『チェコSF短編小説集』を読んだ

チェコSF短編小説集/ヤロスラフ・オルシャ・jr.編

チェコSF短編小説集 (平凡社ライブラリー)

二つの大戦、社会主義政権の樹立、プラハの春チェコ事件、そしてビロード革命――。激動の歴史を背景に中欧の小国チェコで育まれてきたSF。ハクスリー、オーウェル以前に私家版で出版されたディストピア小説から、J.G.バラードやブラッドベリにインスパイアされた作品まで、チェコSF界の最高峰〈カレル・チャペック賞〉受賞作を含む本邦初訳の傑作11編。

SF小説というと英米作家の作品が圧倒的に多いような気がするが、もちろん様々な国で書かれている。『ソラリス』でお馴染みのSF界の巨人スタニスワフ・レムポーランド人作家だし、”現代SFの父”と呼ばれ権威あるSF賞である「ヒューゴー賞」の元となったSF小説作家ヒューゴー・ガーンズバックルクセンブルグ生まれだ。いつだったかはイタリア人作家やタイ人作家のSF小説を読んだこともあった。先ごろ訳出された現代中国SFアンソロジー『折りたたみ北京』は中国人作家によるSF小説の未来を感じさせる優れた作品で占められていた。

日本のSFでもそうだし、まあSF小説に限ったことではないのだけれども、これら様々な国で書かれたSF小説は、その国なりの社会に対する考え方、人間に対する情緒の在り方、即ち「世界」というものに対する認識の在り方が微妙に違っていて、読み比べてみると面白い。

そしてチェコである。誰もが知る「ロボット」という言葉はチェコのSF作家カレル・チャペックの戯曲『R.U.R.(ロッサム万能ロボット商会)』(1920年)において初めて用いられた言葉だ。また、このチャペックによるSF小説山椒魚戦争』は古典SF小説として世界的に有名な作品だ(まあ得意げに書いているが実はどちらも読んでない)。

私見だがアメリカSFがその強力な資本主義に裏打ちされた楽観的な科学主義がその背景にあるのだとすれば、レムを代表とする東欧SFには冷戦を背景に持つ科学主義とそれを生み出した社会主義への幻滅がSFという寓話へと辿り着いたように思える。そして複雑な歴史性を持つ中欧の国チェコはそのアンビバレンツに満ちたアイデンティティゆえにやはりSFという寓話を選択したのだろうか。

さて『チェコSF短編集』である。編者あとがきに触れられているがかの国も相当SFが盛んなのらしい。そしてこの短編集は編訳を務めた平野清美氏が駐フィリピン・チェコ大使の協力をあおぎながら編集されたものだという。このチェコ大使ヤロスラフ・オルシャ・jr.氏はもともとSF雑誌の編集者だったのらしいが、「元SF雑誌編集者の大使」ってなんとなく凄いな、とちょっと思ったりもした。

この短編集には11編の短編作品が収められているが、これはチェコにおける「古典SFの時代」「60-80年代」「80年代後半のブーム」を時代別に収録したという。全11篇、400ページ程度の文庫本でチェコSFの歴史を辿らねばならないというのは編者氏も相当苦心されたかと思うが、このコンパクトさでありながら編者氏の意図するチェコSFの歴史はきちんと詳らかにされていると感じた。

それぞれのテーマの遍歴はある意味非常に分り易い。というのは、これらチェコSF作品が英米SFの影響下にありつつ書かれているためにテーマの遍歴が英米SFのそれをなぞる形になっていることがあると思う。初期のSF的な空想・奇想性は後にJ・G・バラード的なニューウェーブSF作品(『クレー射撃にみたてた月旅行』)、さらにサイバーパンクフェミニズムSF作品(『わがアゴニーにて』)へと遷り変っていくのだ。

作品それぞれをちょっとだけ紹介。ショートショート作品『オーストリアの税関』『来訪者』、ハクスリーやオーウェル以前に書かれたというディストピア小説『再教育された人々』、チャペックの短編『大洪水』、ヴォネガット的な寓話『裏目に出た発明』、凄味のあるファーストコンタクト作品『デセプション・ベイの化け物』、チェコ版『ドウエル教授の首』ともいえる『オオカミ男』、レムの未発表原稿だったのではないかと思わせるほどレム的な中編力作『ブラッドベリの影』、強烈なイロニーに満ちたタイムマシン譚『終わりよければすべてよし』と、どれも粒揃いであり個性的。『チェコSF短編集』、SF好きなら手を取っても間違いはない。

チェコSF短編小説集 (平凡社ライブラリー)

チェコSF短編小説集 (平凡社ライブラリー)

 
カレル・チャペック短編集

カレル・チャペック短編集