古代オリエントの宗教 / 青木健 (著)
パレスティナ発の「聖書ストーリー」は、メソポタミア平原を越え、イラン高原へ。東方へ膨張をつづける聖書ストーリーに対し、諸民族はいかに向き合ったか。最大の土着宗教ゾロアスター教、「真のキリスト教」を自称したマニ教、イスラームのグノーシス=イスマーイール派――。13世紀に「異教の魔神たち」が封じ込められるまで、宗教的想像力がもっとも奔騰した1000年を描きだす、東方の精神史。
「聖書ストーリー」の台頭
青木健さんの本『古代オリエントの宗教』、これがまるで「聖書ストーリー」という超大作映画の公開と、それにまつわる舞台裏ドタバタ劇を解き明かす本、って感じなんですよ。
2〜3世紀から13世紀までのオリエントの宗教史を、青木さんは「聖書ストーリー」っていうちょっと変わった言葉で読み解こうとしてるんです。これ、今風に言うなら、「聖書に、これまでの物語とは違う、新しい視点や構成が持ち込まれた!」ってこと。つまり、単なる教えの羅列じゃなくて、一つの壮大なストーリーとして聖書が受け入れられ始めた、ってイメージかな。
昔のオリエントって、いろんな民族がいて、それぞれの神話がバラバラに並んでたんです。まるで、ご当地ヒーローが地域ごとにいる、みたいな感じ? でも2世紀以降、状況はガラッと変わっちゃう。そう、「聖書ストーリー」(つまり『旧約聖書』と『新約聖書』を合わせた物語)が、まるでハリウッド超大作みたいにドーンと登場して、他の神話を圧倒し始めたんです。
この時代以降のオリエントの宗教史は、「どんどんデカくなる聖書ストーリー」と「それに押されまくるローカルな神話」っていう、わかりやすい対立構造で見られる、って青木さんは言ってます。この本では、この聖書ストーリーが影響力を持ち始めた2〜3世紀から、イスラームが登場して安定期に入る13世紀までの、オリエントの宗教史を扱ってるんだとか。この時期って、いわば「古代の宗教界のビッグバン」から「落ち着いた現代」への転換期ってわけです。
「聖書ストーリー」への、当時のヤバい反応あれこれ
さて、この「聖書ストーリー」っていう超大作が登場した時、当時のいろんな宗教がどう対応したのか、ちょっと覗いてみましょう。まさに公開された映画に対して、観客がそれぞれ違う反応を示してる、みたいな感じですよ!
マルキオーン主義(2世紀、ローマ):「いやいや、旧約聖書はもうアウトでしょ!」
マルキオーンさんっていう人が、「この『聖書ストーリー』、なんか旧約聖書とイエスさんの話、矛盾してない?」って言い出したのが、このマルキオーン主義。彼らは、「旧約聖書はもうダメ!イエスさんの本当の教えは新約聖書(しかもルカ書とパウロの手紙だけ!)にあるんだ!」って主張しました。
例えるなら、「この映画、続編は最高だけど、前作と設定が全然違うじゃん!前作はもう黒歴史でいいよ!」って、古い方をバッサリ切り捨てて、新しい方だけを「真の作品」って言っちゃった、みたいな過激派だったんです。
マンダ教(1〜2世紀、メソポタミア):「聖書なんて信じない!俺たちだけのオリジナルストーリーだ!」
マンダ教徒たちは、もう『旧約聖書』を完全にシャットアウト!「そんなの信じるか!」って感じで、自分たちだけの『マンダ教聖典』を立てました。彼ら、もともとユダヤ教徒が『旧約聖書』を批判してできた宗派って言われてて、なんと「アダムを創ったのは、ヤバい下っ端の神様と『闇の王』だから、人類は呪われて生まれてきたんだ!」なんて、なかなかぶっ飛んだ設定なんです。
モーセも、その神も、まさかのイエスさんまで「悪!」って決めつけて、『新約聖書』もキリスト教も全部否定! 彼らの世界観のベースには、「光の世界」と「闇の世界」がガチバトルしてるっていう、まるでダークファンタジーな神話があるんですよ。今でもわずかに残ってるグノーシス主義の宗教で、洗礼者ヨハネだけを「マジもんの預言者!」って崇めて、イエスもモーセもムハンマドも「偽物!」って言ってるんですから、かなりの個性派ですよね。
マニ教(3世紀、メソポタミア):「聖書もいいけど、俺の預言も入れて全部ミックスだぜ!」
マニ教は、もうなんでもありのミクスチャー路線!「聖書ストーリー」とは関係ないゾロアスターさんとかお釈迦様まで「預言者!」って引き込んじゃって、さらにマニさん自身の「俺の預言も入れるぞ!」って感じで、『旧約聖書』『新約聖書』に『マーニー教七聖典』をドッキングさせて「これこそが真のキリスト教だ!」って言っちゃったんです。
例えるなら、「あの人気映画に、俺のオリジナルキャラクターと裏設定も追加して、全部ごちゃ混ぜにしたのが、俺が考える究極の映画だ!」って言ってる、みたいな感じ。マニ教には、いろんな「キリストっぽい存在」が出てきて、それぞれが「こいつはこういう意味合いで出てくるんだぜ!」って、象徴的な役割を担ってるのも面白いところです。まさに、壮大なクロスオーバー作品を作りたかったんでしょうね!
ズルヴァーン主義(3〜8世紀、イラン)
ゾロアスター教っていう、これまた古い宗教の仲間で、「時間(ズルヴァーン)こそが宇宙のすべて!」って考える、ちょっと哲学的なグループでした。良い神様と悪い神様がいる、っていうゾロアスター教の普通(?)の考え方とは違って、この二人の神様は「時間」が生み出した双子の神様なんだ、って考えたんです。時間の概念をすごく大事にする、独特な視点ですよね。
ミトラ信仰とアルメニア正統使徒教会(4〜5世紀、アルメニア)
ミトラ信仰は、ローマ帝国でコソコソと人気があった秘密の宗教でした。でも、キリスト教が国公認になっちゃったんで、だんだん消えていっちゃったんです。一方、アルメニアは、なんと301年に世界で初めてキリスト教を国教にしちゃった国!独自の教会を築いて、キリスト教をガッツリ広めていきました。直接関係はないけど、同じ時代、同じ地域で、片方は衰退、もう片方は躍進っていう、対照的な運命をたどったんですね。
イスラームにおけるグノーシス主義の復活(8〜10世紀、メソポタミア)
この時期のイスラーム世界では、昔流行ったグノーシス主義っていう考え方が、一部のシーア派とか、イスラームの神秘主義(スーフィズム)の中で、まさかの再ブーム! 宇宙にはいろんな階層があるとか、秘密の知識を手に入れれば救われる、みたいな考え方が、イスラームっぽくアレンジされて復活したんです。まるで、昔の流行がリバイバルするみたいに、宗教の世界でもそういうことがあるんですね。
「聖書ストーリー」に吸収されたザラスシュトラ(9〜13世紀、イラン)
イスラームがどんどん広まっていく中で、ゾロアスター教徒は少数派になっちゃって、自分たちの信仰を守るのに必死でした。中にはインドに移住して「パールシー」と呼ばれるようになった人たちもいるんです。この頃には、もうゾロアスターさんの教えも、「聖書ストーリー」っていう巨大な波に飲まれちゃった、って感じだったんでしょうね。
この本は、こんな風に、「聖書ストーリー」っていう超巨大コンテンツが誕生して、それがオリエントの宗教界をどう揺るがしていったのかを、面白く描いてくれてるんですね。 2〜3世紀から13世紀までの、宗教界の激動期を追体験できる一冊ってわけなんです。