スティーヴン・キングの新作『11/22/63』は残酷なまでの切なさに満ちた傑作時間改変SFだった!


スティーヴン・キングの新作長編のタイトル『11/22/63(イチイチ・ニイニイ・ロクサン)』とは、1963年11月22日に起こった或る出来事を指している。それは、第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディが、ダラスで遊説中暗殺された、あの歴史的事件の事である。この物語は、ふとしたことから過去への扉を発見してしまった男が、このジョン・F・ケネディ暗殺を阻止するために、恐るべき時間旅行の旅に出る、といったストーリーなのだ。
ここで現れる"過去への扉"のルールがまず面白い。まず、この扉は1958年9月9日のアメリカのある決まった土地にしか繋がっていない。そして、時間旅行をした後もう一度過去へ戻ると、それ以前の時間旅行で行ったことはリセットされ、やはり1958年9月9日に戻ることしかできないのだ。だから1963年のケネディ暗殺を阻止するためには、過去の世界で5年間過ごさなければならない。当然この間、過去に訪れた者は5年、歳を取る。だからもし暗殺阻止に失敗して再挑戦、となっても、もう一度数年間を過去の世界で過ごさなければならないのだ。つまり、やり直せばやり直すほど時間旅行者は歳を取り気力を失ってしまう。何度もやり直せるといったものではないのだ(過去へ旅してどれだけの時間を過ごし、現代に戻ってきても、現代の時間は2分しか進んでいない)。そしてもう一つ、「過去を変えようとすると、"時間"がそれを阻止するためにありとあらゆる邪魔をしてくる」ということだ。それは、変えようとする歴史の大きさに比例して、より過酷な困難を時間旅行者に用意する。ケネディ暗殺阻止という巨大な歴史変革ともなると、"時間"は強大な威力でもって阻止しようとしてくるのだ。
このケネディ暗殺阻止を困難にする条件がもう一つある。ケネディ暗殺事件は、公式にはリー・ハーヴェイ・オズワルドの単独犯ということになっている。しかし、この暗殺事件には、膨大な量の陰謀論が渦巻いており、複数の人間や組織が絡んでいる、とする見方もある。だから、ただオズワルド一人を阻止すれば暗殺を食い止められるのか、主人公には分からないのだ。つまり、過去に戻って、まだケネディ暗殺をしていないオズワルドを見つけ、こっそり殺してそれで現代に帰っておしまい、という簡単なことにはならないのだ。結局は別の人間や組織が、ケネディを暗殺するかもしれないからだ。だから、主人公は暗殺実行ぎりぎりまでオズワルドの周囲を調査し、主人公の本当のターゲットを見極めなければならなくなる。過去への扉は、これを発見した男と、主人公しか知らない。そしてこの扉のある土地は、もうじき自由に入る事が出来なくなる。主人公はケネディ暗殺を阻止できるのか?
…と、ここまで書いたのは、実は物語の骨子でしかない。この物語は、ケネディ暗殺阻止を描いたSFサスペンス、というだけの物語では決してないのだ。
この物語のもう一つの魅力は、主人公が旅する過去のアメリカの、その郷愁に満ちた情景を、キングの精緻な筆致でもって、あたかも眼前にあるかのように描写しつくしている部分だ。輝きと豊かさに満ち、活力と大らかさに溢れた夢の国アメリカがそこにはある。それはどこまでも甘やかな光景だ。ただし、これらは"古き善き"アメリカの光景ではあるが、キングは決して単なるノスタルジーに目の眩んだ美化された過去の情景を描いているわけではない。人種差別は未だ確固として存在し、モラルの在り方は不条理で、女性の社会的立場はいまひとつであり、やはり現代と同じように貧しく荒んだ生活を送る者、そして荒んだ心を持つ者の存在もきちんと描かれる。"古き"ではあっても手放しで"善き"ではない。しかしだからこそ、ノスタルジーだけではない過去の情景が美しく輝くのだ。
そして、この物語の最大の魅力は、この物語が途方もなくロマンチックで、そして途方もなく切ないラブ・ストーリーだった、という部分だ。なんと『11/22/63』は、ケネディ暗殺阻止を題材にしながら、実はキングがこれまで描いた中でも最も胸を熱くさせるラブ・ストーリーだったのだ。
主人公はオズワルドの極秘身辺調査の最中、一人の女性と恋に落ちる。この二人が出会い、お互いを見初め、そして素晴らしい時を過ごす数々の描写は、幸福と輝きに満ち、この二人の恋人たちが思うように、読んでいるこちらまでもが、この幸福と輝きが永遠に続けばいいのにとさえ思えてしまう。しかし主人公は、暗殺阻止という、自らの使命を恋人に伝えることはできない。自分が時間旅行者である、ということも教えるわけにはいかない。主人公は、二重の秘密を抱えながら、愛する人と向き合わねばならないのだ。さらに、もし使命が終わったら、この世界を去るべきなのか、それとも恋人の為にここに残るべきなのか、という葛藤が主人公を苛むのだ。
そして読者にはもう一つ、恐ろしい予感が付き付けられる。「過去を変えようとすると、"時間"がそれを阻止するためにありとあらゆる邪魔をしてくる」。このルールに則るなら、主人公の時間改変を阻止するために"時間"が成す最大の妨害、それは幸福の只中にいる主人公の愛を奪い去ることなのではないのか?ということだ。だから、主人公とその恋人が幸福の中にいても、次にめくったページではカーペットを引っ張り上げるようになにもかもが崩壊してしまうような、恐ろしい悲劇が待ち構えてるのではないのか、と思えてしまい、じわじわと不安と無常さが読むものを縛り付けてくるのだ。
キングの小説では、あらゆる出来事が、始まったその時に既に、終わりの予兆に満ちている。その終わりは、旅立ちだったり別離だったり、そして破滅であったり死であったりするのだ。それが穏やかで平穏な日であっても、喜びや楽しみや、温かな愛情であっても、今この時に生きている、という感覚を謳歌できない、うっすらとして確固たる確信、棘のように皮膚の下で疼く不安感、そのような遣る瀬無さ、無常さ、それがキングの小説には常に仄暗い鬼火のように輝いているのだ。ケネディ暗殺阻止の為、過去という「本来自分が属するべきでない世界」で生きることを余儀無くされた男が、孤独と漂泊の末に見出した愛。このささやかでかけがえのない愛さえも、自分は失わなければならないのか?時間旅行とラブ・ストーリー、この二つが絡むと、切なさはもう残酷さの域まで達する。そう、キングの『11/22/63』は、残酷なまでの切なさに満ちた時間旅行SFだったのだ。感涙必至。クライマックスが待ち受ける下巻は涙涙でページがびしょ濡れ、本がふやけてただでさえ分厚いキングの本が2倍の厚さになってしまった。ハンカチは必ず用意するべし。

11/22/63 上

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