スタニスワフ・レムのSF長編『インヴィンシブル』を読んだ

インヴィンシブル / スタニスワフ・レム

インヴィンシブル (スタニスワフ・レム・コレクション)

ソラリス』で知られるSF小説界の巨匠、スタニスワフ・レム。哲学的思弁を持った彼の作品はオレも大好きであれこれの作品を愛読していた。そのレムの選りすぐりの作品を国書刊行会が「スタニスワフ・レム・コレクション」として刊行し、第Ⅰ期6冊の配本は完了していたが、このたび第Ⅱ期の配本が決定、そのめくるめくラインナップにウキウキしていた。そしてその第Ⅱ期・第1弾の配本となるのが『インヴィンシブル』というタイトルのSF作である。

『インヴィンシブル』、聞いたことのない作品であったが、実はこれ、早川書房から『砂漠の惑星』というタイトルで刊行されSFファンにはお馴染みの作品の新訳なのらしい。ただし単なる新訳ではなく、これまでがロシア語版からの重訳であったものを、オリジナルであるポーランド語原典からの翻訳となるのだ。『砂漠の惑星』は随分昔、10代の頃に読んでいたが、これは読み直したくなった。なにより『砂漠の惑星』自体、オレの中では『ソラリス』よりも好きなレム作品だからだ。ちなみに「インヴィンシブル」とは「無敵」「不死身」「不屈」といった意味になるらしい。

物語は消息を絶った僚機コンドル号を捜索するため、巡洋艦インヴィンシブル号が琴座の惑星レギスIIIに降り立つところから始まる。惑星レギスIIIは砂漠と岩場の広がる荒涼とした星で、地上には一切の生命反応がない(後に海にだけ生命が発見される)。捜索隊一行はこの星で荒れ果てた謎の都市、さらに乗員の全滅したコンドル号を発見する。そしてある日隊員の一人が痴呆状態となる事件が起きる。不可思議な謎に満ちたこの惑星で捜索隊が次に直面するのは、雲霞のように空一面を覆って飛び交う不気味な黒い雲の姿だった。

(以下ネタバレあり注意)

 

『インヴィンシブル(砂漠の惑星)』は『ソラリス』『エデン』と並んでレムの「ファーストコンタクト3部作」と呼ばれる作品である。『ソラリス』が惑星全体覆う海の如き生命体を、『エデン』では労働部分と思考部分が分かれた人工生命をそれぞれ描いていたが、『インヴィンシブル』で描かれるのは機械生命体である。『インヴィンシブル』における機械生命体は一個がコイン大の飛翔可能な機械であり、それが数千万数億の群体となって惑星レギスIIIの空を飛び交っているのだ。

レムの「ファーストコンタクト3部作」の醍醐味は「ファーストコンタクト」した人類・異星生命体間のコミュニケーションが殆ど不可能であるという「絶対的な断絶」を描いた部分にある。これは宇宙に他の知的生命がいたとしても、人類が想定できるような知性や理性、倫理、文化、生態などを当てはめようなどといった行為は全く通用しないということなのだ。その断絶の中で人類はあらゆることを試みようとするが、それが成功する事は決してない。このレムの態度は、後に執筆される『天の声』『大失敗』にも受け継がれることとなる。

その中で『インヴィンシブル』の際立った面白さはというと、まずこの作品が人間と機械生命体との大規模な戦闘が描かれるという部分にある。機械生命は超磁力を用いて生命体の脳機能、特に記憶を司る部分を破壊する能力を持ち、巨大な雲の如き群体として飛翔し、まるでとらえどころのないそれは、いくら撃退しても際限なく湧き出てくる。この機械生命と人間の持つ最終兵器「キュクロプス」との戦いの描写は黙示録的な大破壊の光景を見せて圧巻だ。

同時にこの作品は、ある種当為としてとらえていた事柄に揺さぶりをかけてくる作品でもある。そもそも「機械生命」というものが語意矛盾した存在だ。この「機械生命」が数万年をかけて「進化」した、と作中では推論されるが、「機械の進化」というのもよく考えると奇妙な話なのだ。それは機械であり生命ではないが、生命の如く進化し、思考は為されていないにもかかわらず意思を持つが如き動きをする。ではこれは一体何なのか?ここでレムは「では機械とは何か?生命とは何か?進化とは何か?」と問いかけてくるのだ。これは例えば「ウイルスは生命か否か」という議論にも通じ、そしてそれは「ではそもそも生命とは何なのか」という問い掛けにも繋がる。そういった部分で、レム作品は常に思弁的であろうとするのだ。