レオン&コシーニャ監督による不気味で美しいアートムービー2作『オオカミの家』と『ハイパーボリア人』を観た

チリのビジュアル・アーティスト・デュオ、レオン&コシーニャ

2007年から活躍するチリ出身の2人組ビジュアル・アーティスト、クリストバル・レオンとホアキン・コシーニャの映画作品を2作観た。1作はストップモーション・アニメ『オオカミの家』、もう1作は様々な技法が交差する実験映画『ハイパーボリア人』。どちらも美しくもまた不気味なイメージに満ち溢れ、同時にひどく難解な内容となっている。そしてそれは、南米チリの数奇な歴史と密接に関わっているのだ。今回はこの2作の映画を紹介してみたいと思う。

オオカミの家 (監督:クリストバル・レオン、ホアキン・コシーニャ 2018年チリ映画)

レオン&コシーニャ監督の初長編作である『オオカミの家』は、不気味なドローイングが蠢く壁、幽鬼のようにぎこちなく動く人形が登場する、超現実的なストップモーションアニメだ。その物語は、カルト・コミュニティから逃げ出し、森の一軒家に身を隠した少女マリアと、そこで出会った二匹の子豚が織りなす奇妙な共同生活を描く。子豚たちはペドロとアナと名付けられ、やがて人間の姿へと変わっていく。

タイトルの「オオカミ」は、マリアを執拗に追うカルト・コミュニティの人間たちを象徴している。彼らは狼のような冷徹さと非人間的な残酷さを持つ存在なのだろう。そんな恐怖から逃れたマリアは、森の家で子豚たちを人間の子供と見なし、彼女が真に求める安息の「家」を築こうとする。

しかし、その「家」は安らぎの場所であると同時に、支配構造を持つ世界へと変貌していく。マリアは「愛」の名のもとにペドロとアナを支配し始め、その行動は彼女が逃げ出したカルト・コミュニティと二重構造を成す。物語全体を覆うグロテスクでありながらも儚く美しい映像は、この二重構造が持つ陰鬱なテーマと共鳴している。

この物語のモチーフとなっているのは、チリ社会を震撼させた宗教コミュニティ「コロニア・ディグニダ」である。1960年代初頭、ナチスの残党を名乗る指導者パウルシェーファーによって設立されたこのコミュニティは、崇高な理想を掲げながらも、その裏では洗脳、拷問、殺人、そして指導者による小児性愛といったおぞましい行為が行われていた。映画『オオカミの家』は、この事件を下敷きにし、「家」が持つ密室性と閉塞感を不穏なイメージで描き出している。

オオカミの家

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ハイパーボリア人 (監督:クリストバル・レオン、ホアキン・コシーニャ 2024年チリ映画)

物語は女優で臨床心理学者でもあるアントーニア・ギーセンが主人公となる。彼女が診察する患者が幻聴に悩まされているという。それは既に故人となったチリ外交官で強烈なヒトラー信奉者でもある、ミゲル・セラーノの声なのだという。映画監督のレオン&コシーニャは、この奇妙な出来事をアントーニア主演で映画化しようとするが、彼女は次第に奇妙な世界へと引きずり込まれていく。その世界とは、自決したはずのヒトラーが住む南極の地底楽園、「ハイパーボリア人」の世界だった。

映画『ハイパーボリア人』は、実写、影絵、アニメ、人形、16ミリフィルム、ビデオ、デジタル映像など、様々な手法を組み合わせた実験的なアートムービーだ。「ハイパーボリア人」という言葉は、映画のためにつくられた造語ではなく、ギリシャ神話やクトゥルー神話にも登場する伝説上の民族のことである。

物語に登場するミゲル・セラーノは実在の人物であり、彼は単なる親ナチではなく、誇大妄想的な神秘主義者であり、オカルティストでもあった。ヒトラーが南極の地底に住むという奇想天外な説は、彼が提唱したものだ。映画はさらに、チリの歴史の暗部に深く切り込んでいく。血塗られた軍事政権を率いたピノチェト大統領や、その政治顧問であったハイメ・グスマンといった実在の人物が登場し、チリの歴史的惨禍をえぐり出す。

この陰鬱な歴史を、レオン&コシーニャは単なるドキュメンタリーではなく、様々なイメージが複雑に交錯するコラージュ作品として描いている。この手法により、観客が多様な解釈を楽しむことができるアートムービーへと昇華されている。また、女優や監督が実名で登場することで、この物語が単なるフィクションではなく、現実と地続きであることを示唆している。そしてそれは、チリの歴史的な悲劇が、今なお忘れ去られていないことを強く訴えかけているのだ。

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