーとはほのかな思いが芽生え始める。この微妙さ、ほのかさが、この作品の本当に素晴らしいところだ。突然改心したり物分りが良くなったり、炎のように恋が燃え上がったりはしないのだ。少しづつ手探りで、相手と自分との距離を確かめ、自分の心の中に受け入れる余地を見つけてゆく。3人はお互いが変わり者ではあるが、その受け入れる、あるいは受け入れられる中で、それぞれの中にあるバイアスが少しづつ氷解してゆく、この緩やかな心の動き方が観ていて実にリアルに感じるのだ。この物語では取り立てて特別な事件が起こったりとか事態が急変したりなどということは殆どない。だが、移り変わってゆく風景と共に移り変わってゆく3人の感情の行方が心に響くのだ。

III.

それと同時に、この作品は2015年時点でのインド都市部の「今」をきちんと切り取った作品でもあると思う。実際のところオレは「今」のインドがどういうものなのか論じられる知識などまるでないし、映画というフィクション作品である以上様々な脚色はあって当然なのだが、この作品からはとてもインド都市部のリアルな日常の匂いを感じるのだ。主人公がアッパーミドル層であるという設定であるため、これをして「普通の生活」と言い切ることは出来はしないが、それでも地に足の着いた物語展開であるという気はした。70代の父と同居する30代独身女性、という設定にも、どこか都市部ならではのものを感じるし、これまでのインド映画の紋切り型から脱却した新鮮な切り口のように思えるのだ。そういった「新しさ」と合わせて、コルカタへの旅の途中立ち寄る街ベナレスの、その悠久の歴史を感じさせる佇まいにまた胸ときめかされるのだ。2015年公開のインド映画はどうも不作のように感じていたが、ここにきて2015年前半で最も輝く作品に巡り合えた様に思う。

それにしても、インド映画最高の俳優とインド映画最高の美女、さらに日本でも大ヒットしたインド映画の主演男優、ということで既に布陣が整っているこの作品、やはり日本で公開すべきなような気がする。誰か買い付けなさいよ!ほらほら!!