病葉草紙 / 京極夏彦
人の心は分かりませんが、 それは虫ですね――。 ときは江戸の中頃、薬種問屋の隠居の子として生まれた藤介は、父が建てた長屋を差配しながら茫洋と暮らしていた。八丁堀にほど近い長屋は治安も悪くなく、店子たちの身持ちも悪くない。ただ、店子の一人、久瀬棠庵は働くどころか家から出ない。年がら年中、夏でも冬でも、ずっと引き籠もっている。藤介がたびたび棠庵のもとを訪れるのは、生きてるかどうか確かめるため。そして、長屋のまわりで起こった奇怪な出来事について話すためだった。
『了巷説百物語』『狐花』に続き京極夏彦の新作がまたまた刊行と言うから忙しいったらありゃしない。今年3冊目だぞ。まあオレはファンなので出たら読むけどな!なんでも今年は京極夏彦のデビュー30周年ということであちこちの出版社で大いに盛り上げたいのだろう。それに応えて書きまくってる京極さんも凄いが。
今作のタイトルは『病葉草紙』。江戸時代中期を舞台に、長屋の差配*1・藤介と、その長屋に引きこもる本草学者・久瀬棠庵を中心に展開する連作奇譚集だ。棠庵は様々な難事件・怪事件を「虫」によって引き起こされたものと「診断」し、快刀乱麻に解決してゆくのだ。
とはいえこの「虫」、セミやバッタみたいな昆虫を差すのではないし、ましてや寄生虫や毒虫といったものでもない。短編タイトルには「馬癇」「気癪」「脾臓虫」「蟯虫」といった聞き慣れない「虫」の名前が登場するが、当時の医学ではまだはっきりとした原因の分からない病気を、架空の虫にかこつけて言い表したものなのだ。現代でも「疳の虫」や「腹の虫」という言葉が残っているけど、そういった種類の「虫」なんだね。
なぜ架空の虫と分かっていてそれを「事件の原因」と言い切ってしまうのか。それは例えば京極の「巷説百物語シリーズ」の、真実をあからさまにすると禍根が残る事件や事柄に、「妖怪」という化生を持ち出すことで丸く収めてしまう、といった物語展開と同じなのだ。主人公である本草学者・久瀬棠庵はこの「架空の虫」の名に精通しており、それらの名を持ち出すことで事件を解決するんだね。この久瀬棠庵、実は『前巷説百物語』に登場しており、その前日譚という位置付けにもなった物語でもある。
物語展開は非常にコミカルだ。まず中心的な舞台となる長屋の差配・藤介の、おっとりし過ぎてどうにもグダグダな性格が笑いを生む。その藤介の隠居中の父親や、長屋の住人たちというのも誰も彼もが凸凹した連中ばかりで、いつも藤介と頓珍漢な遣り取りをしており、これがまた可笑しい。
そして主人公・久瀬棠庵。本草学者である彼の部屋は本という本で埋め尽くされ足の踏み場もなく、外に出ることもなく一日中本を読んでいる、というある種の「オタク気質」の男なのだ。彼は該博な知識を持つが人の感情が理解できない朴念仁である。グダグダな藤介と朴念仁の久瀬との一向に噛み合わない会話には毎回爆笑させられること必至だ。しかし同時に、「安楽椅子探偵」の如き久瀬と、久瀬にいいように使い走りさせられる藤介とのコンビは、名探偵ホームズとワトスンの関係にも似ているとも言える。
本自体は485ページと京極作品としては厚さがなく、連作短篇であるから1章も短い。構成的には京極の「書楼弔堂」シリーズに近いかもしれない。どれもこれも「虫」の名前を出すことで解決する展開は牽強付会に感じる部分もあるが、それ自体が一つのギャグなのだろう。連作短篇であることからか展開が読めてしまう作品も多く、ミステリ作品としては物足りないけれども、全体のコメディ要素が大いに生きていて印象は悪くない。それよりも謎の多い久瀬の徐々に小出しにされる来歴が興味深く、これはいつか書かれるのであろう続編でさらに明らかになるのだろう。そういった部分で十分に楽しめたし、今後も楽しみな作品だった。
*1:「差配」というのは所有主に代わって貸家・貸地などを管理すること。今作では地主である父親に代わって子である藤介が長屋の管理人を務めている。