■GODZILLA ゴジラ (監督:ギャレス・エドワーズ 2014年アメリカ映画)
ギャレス・エドワーズ監督による『GODZILLA ゴジラ』を観た。賛否両論あるのかもしれないが、オレ的には見せるべきところは見せ驚かせるべきところは驚かす、丁寧に作られたいい映画だったと思う。ギャレス・エドワーズ監督のデビュー作『モンスターズ/地球外生命体』の延長線上にあるモチーフも幾つか見られたが、要するにすっごいモンスターの、即ちゴジラのことが好きな監督なんだろうな、というのはよく分かった。特撮も演出もおおむねよかったが、なにより、冒頭の日本を舞台にした原子力発電所事故のくだりはやはり重いものを感じた。このようなエピソードをあえて挿入したギャレス・エドワーズ監督の采配にまず感嘆した。
ひとつだけ物足りなかったといえば、ゴジラに「破壊神」としての恐怖をあまり感じられなかった、という部分かもしれない。今回も暴れまわってくれたゴジラではあるが、しかし実際は敵役モンスター、ムートーを倒すための「地球の守護神」的な役割なのらしい。これはゴジラという存在をどう描くか、という主眼の置き方の問題なのだろう。ゴジラぐらい歴史が長く世界に沢山のファンがいる作品ともなると、「ゴジラとはなにか?どうあることがゴジラらしいのか?」という定義や思い入れのありかたに様々なものがあるだろう。そういった部分を包括したうえでの今回のゴジラということなのだろう。
オレなどは白状するとそれほど強烈な思い入れがあるわけでもなく、逆にファンの間では不評な1998年作のローランド・エメリッヒ版『GODZILLA』もかなり面白く観たぐらいだ。今回は予告編の禍々しさに「破壊神」としての恐怖を期待してしまっていた。それは例えば2008年に公開され「ゴジラ映画の再来」とも言われたモンスター・パニック映画『クローバーフィールド/HAKAISHA』に通じるような禍々しさだ。この作品に登場するモンスターが、なぜ現れ、なぜ街を破壊するのかは明らかにされていないが、このモンスターがあからさまに破壊と殺戮への明確な「意志」に満ち満ちていたことは伝わってくるだろう。その「意志」が目的とするのは人類を根絶やしにし、文明を灰燼に帰すことなのだ。
今日が3月11日だからというわけでもないが、今回のゴジラ、敵役モンスターであるムートーも含め、「自然災害をテーマにしたディザスター・フィルム」に近いものを感じた。ディザスター・フィルムは大事故や大災害を描くが、自然災害に限っていうなら地震やら台風やら竜巻やら津波やら大寒波やら隕石やらと様々で、地球滅亡の危機まで描いたりもする。その大破壊の中で阿鼻叫喚の渦に叩き込まれる人々の様子に恐怖し、そんな絶望的な状況においても一人でも多くの人命を救おうと尽力する人々に共感する、そんなカタルシスを生み出すのがディザスター・フィルムなのだ。しかし自然災害は、なにしろ殆ど防げない。それは自然や宇宙の摂理があまりにも強大だからであり、そもそも人間がいようがいまいが関係ないところで成り立っているからだ。
そしてこれら自然災害のようにゴジラもムートーも恐るべき破壊の猛威を振るい、建造物も人間も埃屑のように吹き散らかされ、彼らが通った後には瓦礫しか残らない。しかし彼らモンスターが破壊の猛威を振るうのは、実は生存本能や生殖行為といった理由付けがされ、それら生物の摂理がなにより優先しているだけの話で、それは自然災害と同じように人間がいようがいまいが関係ないところで成り立っているのだ。この中で人間の存在はただただ無力なだけであり、ただただ蹂躙されるだけなのだ。今回のゴジラには「破壊神」の凶暴さが希薄だったとはいえ、この「人智を超えた圧倒的な暴威に対する絶望感と無力感」はたっぷりと漲っているのを感じた。そしてなにしろ、ゴジラがとんでもなくデカイのがいい。
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