■インド人の謎 / 拓徹
インド滞在12年――気鋭の研究者が、インドの「謎」を解く!
神秘、混沌、群衆……インドにはとかく謎めいたイメージがつきまといます。こうしたイメージは、興味をかき立てるだけでなく、往々にして私たちとインドとの心理的な距離を拡げてしまいます。そこで、なにはともあれ「謎のヴェール」をいったん剥ぎ取ってしまおう、というのが本書の趣旨です。なぜ、カレーばかり食べているのか? なぜ、インド人は数学ができるのか? なぜ、物乞いが多いのか? 本書はこれらの疑問に、歴史・地理・文化といった分野の知見を駆使してお答えしていきます。そして、「謎のヴェール」を剥ぎ取った時、より魅力的なインドの素顔が見えてくるはずです。さあ、ともにインドの素顔を確かめる旅に出ましょう!
■インドの事をもっと知りたいと思った
インド映画を観始めて、インドに興味を持ったものの、自分はインドの事をつくづく何も知らないなあと思い、何冊かの本をほんのザックリと読んだことがあった。これについては以下にまとめてある。
ここで読んだのはヒンドゥー教やイスラム教、インド神話についてまとめられた本、ヒンドゥー教の聖典と呼ばれる『バガヴァット・ギーター』、それと戯曲『シャクンタラー姫』といったものだった。こういった本を選ぶとき、注意したのは「日本人がインドに行った体験談」を外すことだった。インドと日本の違いにびっくりしたり難儀したりといった内容はどうでもよかった。知りたかったのは「インド人の心象の核にあるもの」であって、それを「日本人がどう感じたか」なんて興味が無いのだ。ただ、本それ自体は面白かったものの、それによってインド映画により深い理解ができたかどうかというとそんなこともなくて、結局思ったのは「むしろDVDの英語字幕ちゃんと理解するために英語勉強したほうがよかったんじゃないか?」というオチがついてしまった。
それからしばらくインド本には触れていなかったが、たまたま『インド人の謎』というタイトルの本を知り興味を持った。最初はよくある「日本人がインドに行った体験談」の一種だろ、と高をくくっていたが、著者の履歴を見るとれっきとしたインドの研究家の方ではないか。
拓 徹 カシミール研究者
1971年生まれ、愛知県出身。専門は現代カシミールの社会史・政治史。2000年から2012年まで、インドはジャンムー・カシミール州の冬の州都・ジャンムーに滞在。多様なバックグラウンドを持つ学生たち、道をふさぐ牛、そして教室に迷い込んでくる野良犬やリスなど、さまざまな価値観と生き物に囲まれながら研究に従事し、州立ジャンムー大学で博士号(社会学)取得。帰国後、カシミールの禁酒運動についての研究報告が2015年度日本南アジア学会賞を受賞。一方で、『キネマ旬報』など一般向けの媒体にも寄稿している。本書が初の単著となる。現在、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科客員准教授、人間文化研究機構(NIHU)総合人間文化研究推進センター研究員。
おお、これはなにか面白そうなことが書かれていそうだ、と思い早速手に取ってみた。そして読み終わってみると、予想通り実に蘊蓄が深く、さらにこれまで知っていたつもりのインドの内情がさらに覆されるような有意義な読書体験となった。著者はもともと「巷にあふれるインド本の嫌インド的記述に胸を痛め、インド観光地の状況を客観的に解説するガイドブック」を目指したそうなのだが、いやいやどうして、これはガイドブック以上にインドの実情を解析した本であり、インド好きにもインドを知らない方にも是非お勧めしたい。という訳でザックリと内容に触れてみよう。
■インド近代とカースト、そして宗教
『インド人の謎』は5つの章に分かれて書かれている。第1章が「インドの近代とカースト制度の謎」第2章が「インドの宗教の謎」、第3章が「貧困とどう向き合うか」第4章が「手ごわいインドの観光地の謎」、第5章が「食・動物・音楽―インドの楽しい謎」となっている。この章分けから見て分かるように、250ページ程度の分量の中に著者があらゆることを詰め込もうとしたことが伺われる。第1、2章はインドの基盤となるものの話で、第3章はインドの現在、第4、5章はずっとくだけて著者が体験したインドの様々な出来事と、その根底にあるインド人の心象を読み解いたものとなっている。硬軟併せ持った構成となっているのだ。
自分が最も興味深く読んだのはインド近代とカースト、そして宗教の章だ。そんなことなら知ってるよ、と思っていたことが次々に覆されたのだ。例えばインド近代の農民についてだ。インドは代々封建的で、強欲な領主と虐げられた農民がいて……とずっと思っていたが、実は18世紀では農民は武装しており、さらに非定型的な流動性を持っていて、よりよい労働条件を求めて移動していたというのだ。労働条件が酷ければ逃げ出せばいいのである。これが覆されたのが近代におけるイギリス支配時代で、イギリス藩主による定住農耕化が推し進められたが故の「強欲な領主と虐げられた農民」という構図というわけなのだ。
カースト制度についても同様である。カースト制度の単位である「ヴァルナ=ジャーティ制」は11〜17世紀の中世に確立されたが、こういった「階級制」は実の所中世にある世界のどこの国でも散見したものである。しかしインドにおいてそのカースト制がより強固に形成されることになったのは実はイギリス植民地になってからなのだという。イギリスは統治の過程で「住民基本台帳」的なものを作成し、そこでカーストを詳細に記帳することになる。これによりそれまでインド人にとって無意識的なものだったカーストがより強烈に意識せざるを得ないものに変化してゆく。イギリスはさらにカーストごとに差別を助長し、それがいつしかインド人の中に刷り込まれてゆく。そういった過程を経たものが近代における「カースト制」のありかただったのだという。
さらにヒンドゥー教だ。ヒンドゥー教は古代のヴェーダ諸聖典から発生したものだが、長くそれは一つのまとまった宗教としてとらえる概念が無く、ヒンドゥー教徒が自らを「ヒンドゥー」とみなすようになったのは、イスラム教徒が10世紀にインド大陸に侵入してさらに時を経た15世紀のことだという。さらに一つのまとまった「ヒンドゥー教」と見なすようになったのは19世紀だ。それは18世紀末に諸外国がインド理解の為にインド宗教を一括りに見なし、それが逆輸入のような形でインド人の中に「ヒンドゥー教」という意識を生み、さらに西洋のキリスト教に対抗する形で古代のヴェーダ文献を統括した、"近代的な"「ヒンドゥー教」が成立したのだという。
こうして見てみると、現在インドを成立させているものにみえる様々な事柄が、そしてインド古代から連綿と存在すると思わされていたものが、実は近代において外圧から成り立ったものであることが分かる。つまり「悠久不変のインド」というのは実は幻だったともいえるのだ。もうこの辺を知るだけでも相当にエキサイティングな読書体験だった。
■観光地としてのインド、そしてインドの文化
後半はもっとくだけてインドの安宿や恋愛状況や映画を代表する文化について述べられている。インドの安宿は基本的に流れ者がやってくるのでろくな食事を出さないのは当たり前だとか、習慣のまるで違う欧米からやってくる観光客へのとまどいから現地インド人も態度が硬化するのだ、といったこと。外国への劣等感。また恋愛と結婚に対する意識が厳密に分かれていて、結婚はステータスを与える行為だから欧米みたいなラブラブな結婚とは違うんだよ、といったこと。インド映画はどちらかというと若い人たちの為に作られていて、たいていのインド人は20代半ばを過ぎると映画みたいな虚飾の世界には興味を無くすんだよ、といった話にはちょっと耳が痛かった。それよりもインド文化というと実は詩や歌だったりするのらしい。
- 作者: 拓徹
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2016/06/24
- メディア: 新書
- この商品を含むブログ (3件) を見る