遥かなるパキスタン~映画『Garm Hava』

■Garm Hava (監督:M・S・サシュー 1973年インド映画)

1947年、イギリス議会が可決したインド独立法は、ヒンドゥー教徒のインド連邦とイスラーム教徒のパキスタンとの分離独立という形で施行された。これによりインド/パキスタン双方で、住民の大移動と宗教的対立による大混乱が生じる。国境を超えた人の数は1200万とも1500万とも言われ、その途中飢餓や略奪により多くの人命が失われたばかりか、宗教的対立による迫害と衝突は流血の大惨事へと発展したという。これら印パ独立の際の悲劇を描く映画作品は枚挙に暇がないが、最近では映画『ミルカ』(2013)でその悲劇が描かれることになる。

しかし、印パ独立時の住民大移動は、全てが全て死と隣り合わせの災禍に満ち溢れていたのだろうか。1973年に公開されたウルドゥー語監督M・S・サシューによる映画『Garm Hava』は、印パ独立の際にインドからパキスタンへの移住を望んだ、あるイスラーム教徒一族が抱える様々なジレンマを描く物語である。

《物語》時代はガンジー暗殺間もない1948年、舞台となるのは北部インド連合州(現在のウッタル・プラデーシュ州の一部)の都市アーグラ。ここに靴製造業を営む大家族、ミルザ家があった。イスラーム教徒であるミルザ家はパキスタンへの移住を考えており、そのうち兄ハリムは早々とかの地へと渡ってしまう。しかし弟のサリム(バルラージ・サーヘニー)はこの混乱がそのうち収まることを信じており、さらに老齢の母を抱え、移住にはなかなか踏み切れないでいた。しかし周辺のヒンドゥー教住民のイスラーム教住民への風当たりは次第に強くなり、銀行すらサリムへの融資を渋るようになる。そしてある日、ハリムが名義変更していなかったミルザ家の家屋は政府に接収されることになり、ミルザ家は路頭に迷うことになってしまう。

この物語で描かれるのは、分離独立に際してつとめて理性的に人間的にふるまおうとした一人のイスラーム教徒住民の心情である。映画の中で舞台となる町は最初さほど混乱したものとして描かれない。むしろ町は今までと何一つ変わらない日常が連綿と続いているだけであり、そこに住む住民もいつもと変わらぬ毎日を生きているように一見見える。分離独立という突然の事態に、ヒンドゥー教徒イスラーム教徒、双方が「これからどうしたらよいのだろう?」と考えあぐねている最中なのだ。

しかし、物語が進むにつれ、じわりじわりとイスラーム教徒住民への侮蔑と差別とが滲み出してくる。かつては隣人として声を掛け合っていた者同士のその声のトーンが冷たくなる。「お前は何故まだこの土地にいるのだ」と言わんばかりの横柄な態度を取り始める。この、ゆっくりと静かに広がってゆく差別の空気がとても恐ろしい。こうして物語は、大混乱や大殺戮とはまた別の形で市井の人々が辿るもう一つの印パ独立の悲劇をあぶり出す。それは、「不寛容」と「頑迷」と「狭量」という名の悲劇だ。そしてそれは冒頭描かれるガンジー暗殺に呼応する言葉でもあるのだ。

この物語では当時の在印イスラーム教徒が抱えることになる様々な困難を、あたかもひとまとめにしたかのようにあらゆる事件が起こる。それは外部からの圧力だけではなく、移住に伴い明るみに出る家庭内部の事情でもある。主人公サリムの兄ハリムは、大層な政治的発言を繰り返しながらも、弟も母親も捨て、妻子と共にさっさと移住をしてしまう。ハリムの老齢の母は、先祖代々守り続けてきた土地から頑として動こうとしない。

さらにハリムの息子カズムは、サリムの娘アミナと婚約していたが、この二人はカズムの移住により引き裂かれることになる(しかし思ったがいとこ同士の婚約ということなのか?)。また、恋人の為インドとパキスタンを行き来していたカズムはスパイ容疑で逮捕される。そして主人公サリム自身も、自らがインドで拡げてきたビジネスを全て捨て去ることに後ろ髪引かれる思いなのだ。こうしてこの作品には、分離独立に翻弄される人々のあらゆるドラマが集約されるのだ。

そういった受難の中、クライマックスで主人公サリムの取った行動とはなんだったのか。それは怒りなのか、憎しみなのか、それとも新たなる決意だったのか。少なくともサリムはそこで、彼自身の持つ楽観的な世俗主義と理想主義を捨て、現実と対峙することになったのだと思う。そしてそこで彼は初めて周りに振り回されることなく「自分はどう生きたいのか、どう生きるべきなのか」を選択しようとする。こうして映画『Garm Hava』は苦々しく、そして困難に満ちた現実を描きながら、印パ独立の只中にいた、多くの市井の人々の心情を浮かび上がらせてゆくのだ。