『ヤギと男と男と壁と』はアイロニーとニヒリズムの物語だったのではないか。と思う。

ヤギと男と男と壁と (監督:グラント・ヘスロフ 2009年アメリカ・イギリス映画)


この映画]『ヤギと男と男と壁と』、変なタイトルなんですが、『実録・アメリカ超能力部隊』というノンフィクションを下敷きにして作られているんですけどね、要するに「アメリカ軍に超能力部隊が存在した!?」ということらしいんですね。で、このアメリカの難儀なヘータイさんたちが、真面目な顔して「透視能力!」「壁抜け能力!」「キラキラ眼力!」とかやってるのを観てゲラゲラ笑おうという映画なんですね。まあアホだなあ、とは思いますが、そもそもこの超能力部隊、冷戦体制の時代、当時のソ連が超能力の軍事利用研究をしているという情報を嗅ぎつけたアメリカ軍部が、「ンなもんありゃしねーとは思うんだけど、敵さんがやってんだからこっちもやっとかなきゃあ顔が立たん」という理由から作られたらしいんですね。つまりその発端が「超能力なんか無い」という所から始まっている、という部分に、どことなくニヒリスティックなものを感じるんですよね。

そして結成された"新地球軍"を指揮するのがベトナム戦争の惨禍を通して"スピリチュアルな啓示"を受け、ありとあらゆるニューエイジなコミューンを体験したヒッピー野郎っていうのがまた皮肉なんです。普通に考えるならヒッピー文化は軍隊みたいな暴力装置と相容れないはずなのに、このヒッピー野郎はあえて軍隊に戻り、ラブ&ピースで"平和な戦争"をしようとするわけなんです。これってモノの考え方として捻れている、というか、なんだか辻褄が合わない思考なんですよね。実はこれ、考えようによっちゃ「狂っている」っていうことになりませんか。そしてその「狂っている」男が"新地球軍"という名の平和の戦士を育成し、超能力の研究に勤しむ…これ、完璧にカルトですよね。オウム真理教とか思い出させますね。それを後押ししているのはれっきとしたアメリカ陸軍であることを考えると、このお話は、当時の軍部がカルトさえ許す狂った組織だった、という言い方だって出来るわけなんですよね。だとすると、ゲラゲラ笑うどころかうそ寒いものを感じるお話だったりするんですよね。

このお話は、イラク戦争真っ只中の2003年と、"新地球軍"が結成された1980年代とを行き来して語られますが、そういえば、日本でオウム真理教がじわじわ勢力を延ばし始めていたのが1980年代なんですよね。アメリカでレーガンスターウォーズ構想とかワケの分かんないことをほざいてたのも80年代なんですね。なんかこう、膨れるだけ膨れた観念が行き場をなくして暴発する寸前だった、80年代というのはそういう時代だったのかもしれませんね。そして2003年に勃発したイラク戦争というのは、もとをたどれば2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件があるわけです。テロにより威信を失い、寄る辺とする強い力が揺らぎ、疑心暗鬼ばかりが覆うアメリカから下手人の国イラクへ派兵されたのは、ニューエイジなカルト軍隊だった、というのは、これも見方を変えると実にニヒリスティックなお話なんです。そしてラストではそのカルトでさえ瓦解し無へと還ります。この映画『ヤギと男と男と壁と』は、一見コメディのように見せかけながら、実はアメリカという国のダークサイドを描いた映画だという気がします。

ところでオレ、実はあんまり役者の名前とか下調べしないで映画観るタチなもんですから、ユアン・マクレガーが出てきて、リーアム・ニーソンが出てきて、そしてジェダイ戦士がどうとか言ってるから「おお!スター・ウォーズ・ネタだったのか!」と映画観ながら素直に感心してたんですが、あれリーアム・ニーソンじゃなくてジェフ・ブリッジスなんですよね。オレ一緒に観に行った相方さんに得意になって解説してたよッ!リーアム・ニーソンジェフ・ブリッジス間違えんなよって話ですが、まあこういう人間がいつも知った顔で映画のこと書いているんだから、オレの日記もお里が知れるってもんですね!

ヤギと男と男と壁と 予告編


実録・アメリカ超能力部隊 (文春文庫)

実録・アメリカ超能力部隊 (文春文庫)