スティーヴン・キングの中篇集『コロラド・キッド 他二篇』を読んだ

コロラド・キッド 他二篇 / スティーヴン・キング (著), 高山真由美 (翻訳), 白石朗 (翻訳)

コロラド・キッド 他二篇 (文春文庫)

日本独自中篇集『コロラド・キッド 他二篇』

「2024年はキング作家デビュー50周年!」ということでスティーヴン・キング作品の出版ラッシュが続いているが、今回はその第4弾となる日本独自中篇集『コロラド・キッド 他二篇』である。ちなみに第1弾~3弾は『異能機関』、『ビリー・サマーズ』、『死者は嘘をつかない』の3作で、オレは全て読了済み。さらに全米100万部を記録したファンタジー超大作『フェアリーテイル』(仮)の刊行が予定されているらしいというからファンとしては嬉しい悲鳴を上げ続けている最中である。

という訳で『コロラド・キッド 他二篇』だが、収録されているのは「浮かびゆく男」「コロラド・キッド」「ライディング・ザ・ブレット」の3作となる。「浮かびゆく男」は日本初訳、「コロラド・キッド」は「ダークタワー」シリーズの購入特典として抽選配布されていた作品、「ライディング・ザ・ブレット」は一度単行本として翻訳されていたが、現在絶版状態のものを再収録という形になってる。ちなみにこの「ライディング・ザ・ブレット」は単行本出版時に既読である。3篇それぞれにテーマの在り方が違っており、異なったテイストのキング作品を味わえる中篇集となっている。ではざっくりした感想などを。

浮かびゆく男

体形は全く変わらないのに、体重だけがどんどん減ってゆくという謎の現象に悩まされる男の物語。特に不思議なのは男が何を持っていてもその重さが相殺され、何かを「重し」とすることが不可能だという点。つまり男は体重が減っているのではなく、重力を無視し少しづつ空に引っ張られているのだ。そして男は徐々に体重0キロへと向かい、空へと浮かび上がってゆく。キングには『痩せゆく男』というホラー長篇があるが、似ているように思えて全く別のアプローチの作品である部分が面白い。

この設定自体実に秀逸なのだが、この作品を一級たらしめているのはそこだけではない。男はひょんなことから町(舞台はキャッスルロック!)に移り住んできたレズビアンカップルと知り合いになり、一部の住民からいわれなき差別を受けている彼女らのために一肌脱ごうとしていた。だがカップルの一人の女性は頑なで、すっかり心を閉ざしている。男は彼女の心を開くことができるのか?という部分で凄まじいまでに胸を打つ人間ドラマが展開する。ここでは最近顕著になってきた「泣かせのキング節」が大炸裂し、老いてなお人間存在への共感を描こうとするキングの筆致に脱帽させられる。キングは年を取ってもどんどん巧くなってゆく部分が凄い。

そして同時にこれは「死」についての物語なのだと思う。体重が軽くなることでどんどんこの世界での存在が許されなくなってゆくというのは、病魔や加齢によりどんどんこの世界での存命時間が短くなってゆくというのとイコールなのである。だからこの物語は死と生の寓話としても読め、そして近づく死に臨み人は愛する者たちとどう過ごすことができるか、ということを暗喩した物語でもあるのだ。秀作。読むべし。

コロラド・キッド

メイン州の小さな島の新聞社にインターンでやってきたステファニーがふたりの老記者から聞かされたのは、20年前のある朝、島の海岸で発見された身元不明の男の遺体の、謎に満ちた来歴だった。この作品はとりあえず超自然的要素の存在しない、『ミスター・メルセデス』の系譜にあるキング流ミステリなのだが、オレにはちょっといただけなかった。なにしろふたりの老記者、ヴィンスとデイヴの勿体ぶった会話と芝居がかった口調、脱線に次ぐ脱線でなかなか核心に触れようとしない展開に相当イラつかされたからだ。デイヴの本名がデヴィッド・ボウイというのもどうかならなかったのかな。それと一番うんざりさせられたのはその結末の付け方で、読んでいてこれはないだろ、と思ってしまった。キングはあとがきでこの結末の付け方に言い訳めいた講釈を垂れているが、オレは納得できんぞ。

ライディング・ザ・ブレット

実家に住む母親が倒れたという連絡を受け、主人公はヒッチハイクで病院に向かおうとするが、夜の道で拾ってくれた車の運転手の様子がどうもおかしい……という中編ホラー。以前キングがお得意としていたロックンロールなホラーで、アイアンメイデンあたりのアルバムジャケットが似合いそうなチープな不気味さに溢れている。ただ以前単行本で読んだときは「いつものキング」程度にしか思っていなかったが、こうして今読み返してみるとまた別の感想を持った。

この作品のテーマとなるのはヒッチハイクの恐怖ではなく、愛する母が死ぬかもしれないという不安なのだ。だから物語の中で出遭う不気味な出来事というのは、実は主人公の不安の具現化ということができるのだ。私事になるがこの作品が単独の単行本として刊行されそれを読んだ2000年当時、オレの母はまだ存命だったが、その10数年後に鬼籍に入った。だから今この作品を読み返して、「母親の生死」というものに対する感情が、最初に読んだ頃よりも痛いほどに伝わってきてしまったのだ。そしてキングがいかにそれを情感豊かに描いたのかも理解できた。一見単純でロックンロールなホラーのように見えて、ここでもキングの人間心理への深い洞察が伺うことができるのだ。こんな具合に、読む年代の違いで感想も違ってきたという体験の出来た作品でもあった。