ジャズ・ドキュメンタリー映画『ビル・エヴァンス タイム・リメンバード』を観た

ビル・エヴァンス タイム・リメンバード(監督:ブルース・スピーゲル 2015年アメリカ映画)

ビル・エヴァンス タイム・リメンバード [DVD]

ジャズを聴き始めて早速ファンになったのはマイルス・デイヴィスと、そしてこのビル・エヴァンスだった。ビル・エヴァンス(1929-1980)はモダン・ジャズを代表するピアニストだ。繊細で抒情的なメロディ、軽やかで豊かなハーモニーは、一聴して心を離さないものがあった。最初に聴いてすぐさま気にいったアルバムは『Waltz For Debby』だ。『Portrait in Jazz』や『Undercurrent』も忘れ難い。もちろんそれ以外にも多くの素晴らしいアルバムをリリースしている。

WALTZ FOR DEBBY

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Portrait in Jazz

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映画『ビル・エヴァンス タイム・リメンバード』はそんなビル・エヴァンスの生涯を記録フィルムや関係者の証言で綴るジャズ・ドキュメンタリーとなっている。

《作品案内》数々の名演、名盤を残し、薬物依存により51歳の若さで生涯を閉じたビル・エバンス。1958年にマイルス・デイビスのバンドに加入し「カインド・オブ・ブルー」を制作した当時の様子や、ドラマーのポール・モチアンとベーシストのスコット・ラファロをメンバーに迎えた歴史的名盤「ワルツ・フォー・デビイ」の制作経緯、そして肉親たちから見たエバンスの素顔や、エバンス自身の音楽への思いなど、これまで未公開だった数々の証言、エバンスの演奏シーンなど貴重なアーカイブで構成。エバンスが駆け抜けた51年をさまざまな角度から読み解いていく。

ビル・エヴァンス タイム・リメンバード : 作品情報 - 映画.com

ビル・エヴァンスが当時のジャズ界において一種特異な存在だったのは、当時としては珍しい白人のジャズ・ミュージシャンだったということだろう。特に初期の頃は七三に分けた髪と眼鏡、パリッとしたスーツ姿というなんだか堅苦しいジャケット写真の印象が強く、一見してクラシック界の人物と勘違いしそうなほどだ。

そもそも彼は裕福な家庭で幼い頃からクラシック音楽を学び、それが大きな素養となっていた(これが晩年は髭モジャのラフな格好になってゆくのだが)。「珍しい白人ジャズメン」という部分でライブの最中に黒人客から侮蔑的な言葉を掛けられたりもしたそうだが、仲間たちはそんな彼をしっかりと守り、特にマイルス・デイヴィスは「音楽に白も黒も関係ない」と彼を尊重し続けた。

映画を観てまず目を引くのは、背中を丸め頭を俯かせ、鍵盤など見てもいないかのように一心不乱にピアノに向かう演奏スタイルだ。それは音のみに集中し、音楽の陶酔の中に身を任せている姿なのだろう。ロックジャンルにシューゲイザーと呼ばれるものがあるが、これは靴先だけを眺めているかのように頭を俯かせ、ギターを弾く姿からきているのだという。ビル・エヴァンスの演奏スタイルは、シューゲイザーサウンドのはしり、さしずめシューゲイザー・ピアノといえるかもしれない(冗談です)。

しかしこの音楽への陶酔は、いつしかヘロインへの危険な陶酔へと様変わりする。ベテランとして注目を浴びるころからエヴァンスの心と体をドラッグが蝕み、そのキャリアをも蝕んでゆく。この辺り、あの時代の多くの有名ジャズメンも同様の落とし穴にはまっていて、マイルス・デイヴィスしかり、ジョン・コルトレーンも同じく薬物中毒で人生を棒にしかけていた。さらにエヴァンスを盟友プレイヤーの事故死、兄や恋人の自死という事件が追い詰め、絶望へと追いやっていった。なんというか、本当に気の毒になってしまうぐらい不幸が続くのだ。

とはいえ、確かに晩年は悲劇に彩られた人生ではあっただろうが、映画の構成としてことさらドラマチックに描いた部分もあるかもしれない。エヴァンスはその人生を覆う暗い影と同じくらい、眩い光に溢れた時代があったのだ。マイルスと共に『Kind of Blue』を製作していた50年代のエヴァンスは、その類稀な才能を最大限に開花させていた時期だったろう。ジャズ史に残る名作『Kind of Blue』は、エヴァンスとの共同作業がなければ成し得なかったものだったことが映画でも言及されている。

そして60年代、ビル・エヴァンス・トリオとして『Waltz For Debby』を始めとする充実し切った作品を生み出していた日々。アルバムタイトルの「デビー」はエヴァンスの小さな姪っ子で、彼女に捧げたのがこの曲なのだ。それは大きな愛と幸福の情景だ。その後もドラッグや難儀な運命に翻弄されつつ、堅実に音楽生活を歩んでいたエヴァンス。痛ましい晩年だけが彼の人生だったわけではない、それを差し引いてなお、彼の輝かしい業績はジャズ音楽史に確かな足跡を残していったのだ。