BEM/斎藤潤一郎
斎藤潤一郎の新作『BEM』は、これまでの作品世界を大きく広げた重要な一冊だ。『死都調布』で郊外の不条理と虚無を描き、『武蔵野』で静かな旅の終わりを綴った作者は、今回は舞台をアメリカ全土へと移した。キャッチコピーが示す通り、本作は「侵略」ではなく「アメリカという神話そのもの」を描こうとする試みであり、斎藤らしい冷めた視線が貫かれている。
主人公はFBI捜査官ヘイドリアン。彼女は連続殺人事件を追いながら、アメリカを東から西へと横断していく。道中で出会うのは、残酷な死体や不可解な出来事、そしてどこか常識から外れた人物たちだ。骸骨のような刑事など、強烈なキャラクターが物語を彩る。表面上は80年代SF映画の雰囲気をまとったB級オマージュのように見えるが、斎藤の筆致はあくまで独自で、模倣にとどまらない。
本作の最大の特徴は「徹底した乾き」だ。事件が起きても登場人物はほとんど感情を見せず、ただ移動と遭遇を繰り返す。ブラックユーモアでさえ湿度がなく、笑った瞬間に虚無が残る。この乾いた感触は『死都調布』よりさらに研ぎ澄まされ、アメリカ大陸という広大な舞台でより大きな虚無感へと変化している。
物語の中心には、西部劇とSFの融合がある。ヘイドリアンの旅は、かつての西部開拓を現代に置き換えたような構造を持ち、州境を越えるたびに暴力や孤独が顔を出す。これはアメリカが歴史の中で掲げてきた「力による正しさ」の象徴でもある。一方で、エイリアン陰謀というSF的な異物がその構造を侵食し、アメリカ神話のロマンを冷徹に相対化する。栄光と暴力が切り離せないことが、物語を通して浮かび上がる。
この融合は、物語のテンションを大きく揺らす。前半から中盤にかけては説明をほとんど排したナンセンスが続き、読者は状況を掴みにくい。しかしアメリカ史に触れる場面になると、語り口が急に変わり、冷静で鋭い思想が差し込まれる。この落差こそが、斎藤の「拒絶の美学」を象徴している。
ヘイドリアンは、この構造を体現する存在だ。彼女は感情を排した観測者でありながら、同時にアメリカの歴史的運動を現代に引き継ぐ人物でもある。読者は彼女の視点を通じてアメリカ神話の内部に入り込みつつ、日本人作者の距離感によって外側からも眺めるという二重の体験をする。感情移入を拒む彼女の姿勢が、作品の批評性をより鋭くしている。
『BEM』は説明を避け、因果関係を丁寧に語らず、救いも提示しない。事件や風景、暴力が積み重なるだけで、その隙間に読者が意味を探す構造になっている。「すごいのは分かるが、何がすごいのか言語化しにくい」という読後感こそ、斎藤潤一郎の真骨頂だ。
本作は、『死都調布』で扱われた「力による再構築」というテーマをアメリカ大陸規模に拡大した集大成であり、同時に新たな出発点でもある。西部劇とSFを組み合わせ、アメリカ神話を乾いたユーモアと暗い影で描き切った稀有な作品で、斎藤ファンはもちろん、アメリカ文化に複雑な思いを抱く読者にも強く勧めたい。





