スタ二スワフ・レム初期作品集『火星からの来訪者』を読んだ

火星からの来訪者:知られざるレム初期作品集 (スタニスワフ・レム・コレクション) /スタニスワフ・レム (著)、沼野充義 (訳)、芝田文乃 (訳)、木原槙子 (訳)

火星からの来訪者: 知られざるレム初期作品集 (スタニスワフ・レム・コレクション)

第二次世界大戦でドイツが降伏した頃、アメリカのノースダコタ州サウスダコタ州の境に隕石らしきものが落下する。しかしそれはただの隕石ではなく、火星から飛来したロケットであった。その中に乗り込んでいた奇妙な「火星からの人」がニューヨーク郊外の研究所に運び込まれ、科学者や技師などからなるチームが極秘のうちに、この火星人とのコミュニケーションを試みるが……『金星応答なし』に5年ほど先立つ、レムの本当のデビュー作とも言うべき本格的SF中篇『火星からの来訪者』など、レムがまだ20歳代だった1940年代から1950年にかけて書かれた、いずれも本邦初訳となる初期作品を収録。

国書刊行会スタニスワフ・レム・コレクションの第10回配本はレムがSF作家として本格デビューする以前に書かれた幻の未訳作品集となる。ここに収録された作品は、レム自身が「習作レベル」と判断したものや、自らが望まない状況で書かれた作品だとして、永らく封印されていたものが殆どなのだ。とはいえ、1951年にSF長編『金星応答なし』で実質的なSF作家デビューする以前のレムが、それ以前にどのようなパッションを抱えて創作に挑んでいたのかを知ることの出来る貴重な作品集でもあるのだ。即ちここには、「原石」としてのレムが存在しているのだ。

この作品集には150ページを超えるSF中編「火星からの訪問者」、SF短編「異質」、非SF短編3作、さらになんと、レムが若かりし頃に書いた詩までが収録されている。それではそれぞれの作品を紹介してみよう。

「火星からの訪問者」は『金星応答なし』の5年前、1964年に書かれたレムの真のSFデビュー作となるが、レムがその完成度を気に入らずしばらくお蔵入りしていた中編だ。物語は火星から飛来したある「存在」を秘密裏に研究する研究者たちが遭遇する不可知の出来事を描くものだ。研究者たちは生物とも非生物ともつかぬその「存在」と意思疎通を試みるがあらゆる方法が失敗し、遂には「存在」による攻撃的な行動が始まるのである。これなどは『ソラリス』を始めとするレムの「不可能なファーストコンタクト」を描いた名作作品群の胎芽ともいえる作品だろう。物語運びに粗削りな部分があるが、レムがSF作家としてどのようなテーマを己に課したのか、どのような問題意識を持ってSFと対峙しようとしたのかが伺われる作品である。

「ラインハルト作戦」ナチス・ドイツ占領時代のポーランドを舞台に、ユダヤ人と間違われれ拘束されたポーランド人医師の恐怖を描く非SF作。これなどは実際に第2次大戦中にポーランド在住だったユダヤ人レムの恐怖をそのまま描いた作品と言えるかもしれない。

「ドクトル・チシニェツキの当直」産婦人科医ステファンの徒労に満ちた一日を描いた非SF作品だが、高い文学的リアリズムを感じさせはするが読み終わった後いったい何の物語だったんだ?と思わされるだろう。実はこの作品、スタ二スワフ・レム・コレクション第1期配本『主の変容病院・挑発』収録中編「主の変容病院」の続編的作品から抜粋された短編で、さらにこの「ドクトル・チシニェツキの当直」と「ラインハルト作戦」は、「主の変容病院」と同じく医師ステファンを主人公にした作品なのだ。「異質」永久機関を発見してしまった少年の物語。SF作品だと言ってしまっていいのだが、むしろ舞台となる第2次大戦最中のイギリス田園地帯の穏やかさと、それとは裏腹の迫りくる戦争の惨禍との対比が奇妙に心に残る物語だ。どのような知の発見、知の成果があろうと戦争はそれを根絶やしにしようとする、そういった悲哀と苦痛を感じた。

「青春詩集」という表題でまとめられたレムの12篇の詩からは、鋭敏な知性と哲学的な視点を持つレムが、同時にたおやかなまでのリリカルな感性を併せ持っていたことを窺い知ることができるだろう。

そして非SF短編ヒロシマの男」、これには慄然とさせられた。第2時大戦終局時に英国諜報部員だった男が広島原爆投下の凄惨な事実と直面するという物語だが、終戦後2年目となる1947年に、ポーランドの作家が原爆の惨禍を描いたという点に於いて特筆すべき作品なのだ。先鋭的なSF作家であったレムは、SF作家デビュー以前からそもそもが先鋭的な視点を持った作家だったと言えるのだ。そしてこの作品が、世界で最も最初に書かれた原爆文学の一つである事も重要な点だろう。もう一つ着目すべきなのは、原爆投下時の映像をまだ一般に見る事ができなかったであろう時代に、レムは自身の科学知識と想像力だけで原爆爆発とその破壊の情景を描き切っている点だ*1。未だSF作家でなかったレムの非SF作品にもかかわらず、ここにその後の彼の卓越したイマジネーションの根幹を見出せるのだ。

【目 次】

火星からの来訪者

ラインハルト作戦

異質

ヒロシマの男

ドクトル・チシニェツキの当直

青春詩集

解説 レムは最初からレムだった――最初期レムのSF、非SF小説、そして詩(沼野充義

 

*1:ただしあとがきによるとアメリカのジャーナリスト、ジョン・ハーシーによる1946年刊行のルポルタージュヒロシマ』をレムは参考にしていたらしい