インドの事をあれこれ勉強してみた

インド映画はとても面白いし、目も彩なインドの文化もそれはそれは楽しいのですが、実の所自分はインドについてまるで知りません。もちろんヒンディー語を始めとするインド言語は理解できませんし、インド映画を観るまではインドの主要都市がどこにどうあるのかすら全く知りませんでした。インドの歴史も経済も知らなかったし、ヒンドゥー教がどういったものであるのかも知りません。インドについて読んだことがある本は椎名誠の紀行本とねこぢるの漫画だけです。もっと言うとインドは遅れていて貧乏で不潔で無知蒙昧な人々の暮らす国とすら思ってました。インドの皆さん、本当にどうもすいません。遅れていて貧乏で不潔で無知蒙昧な人間はこの自分でした。
インド映画を観るようになって、インドのことをもっと知りたい、と思うようになりました。それは憧れとかではなく、「何かとんでもないものがありそうなのに全く掴めない」という戸惑いからでした。「何か物凄いものが存在しているのに全く無知だった」という焦りからでした。知見の狭い自分を恥じたのです。インドの美しさ素晴らしさは理解できます。しかしそれだけではないもっと複雑怪奇なものがインドには存在していて、手放しに「インドは素晴らしい!」と言えない部分がありました。その複雑怪奇な部分も含めて、「実際どうなっているのか」ということをきちんと知りたくなりました。インドという国は、多分自分には一生異質な国なのだと思いますが、その全容を知らずに意見や感想を持ちたくなかったんです。まあその全容だって、全て知ることは無理だとは思いますが、知ろうとする努力だけはしたかったんです。
そもそも自分には他の外国も異質だし、日本だって実はなんだか異質なぐらいに思っています。海外旅行も興味無いし、世界情勢もネットで流し見する程度で、国際感覚のコの字も存在しません。そんな自分に「知りたい」と思わせたインドは、やはりどこか特別な魅力というか魔力の存在する国なのでしょう。そんなわけでささやかながら勉強しようと思い何冊か本を手に取り、とりあえず読んでみました。インド通の方から見ればお粗末で噴飯ものの内容でしょうが、とっかかりということでお許しを。選択の際注意したのは「日本人がインドに行ってびっくりした」といった類の体験本には手を出さない、ということ、とりあえずヒンドゥー教ってなんだろう?という部分から始める、ということでした。

ヒンドゥー教 インド三〇〇〇年の生き方・考え方 / クシティ・モーハン・セーン

ヒンドゥー教 (講談社現代新書)

ヒンドゥー教 (講談社現代新書)

インド人ヒンドゥー教徒によって書かれたヒンドゥー教入門書。「ヒンドゥー教に関して予備知識をもたない、一般の読者を対象に書かれている」ということから、最初のとっかかりに最適だと思って読んでみることにしました。200ページ程度の本で、これを読んだだけでヒンドゥー教が分るとは思っていませんが、あらましだけでも掴んでおこうと思ったわけです。第1部が「ヒンドゥー教の本質と教え」、第2部が「ヒンドゥー教の歴史」となっており、非常に要点を濃縮した内容で、キーワードと簡略化された説明がポンポンポン!と飛んでいき、これはこれで読み応え十分ですが「詳しく知りたかったらもっと勉強せえよ」という含みもあり、最初の1冊としてこれほど的確な本はないと思わせてくれました。それと、インド人著者だけにインドに対する誇りが透けて見えるのがよかったですね。そしてこの本でなにより目から鱗が落ちたのは、「ヒンドゥー教多神教ではなく一神教である」という記述ですね。『ウパニシャット』では万物に遍在する「神」をブラフマンと呼びますが、ヒンドゥー教で礼拝される様々な神はこのブラフマンの人格化された化身の一つに過ぎず、全ての祭祀は実は唯一神ブラフマンを崇める行為に通じている、ということなんですね。『ウパニシャット』においては「自己」をアートマンと呼びますが、そのアートマンもまたブラフマンの一部であり(不二一元論)、神/人間の二元論で成り立つ他の宗教と違い、ヒンドゥー教はヨーガによって自らの裡にある神=ブラフマンを見出すことがその教義とされているんですね。

ヒンドゥー教―インドの聖と俗 / 森本達雄

ヒンドゥー教―インドの聖と俗 (中公新書)

ヒンドゥー教―インドの聖と俗 (中公新書)

インド滞在経験の長い邦人インド研究者によるヒンドゥー教本。これなどはまさに日本人視点から「インドとかヒンドゥー教ってどういうものなのだろう?」という好奇心や興味に寄り添う形で書かれているのが面白かったですね。扱われる素材は広範で雑多、バランスもまちまちなので、主観的な記述も若干ながらあると思いましたが、そもそもたった1冊の本でインドの全てを説明することはできませんから、これでも結構詰め込んでくれているのではないでしょうか。ともかく2冊目としてはこれもいい本でしたね。

インド神話マハーバーラタの神々 / 上村勝彦

インド神話―マハーバーラタの神々 (ちくま学芸文庫)

インド神話―マハーバーラタの神々 (ちくま学芸文庫)

インドの神様って沢山いますが、なにがどれでどうなっているのかきちんと知っとこうと思い、読んでみることにしました。手に取るまで知らなかったのですが、著者はインド研究の日本における第一人者だった方らしく(故人)、厳密な記述に注意を置き、的確な比較が繰り返され、まるで講義でも受けているかのような身の引き締まる読書体験でしたよ。内容としては表題にあるように「マハーバーラタ」の神々を中心としており、つまりそれ以前の「ヴェーダ文献」にある神々はさわりだけに紹介といった形にとどめられています。そしてこれはまた、神々の名前を羅列して紹介する本ではなく、マハバーラタの物語を紹介しながらそこでどう神々が活躍したのかが書かれているのですよ。そしてこのマハバーラタの物語がまた面白い。つまりどういうことかというと、この本を読むとマハバーラタを読みたくなる、という危険な本でもあるのですよ…。

■バガヴァッド・ギーター / 上村勝彦

バガヴァッド・ギーター (岩波文庫)

バガヴァッド・ギーター (岩波文庫)

ヒンドゥー教聖典となるものは複数ありますが、全部読むわけにもいかないので、叙事詩マハーバーラタ』の一部であり、重要な聖典の一つである『バガヴァッド・ギーター(神の歌)』を選んでみました。聖典といいつつ、この叙事詩はまず大戦争の真っ只中から語り始められます。これはバラタ族のクル王家・パーンドゥ王家という親族同士が領土の覇権を賭けて行われた「クルクシェートラの戦い」のことで、『マハーバーラタ』の中核的な要素でもあります。主人公となるパーンドゥ家のアルジュナは戦いに際し肉親同士で殺し合うこの戦争に疑問を持ち戦意を喪失してしまいます。しかしそこでアルジュナに仕える御者クリシュナがヨーガの秘説を説いて彼を鼓舞するのです。このクリシュナこそが実は最高神ヴィシュヌの化身(アヴァターラ)であったのです。ここでクリシュナは何故戦うのかということ、そして人として何を成すべきかを説きますが、それは同時に人としての義務を果たしながら解脱へと至る道を明らかにしたものでもあるのです。ここで「戦い」と「人の道」に齟齬があるように思われるかもしれませんが、これはアルジュナクシャトリヤ、つまりヴァルナ (いわゆるカースト) の第二位である王族・武人階級であり、そのクシャトリヤとしての務め、即ち現世での人としての義務を説いたものであるのです。この『バガヴァッド・ギーター』はさらにヨーガ修行の重要性、魂の不滅、神への帰依の在り方が述べられていきますが、それは篤い信仰の道の中にこそ人の生きる術があるのだという教えです。『バガヴァッド・ギーター』の根幹を成す教えは「(結果に)執着することなく、常に、なすべき行為を遂行せよ」ということです。それは、「無私」であること、そして常に行動すること、その二つです。「行動することの義務」が教義の中心である、という部分にヒンドゥー教、ないしインド民族というものの秘密が隠されているような気がしてなりません。

■バガヴァッド・ギーターの世界―ヒンドゥー教の救済 / 上村勝彦

バガヴァッド・ギーターの世界―ヒンドゥー教の救済 (ちくま学芸文庫)

バガヴァッド・ギーターの世界―ヒンドゥー教の救済 (ちくま学芸文庫)

上記『バガヴァッド・ギーター』の解説書。『ギーター』だけだと難解なような気がしたので最初はこちらから読んでみました。著者は『バガヴァッド・ギーター』の訳者であり、『インド神話マハーバーラタの神々』の作者でもある上村勝彦氏です。特に意識したわけでもないのにインド関連の本を購入したら3冊が同じ研究者のものだったことを知りびっくりしました。確かにこの解説書から読んだのは正解だったようで、『ギーター』に秘められたインド哲学、インド宗教の在り方を丁寧に説明しています。また、上村氏は浅草寺関係者でもあり、仏教との関連性・類似性を見出しながら説明してゆくスタイルは日本人にも分かり易いものでしょう。『ギーター』はインドの学校で「ギーター検定」なるものがあるというぐらいインド人の心象に密着したものであり、また、かのインド元首相ガンジーも熱心なギーター実践者であったという話などを聞くにつけ、いかにこの聖典が重要なものであるかが分かるでしょう。

■シャクンタラー姫 / カーリダーサ

シャクンタラー姫 (岩波文庫 赤 64-1)

シャクンタラー姫 (岩波文庫 赤 64-1)

これは「インドの事を知る」というよりは『インド神話マハーバーラタの神々』で紹介されていたシャクンタラー姫のエピソードが面白かったので、『マハバーラタ』から戯曲化されたこの『シャクンタラー姫』を読んでみようと思ったという訳です。作者の名はインド古代戯曲作家の最高峰と言われるカーリダーサ(5世紀ごろの人物とされるが不明)。物語は仙人の隠棲所で出会ったドウフシャンタ王と天女の血筋を持つシャクンタラー姫との恋愛ドラマです。相思相愛となり周囲からも祝福され婚姻の目前にあった二人はしかし、とある仙人の呪いによりその想いを成就することができなくなります。クライマックスは天界の神々も登場し神々しくもまた稀有壮大な幕引きを見せるのです。読んでみてまず驚いたのは、七五調の音数律で訳された雅極まる詩文でもって物語が進行してゆくことでしょう。実際の原典もいわゆる美文体と呼ばれるもので書かれ、演劇ではそれを歌うか歌うかの如く美しくたおやかに表現したのでしょう。日本語の擬古体文で訳されたこれら文章は折衷案だとしても、訳者の方の並々ならぬ文学的知識と素養の賜物であることは間違いなく、その訳文の美しさを堪能するのも一つの楽しみです。この『シャクンタラー姫』は古代インド劇の中でも最高傑作と呼ばれ、古くからヨーロッパに紹介されてゲーテファウスト』の序文にも影響を与えたと言われます。また、巻末の解説では、古代インド戯曲の主な代表的作品とされるものの殆どは、「恋愛コメディー」と「英雄コメディー」に属するとされ、この辺りに現代インド映画との共通点があるのかもしれないな、と思いました。

イスラーム ― 回教 / 蒲生礼一

イスラーム―回教 (岩波新書 青版 333)

イスラーム―回教 (岩波新書 青版 333)

さてヒンドゥー教のことは多少なりとも学びましたが、インドにおいてヒンドゥー教と並び信仰されているイスラーム教のことも、オレは実はよく分かってなかったんですよ。インドにおける人口比ではヒンドゥー教80%に対しイスラム教14%弱の信仰率ですが、それでも1億6000万人のイスラム教徒がインドにいることになります。ボリウッド・スターにもイスラーム教信者はある割合で存在するでしょう。そんなわけで、イスラーム教について知るために手にした本が『イスラーム ― 回教』。実は古本で100円で入手。実はこの本、1958年という半世紀も前に書かれたものなので、現在のイスラム圏の状況は当然知ることはできませんが、イスラーム教のそもそもの概略を知るには別に古くても問題ないと判断したんです。そして実際、とても丁寧に書かれ、分かり易い本でした。マホメットの生い立ちとイスラーム誕生の歴史的背景、その後の歴史と文化が基本となりますが、読んでみて最も興味深かったのはイスラーム教が基本的に非常に民主主義的な宗教である、という点でした。後続宗教であるため逆に民衆に対して"こなれている"という言い方もできますが、これは例えば権威の名の元にヒエラルキーを形成したキリスト教と根本的に違う、ということなんですね。スンニ派シーア派という派閥がなぜ発生したのか、というその理由も面白い。これはいわゆる教義解釈のみの話ではなく、アラブの遊牧民族と農耕民族の生活の違いからくる信教のありかたの違いであり、また、古代イランがシーア派をとったのもアラブ系イスラームに征服された際の牽制の意味があったのらしい。もう一つ、イスラーム神秘主義イスラームの根本理念とどうにもかけ離れた主張(どちらかというとウパニシャッドの理念に近い)をしているといった点で、「別にもうイスラームじゃなくていいじゃん…」と思わせてくれる部分が面白かったなあ。

地球の歩き方 インド 2014〜2015 , 地球の歩き方 南インド 2014〜2015

D28 地球の歩き方 インド 2014~2015

D28 地球の歩き方 インド 2014~2015

D36 地球の歩き方 南インド 2014~2015

D36 地球の歩き方 南インド 2014~2015

旅行ガイドブック「地球の歩き方」のインド編と南インド編。もうオレ、インド好きすぎるからインド行くわ!インド旅立っちゃうわ!…というわけでは実は全然無く、インドの都市の所在地とその位置関係を知りたくて購入したんですね。このガイドではさらに遺跡の所在地やその写真が載っているので、インド映画に出てくるあの遺跡は何?と思ったらすぐ調べられるんですよ。さらに観光地や街並み、商店の写真もあり、インドの街の様子が多少ではありますがうかがえるのもいいですね。一応インド編にも南インドは含まれているんですが、もっと詳しく、ということで別に南インド編が設けられているようです。実際のところ、自分がインド旅行するかというとまあないだろうなあ、と思います。そもそも海外旅行に興味がないのでしたことすらないんですよ。このガイドブックも、旅行の心得を読んだだけで面倒臭くなってしまったぐらいでしたよ。ええ、相当ものぐさな人間なんです。でもいつかぷらっと行くかも(どっちなんだよ)。行くなら南インドかなあ(だから行く気あんのかよオレ)。

■インド・祭り―沖守弘写真集 / 沖守弘

インド・祭り―沖守弘写真集

インド・祭り―沖守弘写真集

インド映画にはお祭りの描写が多々ありますが、それが実際はどんなもので、いったいなんなのか、全然知らなかったんですよ。色付きの粉を掛け合うのがホーリーというのはなんとなく分かりましたが、ガネーシャ神が出てくるあれは何?シヴァ神を祀るこれは何?あの女神さまは誰?とずっと疑問に思ってたんですね。あと、映画で見るお祭りは撮影のためのものでしょうから、実際のお祭りはどんなふうに、どんな人たちが集まってやっているんだろう?とも思ってました。この『インド・祭り―沖守弘写真集』はそれらインドの主要な祭りを写真で紹介したもので、さらにどの祭りがどの地方でいつ行われるのか、それは何のための祭でどのように行われるのか、といった簡単な説明も入っており、ガイドブックとして非常に重宝します。中古品で相当安く手に入ったというのもポイント高い。なによりこの写真集でよかったのは、インドの普通の人たちの顔が沢山見られる、ということもありました。映画ばっかりだとその地で生きるリアルな人々の顔つきがわからないんですよ。そしてリアルなその人たちの顔を見て、ああ、この人たちの多くは今もインドで生活してるんだなあ、と想像するのがなんだか感慨深かったですね。やっぱりインド行こうか…(いや行かない人大杉)(だからどっちだとあれほど)。

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さてこれらの本を読んでインド映画は以前より理解が深くなったか?といいますと、結局思ったのは「むしろDVDの英語字幕ちゃんと理解するために英語勉強したほうがよかったんじゃないか?」ということだったんですけどね!まあ勉強は面白かったです!