■良くも悪くもニール・ブロムカンプ映画
ニール・ブロムカンプの最新SF映画『チャッピー』、実は最初あんまり観に行く気がしなくてね。だって自意識持ったロボットだのAIとかいうテーマってもう食傷気味でさあ。ってか、自意識持ってなんかいいことあんのか?ニール・ブロムカンプの映画自体『第9地区』はそのアレゴリーの在り方が面白かったけど『エリジウム』はその二番煎じだったし、全体的にシナリオが乱暴だなあ、と思えて監督自身への期待度が薄まってきてたんですよ。とか言いつつ暇だったんでプラプラと劇場に行ったんですが、なんでしょう、良い意味でも悪い意味でもやっぱりブロムカンプらしい作品でしたね。
舞台は例によって近未来の南アフリカ・ヨハネスブルグで、例によって治安が悪くてたちの悪いチンピラがいて、例によって汚れたデザインの機械やら武器が登場してドンパチやりまくる、というわけなんですな。若くして伝統芸の領域と言いますか他に芸が無いと言いますか、まあしかしそういった部分のビジュアルや世界観はそんなには嫌いじゃないんですよ。凄いとは思わないけど独特でね。ただどうも今回もシナリオが乱暴だし、SF作品ばっかり作ってる割にSF設定が杜撰で推敲が全然足りないんですよ。ホントにブロムカンプってSF好きなの?で、今回は「意識を持ったロボット」ということなんですけどね、そもそも意識とは何か?とか、AIはどのようにして自意識を持つのか?とか、それについてどのようなテクノロジーが必要か?ということは正直すっとばしてます。実の所娯楽映画でそれやる必要はありません。ただ、やらないならやらないで、少なくとももうちょっと上手く嘘ついて欲しい、と思うんです。
以下ストーリーに触れてます。
■ここが変だよ映画『チャッピー』
どのようにしてか自意識を持ったAIを開発したエンジニアのデオン(デーヴ・パテール)ですが、上司のミシェル(シガニー・ウィーバー)は「そんなもんいらん」と突っぱねます。いやちょっと待てよ、「自意識を持ったAI」で結構ビジネスチャンスありそうなんですけど…。デオンもデオンで、そんな無能な上司のいる会社辞めてその技術どっかに持ってけよ。諦めきれないデオンは会社のスクラップ・ロボットを勝手に持ちだしてそのロボットに自意識なるものをアップデートします。管理の杜撰な会社です。その後デオンは武器持ちだしたりもします。管理の杜撰な会社です。ヨハネスブルグ・クオリティーなのでしょうか。
しかしそのロボットもろともギャングに拉致されるデオン!このギャングの連中が実に低能っぽくてこの映画で唯一心を和ませます。デオンもデオンで解放されたにもかかわらず「チャッピーをちゃんと見守りたい!」とか言ってギャングのアジトに足げく通います。この辺の頓珍漢さは結構好きです。あとチャッピーとギャングのやり取りも可笑しくて好きでした。その自意識だかをアップデートされたロボット「チャッピー」はなぜかナヨッとしています。女の子という設定なのでしょうか。ゲイなのでしょうか。一方同僚のヴィンセント(ヒュー・ジャックマン)は自分の開発した『ロボコップ』のED209そっくりのマシンがボツにされたことに腹を立て、ある乱暴な計画をおっぱじめます。いやーもうこの動機と計画がなにしろ乱雑で、「バカなの?死ぬの?」としみじみ思えたぐらいです。後先考えなさすぎだなお前?
この後展開されるドンパチは結構盛り上がってくれます。口半開きにして安心して観ていられます。しかし「意識の転送」についてのくだりはいただけません。「意識ってよくわかってないから転送なんかできないぞ」というデオンにチャッピーは「やってみたらでけた」とか言ってるわけです。なんじゃそりゃって感じなんですが。その後も「意識」をノートパソコンのHDに保存したりさらにフラッシュメモリに転送したり、さらにケーブル繋いであっという間にダウンロードしたり、「いやちょっと待て、意識のデータ量ってその程度のものなのか!?」と頭がぐらぐらする描写が目白押しです。いやきっとあれは量子コンピューターが実現された未来におけるペタ単位のデータストレージで、デバイス間の転送速度も天文学的数字なのに違いない…いやきっとそうなんだ!と思い込むことで納得することにしました。そういう所の描写、もうちょっときちんと頼むよ…(涙目)。
■聖書物語としての『チャッピー』
気を取り直して「自意識を持ったロボット」というものを考えてみましょう。「創造主(人間)」と「被造物(ロボット)」との意識を巡る物語は「創造主(神)」と「被造物(人間)」を巡る旧約聖書的な物語として読み替えられます。この場合「自意識を持ったロボット」とは知恵の実を食べたアダム、イヴということになります。自意識とは知恵の実だったんですね。さらにチャッピーには「劣化によりチャージできないバッテリー」という【寿命】が設けられています。キリスト教において寿命、そして死とは神の国から追放されたものの背負う永遠の罰です。しかしそうした限られた寿命を持った「意識」がそれを別の体に転送することで【永遠のいのち】を得る。これもまたキリスト教の教義に似ていますよね。
つまりこの作品は「チャッピー/被造物」が「自意識」という知恵の実を食べたばかりに単純なオートマトンであることの楽園を追放され、限られた命という罰を受けながら、最終的に【永遠のいのち】を得る、という物語だったんですよ。この【永遠のいのち】は創造主である「神/人間」との対話から生まれたものであり、そしてヴィンセントのロボットという「悪/悪魔」を退けることによって成立しているんです。こうして映画『チャッピー』はヨハネスブルグでギャングとドンパチやるロボット物語に見えながら、実は相当にキリスト教思想の濃厚な物語であるともいえるんですよ。そしてロボットと意識を巡る物語は、そういった部分に帰結する物語である、といえるのかもしれません。
http://www.youtube.com/watch?v=4w2Svc5o8VE:movie:W620
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