「巷説百物語」シリーズ完結作『了巷説百物語』は【京極夏彦マルチバース】だった!

巷説百物語京極夏彦

了巷説百物語 (角川書店単行本)

〈憑き物落とし〉中禪寺洲齋。〈化け物遣い〉御行の又市。〈洞観屋〉稲荷藤兵衛。彼らが対峙し絡み合う、過去最大の大仕掛けの結末は――?下総国に暮らす狐狩りの名人・稲荷藤兵衛には、裏の渡世がある。凡ての嘘を見破り旧悪醜聞を暴き出すことから〈洞観屋〉と呼ばれていた。ある日、藤兵衛に依頼が持ち込まれる。老中首座・水野忠邦による大改革を妨害する者ども炙り出してくれというのだ。敵は、妖物を操り衆生を惑わし、人心を恣にする者たち――。依頼を引き受け江戸に出た藤兵衛は、化け物遣い一味と遭遇する。 やがて武蔵晴明神社陰陽師・中禪寺洲齋と出会い、とある商家の憑き物落としに立ち会うこととなるが――。

巷説百物語」シリーズ完結作『了巷説百物語

京極夏彦の時代小説「巷説百物語(こうせつひゃくものがたり)」シリーズがこの『了巷説百物語(おわりのこうせつひゃくものがたり)』で遂に完結だという。京極ファンであり「巷説」ファンであるオレとしては読む以外に選択肢はない。しかしこの完結編、有終の美を飾ってなのかどうなのか、なんと1152ページもありやがり、まあ京極小説が長くて分厚いのはいつものことだが、それにしても今回もやる気満々だな、と思わされた。そして読み終わってみると、これがもう最終作に相応しい超ド級の名編であった。

巷説百物語シリーズ」は江戸時代末期を舞台に、晴らせぬ恨みや困難な問題を、妖怪の仕業に見せかけて解決する小悪党たちの活躍を描いた連作短篇時代劇小説である。京極のもう一つの人気シリーズ「百鬼夜行シリーズ」が、あたかも妖怪の仕業の如き不可思議な事件を、徹底して合理的に解明してゆくのと比べ、このシリーズは世の不条理を妖怪という存在の不条理に見立てて解決する部分に特徴がある。シリーズはこれまで『巷説百物語』『続巷説百物語』『後巷説百物語』『前巷説百物語』『西巷説百物語』『遠巷説百物語』が刊行され、グランドフィナーレとなるこの『了巷説百物語』では、小悪党どもの最大にして最凶、そして最後の大仕事が描かれることとなるのだ。

『了巷説百物語』は【京極夏彦マルチバース】だ!

物語は時の老中・水野忠邦が大改革を推し進める天保11年(1840年)から始まる。主人公は狐取りのマタギにして「全ての嘘を見透かす」という〈洞観屋〉、稲荷藤兵衛。藤兵衛は水野忠邦の使者から大改革の支障となる〈化け物遣い一味〉の動向を探ってくれと依頼され江戸に飛ぶ。しかし藤兵衛が江戸で見たものは大改革によって社会不安と経済格差が広まり、困窮しはじめた人々の生活だった。そして藤兵衛の出会った〈化け物遣い一味〉は御行の又市の仲間たちであり、江戸、そして大坂で蠢く化け物の如き謎の勢力の正体を暴こうとしていることを知る。自らの使命に疑問を感じ始めた藤兵衛と御行の又市の仲間たちに、7人の手練れで構成された刺客〈七福連〉が襲い掛かる。上方の顔役・一文字一派がそこ関わるが敵か味方か杳として知れない。さらに藤兵衛の前に、〈憑き物落とし〉の陰陽師、中禪寺洲齋が登場する—―。

とまあこのように、『了巷説百物語』の物語は「巷説百物語シリーズ」に登場した主要人物、「江戸の御行の又市一派」と「上方の一文字一派」、さらに「百鬼夜行シリーズ」の主人公・中禅寺秋彦の曾祖父、中禪寺洲齋までが登場し、【巷説百物語オールスターズ】どころか「巷説百物語シリーズ」と「百鬼夜行シリーズ」が合体した【京極夏彦マルチバース】とでも呼びたくなるようなとんでもない布陣で構成された物語なのだ。【京極夏彦マルチバース】と呼びたくなるのはそれだけではない。シリーズとは別箇に書かれている京極夏彦の時代小説『数えずの井戸』『嗤う伊右衛門』『覘き小平次』の物語までがこの作品と関わっているのである。ここまで大盤振る舞いされた物語が面白くない筈がない(さらに言っちゃえば短くて済む筈がない)。

変幻自在な物語展開と壮大なスケール

物語は謎とアクションが交互に乱れ打つ。御行の又市一派が化け物を語って混乱を呼び込んだかと思えば、中禪寺洲齋が化け物の如き人間たちの憑き物を落とす。御行の又市一派、一文字一派ともにどれも一癖も二癖もある異能・異形の者たちであり、それと相まみえる刺客〈七福連〉もまたいずれ劣らぬ怪人の群れである。これら異能VS怪人の妖しの術と人外殺法がぶつかり合う様は、あたかも白土三平横山光輝が描くところの忍術合戦を彷彿させ、熾烈かつ痛快な時代活劇となって読む者を興奮へといざなう。そして次第に明かされてゆく〈謎の勢力〉の正体は、これはもうシリーズ空前絶後の凄まじい権力と無慈悲さを備えた者だったのだ。最終作に相応しいこの強大さ・凶悪さは背筋も凍るほどである。

事態は常に交錯し、謎が謎を呼び、誰が敵なのか味方なのか杳として判別せず、思わぬ危機と非情な運命が待ち受け、悲しい過去と呪われた生い立ちが登場人物たちを苦しめ、妖怪の如き非現実さと拭う事の出来ぬ人の業とが闇の中で鬼火のように燃え上がる。よくもまあこれだけの長大さの中にこれだけの緻密な糸を張り巡らせたものである。『了巷説百物語』は変幻自在な物語展開と壮大なスケール、クライマックスに向けて次第に壮絶となってゆく戦い、基本に人の情が中心となった物語であるといった部分で親しみ易く物語に入り込み易く、十分に興奮させる物語であることに間違いはない。京極夏彦の代表作と言えば「百鬼夜行シリーズ」ではあるが、アプローチは真逆とはいえ「百鬼夜行シリーズ」を超えた面白さを兼ね備えた作品であり、さらに【京極夏彦マルチバース】の現出により畢生の大作であり名編だと言わざるを得ない。

現代社会の鏡像としての物語

そして同時に、江戸時代を舞台としながら、この『了巷説百物語』は現代社会の鏡像としての物語である部分に面白さがある。これは京極のもう一つのシリーズである「書楼弔堂」シリーズで顕著になってきたのだが、日本の過去世を描きながら現代日本の社会問題と密接にリンクさせているのだ。この『了巷説百物語』で描かれるのは武家と商人ばかりが肥え太り庶民が困窮する格差社会であり、そういった格差を生み出した政策の失敗であり、金だけが全てとなった社会で生産性のない人間は不必要だと喧伝される無慈悲な世相である。そしてこれら全てはまさに日本の現代社会で問題とされていることではないか。京極夏彦イデオロギーと無関係な娯楽作家と一般には捉えられるだろうが、その作品を読み込むならば京極なりの社会への憂慮が透けて見え、にも関わらず本筋では娯楽作品である事に間違いないのだ。こういった「京極マジック」が透けて見える部分でも楽しめる作品であった。