スタニスワフ・レムのデビュー作収録『主の変容病院・挑発』を読んだ

主の変容病院・挑発/スタニスワフ・レム

主の変容病院・挑発 (スタニスワフ・レムコレクション)

友人との再会から、青年医師ステファンは、煉瓦塀に周囲をかこまれ、丘の頂に屹立する、ビェジーニェツのとある病院に勤務することになる。そこ、「主の変容病院」では、奇怪な精神と嗜好を有する医師と患者たちが日々を営んでいた。彼らに翻弄されるステファンだったが、やがて病院は突如姿を現したナチスによって占拠されてしまう。次々と連行される患者たちを前にステファンの懊悩はなおいっそう深まっていき……レムの処女長篇『主の変容病院』のほか、ナチスによるユダヤ人大虐殺を扱った架空の歴史書の書評『挑発』や『二一世紀叢書』など、メタフィクショナルな中短篇5篇を収録。

 ポーランドのSF作家スタニスワフ・レムの中短編集『主の変容病院・挑発』は国書刊行会からリリースされている「スタニスワフ・レム コレクション 全6巻」の最終巻となる。その収録作『主の変容病院』はレムの処女長編として貴重な作品だ。

この『主の変容病院』、なにやら意味ありげなタイトルだが、実は非SF作品である。「主の変容」とは新約聖書に登場する言葉なのらしく、なにがしかの暗喩はあるとしても字面的には「聖○○病院」ぐらいの意味なのだろう。そしてその物語とは、精神病院に赴任してきた青年医師がそこで出会う様々な人々との体験、そして次第に色濃くなるナチスドイツによるポーランド侵攻の災禍を描いたものとなる。

非常に鮮やかで緻密な自然描写、まるで手術台で検分されているかの如く鋭利に切り分けられ描き出される人間心理、確かにその後SF作家として大成するレムの文体とは違うものの、ここには作家として十二分の才能を兼ね備えた新進作家の、鋭い観察眼と巧みな筆力に裏打ちされた高い完成度の作品を見ることができる。

特徴的なのはやはり、どこか突き放したような冷徹な文体の在り方だろう。レムにとって文学は、深い情動なのではなくいかに高い論理性のもとに描くかだったのだろう。しかしこれはある意味純文学とは相容れないもののように感じる。その後のレムがSFへと移行した理由は、彼の持つ高い論理性と思考力の為だったように思う。そういった意味では、非SF作品ではありながら、SF的な論理性の中で書かれた文学といった趣がある。

個人的には、この作品における登場人物たちの幾人かが、レム個人の性格を反映しているのではないかと邪推しながら読むのが面白かった。主人公である若き医師はもとより、病院の入院患者であり主人公と懇意となる作家のキャラクターの中に、レムのキャラクターの一面が存在しているのではないか。特にこの作家の饒舌な衒学性は、レムのメタフィクショナルな作品の口調と瓜二つではないか。

「処女作にはその作家の全てが詰まっている」という俗説があるが、その線で言うなら、この『主の変容病院』はレム理解のための重要な作品ということもでき、ファンなら必読の作品という事が出来るだろう。

この『主の変容病院』以外の収録作はレムお得意の”架空の書物の書評”『挑発』と、シニカルな仮定を積み重ねてゆくこれもある意味架空の評論『二一世紀叢書』といった短編が収められている。これらに通底するのは思考実験であり遊戯としての論理展開だろう。これらは、それだけで小説のアイディアとして使えるようなテーマを、物語化するのもまだるっこしいからあえて要点と結論だけを並べたものなのだろうと思う。レムはきっとせっかちだったのだ。

主の変容病院・挑発 (スタニスワフ・レムコレクション)

主の変容病院・挑発 (スタニスワフ・レムコレクション)