虫づくし/別役実 asin:4150501432


『虫づくし』というタイトルであり「蚤」や「蝿」など御馴染の虫の名前を冠した章が設けられているが、実はこの本、よく読むと虫の本でもなんでない。つまりファーブル『昆虫記』のような細密な観察を元にしたアカデミックな虫の博物誌のようなものでは全く無いのだ。ではハラルト・シュテュンプケ鼻行類』やレオ・レオニ平行植物』のような奇怪な想像力で描かれた架空の動物記なのかというとそうでもなく、むしろスウィフト『ガリバー旅行記』的な妄想の大系だと思ったほうがいいだろうか。(さてここまで書いといてなんだが、オレは以上挙げた本は一切読んだことがない。ワハハ)そしてその妄想も、荒俣宏の如き博覧強記を元に書かれた物でも、筒井康隆のような諧謔と突飛さで書かれた創作でさえもない。

この本(もう作品でさえない)に書かれていることというのは、”虫”という題材を取りながら、いかに虫とは何の関係も無い無意味で役立たずなロジックを展開してゆくのか、というものなのである。さらに、そこから立ち現れた”ナンセンス”に、クスリと笑わせるようなユーモアを加味するといったような、”ナンセンスの役割”をさえも捨て去っている。可笑しくもなんともない、一見意味有り気で実はこじつけと屁理屈ばかりの文章をひたすら書き連ねるという奇妙な読み物なのである。

だがこれは、”脱意味”を目指しているといった点で、読み物として興味深い点を持っている。Webでも書籍でも、巷には情報量に富み、有意義で、為になり、知識量を増やし、教養を増し、心を豊かにし、感動と興奮を与え、物事を考えさせ、生活に役に立つ事柄が満載で、なんだか賢くなったような気にさせる、そんなテキストで一杯だ。きっとみんなお勉強が大好きなんだ。努力と精進が好きなんだ。そしてテストで良い点を取り、会社の給料を上げ、気の効いた一言が言える人間になり、感性を磨き、人生を豊かにし、人から好かれたり尊敬されたりする人間になりたいんだ。だから沢山の情報を溜め込みたいんだ。その為に自分の中に沢山の”意味”のあることを取り込みたいんだ。しかしこれって、単なる《強欲》ってことなんじゃないのか。

知恵が生まれると嘘も生まれる。教養を身につけることも、結局は人間の欲望の積み重ねでしかない。人から聞いて知ったことや、勉強して学んだことは、本当の教養ではない。真の人間にとっては、知性も教養も功績も名声もどうでもいいことである。…とまあこれはオレじゃなくてヨシダケンコーという昔生きてたオジサンが言った事なんだが、勿論こんな言葉はケンコーおじさんが知識と教養のある人間だからこそ言える言葉であったのだろうし、また、別役実の『虫づくし』のその”無意味”さも、やはり豊かな知性があったればこそ可能なのだろう。

ただオレの如き無知蒙昧な俗物でさえ、知識でも教養でもない”無意味さ”に、どうにも惹かれるものがあるのだ。”役に立たない”ということを遊ぶ事に、無類の楽しみを覚えるのだ。オレは無意味な人間でありたい。箔なんか付けたくない。自分の知っていることなどどうでもいい。そんなものネットで検索すれば何千何万とヒットする。日記は無意味な事で埋め尽くしたい。何やら訳知り顔で書いている事もあるけれど、あれは世界にも社会にも何一つ意味あることじゃないから書いている。あれらは全て言葉遊びだ。要するに”趣味”でしかない。”意味”や”意義”で自分を粉飾なんかしたくは無い。言葉で世界を埋め尽くし、繭を紡ぐ蚕のように自分を閉じ込めたくない。オレは”意味”や”意義”から自由でありたい。そして、この『虫づくし』からは、そんな”意味”や”意義”から一歩引いた、風通しがよく、力の抜けた小気味よさが、とても伝わってくるのだ。知識や教養を得ることは悪くない。ただ、それをエイヤッ!と捨て去り、まっさらな自分になること、その”無意味”の中で遊ぶことも、また大事なのだと思うのだ。

ちなみに別役実氏の”別役(べつやく)”をずっと”べつえき”と読んでいた無学文盲のオレである。ただ調べると正確には”べっちゃく”というのらしい。四国地方によくある名前なのだそうだ。