■Qissa: The Tale of a Lonely Ghost (監督:アナップ・シン 2015年インド/ドイツ/フランス/オランダ映画)
1947年のインド・パキスタン分離独立を背景に、パンジャーブ地方に暮らすある家族が辿る呪われた運命を描いた作品がこの『Qissa: The Tale of a Lonely Ghost』だ。主演は『めぐり逢わせのお弁当』『ライフ・オブ・パイ』のイルファン・カーン。監督はタンザニア生まれでスイス・ジュネーブを中心に活動するインディペンデント映画作家アナップ・シン。映画はパンジャーブ語で製作され、2013年にTIFFで公開された後、2014年ドイツ、2015年インドで順次公開された。第38回トロント国際映画祭ではNETPAC賞(最優秀アジア映画賞)を受賞している。タイトル「Qissa」はアラビア語で、英語の「Story」にあたる言葉。だが副題の「孤独な亡霊の物語」とは何を意味するのだろうか。
《物語》1947年、現在のインド北西部からパキスタン北東部にまたがるパンジャーブ地方はインド・パキスタン分離独立で揺れていた。その地に住むシク教徒のコロニーにアンバー・シン(イルファン・カーン)の一家があった。彼は妻との間に二人の女の子をもうけていたが、伝統的なシク教徒であり、また強権的な父親である彼は、女児ではなく強いシク教徒の男児が生まれることを切に望んでいた。そして3番目の子がまた女児であれば殺すことになっていた。だが第3児が誕生し、アンバー・シンは「遂に男の子だ!」と喜び勇む。赤ん坊はカンワルと名付けられ、一族の喜びと寵愛の中逞しく育っていった。しかし悲劇は、既に始まっていたのだ。
凄まじかった。歪められた狂気と呪われた運命を描くこの物語は、魂も凍えるような異様さに満ち、臓腑を抉る展開とそのあまりの情け容赦の無さに観ている間中鳥肌が止まらなかった。悲劇の代名詞としてシェイクスピアがあるなら、これはまさにシェイクスピア的な「インド悲劇」とも呼ぶべき物語として進行してゆくのだ。たった一つの嘘が次第にあらゆるものを死と破壊へと引きずりこみ、最悪の事態が更なる最悪の事態へと塗り重ねられてゆく。暗黒の咢にじわじわと引きずり込まれるかのような悲劇を見せ続けられながら、しかし決してそこから逃れる術はないのだ。これは、なんと恐ろしい物語なのだろう。そして物語は壮絶な幻想譚として終盤を迎えるのだ。
物語は冒頭から尋常ならぬ異様さに包まれている。暗く厳かな伝統楽器の調べと共に画面に現れるのはアンバー・シンの5人の家族の家族写真。これによりこの物語は【家族の物語】であることが告げられるのだ。そして映画が始まり老境のアンバー・シンが登場し、曇りきった鏡に「私は誰だ?私はどんな呪をかけられてしまったのだ?」と語りかける。外に出るとそこは宵闇となっており、庭に設けられた井戸の脇には一つの死体が横たわっている。しかしアンバーはそれを意に介することもなく、ふらふらと闇の中へと彷徨い歩いてゆくのだ。「ここはかつて私の国だった」と呟いて。これはいったい、なんなのか?いったいここで何が起こったのか?
映画を観る前には紹介文を読んだり予告編の映像を見たりしてどんな映画か確かめるものだが、この『Qissa』に関してはイルファン・カーン主演ということ以外日本における前情報が殆どなく(英語版のWikipediaや紹介文はあるだろうがネタバレが多いので映画を観る前に読むことは殆ど無い)、また予告編の映像を観ても「シク教徒が中心となる文学的でトラデショナル風な物語」以上の情報は得られない。だから自分もそのような物語なのだろうな、程度の気持ちで観始めたのだが、物語が進行してゆくにつれそのあまりに残酷な展開に気が遠くなりそうになった。このレヴューではその「呪われた運命」の本質を書くことはしない。それよりも是非ご自分の目でこの映画の透徹した悲劇の姿を確かめて欲しい。それはとてつもなく陰鬱なものだが、えもいわれぬ映画体験であることは保障する。