■ローリング・サンダー (監督:ジョン・フリン 1977年アメリカ映画)
映画『タクシー・ドライバー』を観たのは確か16歳の時だったと思う。ベトナム戦争帰りの孤独な男の狂気と暴走を描くこの映画は、長く心に残る映画だった。その『タクシー・ドライバー』の脚本家であるポール・シュレイダーが、同じく脚本を担当した映画が完成した、と聞いたのはその翌年だっただろうか。なんでも『タクシー・ドライバー』と同じ、ベトナム戦争帰りの男を主人公にしたバイオレンス映画であるという。
映画のタイトルは『ローリング・サンダー』。しかし興味は沸いたものの、いかんせんオレの住む田舎では公開されず、結局観ることも無く長い間忘れたままだった。それがちょっと前、HDニューマスターのDVDで発売されていたらしく、やっとレンタルで観ることが出来たわけだが、最初はいくらポール・シュレイダー脚本とはいえ、30年以上前に興味を抱いたっきり忘れていた作品を今観て面白いものなのかなあ、と若干の危惧があった。しかし実際観てみると、これがすこぶる面白い作品だったのだ。
物語はベトナムで7年間の捕虜生活を強いられた男が故郷のアメリカへ帰ってくるところから始まる。男の名はチャールズ。過酷な体験を強いられきた彼は、歓迎のレセプションの中でも表情は固いまま、妻子との再会すらもどこか上の空だ。しかもその妻の口から、彼のいない間に不倫をしていたことを聞かされる。さらに捕虜生活中の拷問の記憶がフラッシュバックし、チャールズは鬱々たる日々を送る。そんなある日、暴漢が家に侵入、妻と子供は殺され、彼も暴行の末、手首を失う。そして病床から立ち直ったチャールズは、復讐を胸に、暴漢の逃げ去ったメキシコへと向かうのだ。
いや、確かに今「復讐を胸に」と書いたけれど、実の所この物語は、アクション映画によくあるようなシンプルな復讐譚と、微妙に風向きが違う。復讐譚に欠かせない強烈な憤怒やどす黒い憎悪、失ったものへのウェットな哀惜などが奇妙に欠けているのだ。主人公はそういったことがらを一切言葉にも表情にもあらわさない。ただ無表情に、淡々と敵を追いつめてゆくのだ。この映画で主人公が感情を見せるのは、拷問のフラッシュバックがよみがえった時の苦痛の表情と、家族が目の前で嬲り殺され、絶望の叫びをあげた時ぐらいではないのか。それ以外の場面で主人公は、いつも何かに困惑したような、曖昧な表情を浮かべているだけなのだ。
戦争体験は主人公の心をロードローラーをかけたかのようにひき潰した。ぼろぼろに疲弊した彼の精神に残ったのは苦痛の記憶だけだった。戦争神経症に苛まれる彼が妻の不倫という家庭の崩壊に直面しても、不倫相手の男を紹介されても、彼の精神はそれに対応する余力さえ残されていなかった。彼は妻も相手の男も責めることが出来ず、ただ居心地が悪そうにしているだけだ。それは単に既に存在する苦痛の延長でしかなかったからだ。そこに新たに加えられた苦痛は家族の惨殺だった。彼はそれら恐ろしいまでに膨れ上がった苦痛に耐える為、精神を無感覚にした。精神を殺したのだ。
精神の死んだ彼に、苦痛も、憤怒も、憎悪も、哀惜も存在しない。しかしそれと同時に、生きているという実感も、生きているという意味すらも、彼には存在しなくなったのだ。彼は家族を殺した悪党どもを追いつめる、しかしそれは復讐だったのか。それは復讐という名目の、生ける虚無となった自分自身を終わらすための、きっかけでしかなかったのではないか。主人公は「死に場所」を求めていたのではないのか。そして、「死に場所」を求めることだけが、「死」へと限りなく近づいてゆくことだけが、逆説的に、彼自身の、最後の生きる希望であり、証だったのではないのか。
終盤、悪党の本拠地を見つけた主人公は、共にベトナムで戦い、故郷に戻ってきた友のもとを訪れ、一緒に悪党を叩き潰そうと持ちかける。それを承諾した友の顔に浮かぶ笑みは、これもまた、「死に場所」を探す男の暗い輝きに満ちたものだった。「ここ」にはもう居場所は無い。ただ「死」に限りなく近い場所にだけ自分たちの居場所は在る。映画『ローリング・サンダー』は、全てが失われた虚無の中で生き、それを終わらすため死を請い求める男たちの、凄惨なハードボイルドだったのである。
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